第43話、ボスウルフ、覚醒する


「ハァーっ、ハァーっ、フンっ……フンっ……」


 俺とガッツの近くにある樹に背を預けて隠れ、飛び跳ねる心臓を押さえて呼吸を整えようと必死なボスウルフ。


 毛から大量の汗が滴り落ちるのも気にせず、驚愕に目を剥き、悪魔を見る目でイチカちゃんから身を隠している。


 何故こいつはこうも人間じみているのだろう。


「どこです……? 死までの時間が少し長引くだけですよ?」

「っ……!?」


 腹から迫り上がる悲鳴を口元で押さえ付け、配下のウルフと一緒になってイチカちゃんに震え上がる。


「ハァーっ、ハァーっ、ハァーっ……っ、…………ッ!?」


 ボスウルフがやっとジッと見つめる俺達の存在を察知した。


「…………」

「…………」


 イチカちゃんが恐ろし過ぎて、人影が俺達と知るや否やホッと胸を撫で下ろしている。


「……おい、なに休んでんだよ。早く戦いなさいよ」

「そこですかっ!!」


 舐められている気がしたので、それとなくイチカちゃんに報告してやった。


「キャンっ!?」

「お前は……、やはり悪魔だな……」


 するとまた生存本能が急速に高まったのか、ボスウルフが覚醒する。


 少しだけ樹から距離を空けて助走を付ける。犬科の魔物である筈が、駆ける速度のままに樹を駆け上がっていった。


 素晴らしいランニングフォームで登り切ると、そこから大ジャンプ。


 樹からイチカちゃんの近くに生える樹まで、翼の生えたペガサスの如く跳んだ。


 ボスウルフは樹の幹に着地すると、その勢いを殺してから、


「っ、イチ――」


 俺の警告よりも早く、こちらに狙いを定めるイチカちゃんへと跳び蹴りで急降下した。


「上っ、甘いですっ……!!」


 しかしこれも想定済みで見越していたのか、不自然な物音を察したイチカちゃんはナイフを残して飛び込み前転にて回避した。


「グァオンッ!!」


 相手は、その更に上を行った。


 ボスウルフは跳び蹴りではなく、しなやかな着地を決め、凄みすら感じるパンチを繰り出していた。


 それは多くのライバル達を倒して来た右なのだろう。食物連鎖の上位者達との戦いで幾度となく繰り出され、研磨され、完成した右ストレート。


 それが、未だ膝を地面に突くイチカを打つ。


「――――」


 …………沈黙の一時。


 誰もが吹っ飛ぶイチカを想像したことだろう。俺とガッツも、他のウルフ達も。


「……これが、あなたの全力です?」

「…………」


 イチカちゃんは軽く顔を傾けるのみで、ボスウルフの必殺技を避けていた。


 微かに切られたイチカちゃんの紫髪が風に乗って飛んでいく。それだけだ。


 目を疑うのはウルフばかりではなく、俺達もだ。疑うどころか、飛び出んばかりにイチカの実力に驚嘆していた。


「…………ァ、ァオオオオオオオオオオオオオオン!!」


 本気のボスウルフが残りの体力を全て注ぎ込み、パンチのラッシュを見舞う。


 それは一打突き出される毎に加速していき、すぐに数多の腕がボスウルフから生えているような錯覚を見るにまで到達する。


 ここまではいい。


 何故、ボスウルフが二足歩行なのか。ボスウルフなのにパンチが可能なのか。ボスウルフが人と会話するなよ、色々と言いたいことはあるがそれらはもういい。


 問題は、


「――――」


 その壮絶なパンチの嵐を、同じく残像が生まれる程の速さで避けているイチカの方だ。


 腕も下ろし、棒立ちとも言える体勢になり、紙一重で次々と躱している。


「いやいやいやいやいやいやいやいや!!」

「いやいやいやいやいやいやいやいや!!」


 これには流石の俺とガッツも堪らずツッコミの声を上げていた。


 後から本人に聞くと、ウルフ限定で動きが全て手に取るように分かり、恐れもなくなり、妙な興奮状態に達するのだとか。


 本当に彼女は、ウルフ種に限って完全無欠のソロ冒険者であった。


「お遊びはお終いです」

「っ…………」


 連打の最中、右ストレートを避けてそのまま歩き、ボスウルフの横合いを通り抜けたイチカ。


 到底埋められない絶望的な実力差に硬直するボスウルフを置いて、イチカは樹に刺していたナイフを引き抜いた。


「今日のところは去るのです」

「…………」

「私は完璧なウルフ狩りしか認めない。髪の毛を持って行かれては、狩れるウルフも狩れません」


 ナイフを腰元の入れ物に収め、ウルフ達へ無防備に背中を晒して歩んでくる。


「二人とも、行くですよ……」


 俺達の間を颯爽と通過して、先を行く。


「う、うぃっす! イチカさん、お疲れ様した!」

「ぽ、ポーションは足りてますかな? 俺の分もどうぞ!」


 すっかり心をへし折られたウルフ達を置いて、俺達はイチカの後に続いた。


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