第22話、魔王が魔女を狙う理由


 それは紛れもなく、タナカの声であった。


 律儀に先程の位置に立ち、満身創痍となったボロボロの身体で微弱な魔力を滲ませる。


 眼鏡は割れ、片側の毛髪は無くなり、膝は擦り剥け、妙に右肩が痛むのか揉む手が止まらない。


「お巫山戯はもう……もうっ、うんざりだっ。君達に構っている時間などなかったのだ。私は《嘘の魔女》モナを殺さなければならない……」

「な〜んでだよ。別に放っておいて差し上げりゃいいじゃん」

「君はあの女を見たことがないからそう言えるのだ」


 そしてタナカは《嘘の魔女》を狙う理由を明らかにした。


「……あれは、私がまだ魔王だった時のこと。私はやっと会えた憧れの《嘘の魔女》へと、勇敢さを示すために決闘を申し込んだ。婚姻をかけてな」

「そ、それで?」


 決闘ではないが、俺に似ている。


「…………決して負けない方法を知っているかい?」

「……何だそれは」

「決闘を受けた彼女が私に言ったのだよ。……魂が凍り付く程に恐ろしくも美しい、酷薄で……残酷な微笑を浮かべてな」


 理解し切れなかったガッツの問いに、当時を想起したのか身を冷たく震わせて言った。


 決して負けない方法と聞いても、俺に思い浮かぶものはない。


「魔法によりきちんと契約を結び、とある古城で決闘は始まった。そして――」


 タナカは努めて平坦に続ける。


「――《嘘の魔女》は消えてしまった」


 察しが付いた。つまりは《嘘》で逃げ続けているのだ。何の労もなく倒せてしまえるものを逃げ続けているようだ。


「……じゃあ、諦めて他の女性とかにしたらいいんじゃ」

「それだけではないっ。あれは《嘘》により契約内容も変えてしまっていたのだっ!」


 突然に憤慨を露わにして感情的に《嘘の魔女》を語る。


「決闘が終わるまで私はっ、《嘘の魔女》のパンツを覗こうとした罰によりっ、私は…………パンツが穿けないのだっ!!」

「……えっ、魔王様って今ノーパンなのっ!?」


 というよりも魔王がパンツを覗こうとした件について訊きたい。


「慣れない……慣れないのだ……。どれだけ時が経とうとも慣れない……。常にバレないかとヒヤヒヤしながら、落ち着かない下半身と戦う日々……。……パンツを穿かずに日常を送るおっさんなど、ただの怪物だっ」


 男泣きをしながら夕陽を見上げる魔王タナカ。今日も彼は、直接ズボンを履いている。


「あれはいていい存在ではない。あのような全世界の男心を弄ぶ魔女など、いていい筈がない。だからこそ私は、反魔女派に鞍替えした」

「いやぁ、でも倒せないっしょ。魔女様方はめちゃ強いし、居所も掴めないし」

「そうかな? 何故、私がこのファーランドなどという虫けらだらけの何もない都市に来たと思っている」


 涙を拭ったタナカは自信ありげな顔付きとなり、懐からとある魔道具らしき何かを取り出した。


 それはペンのようでもあり、設られた飾りなのか宝石らしき物が淡く光っている。


「これは《嘘の魔女》の魔力に反応する魔道具だ。反魔女派はここまでの物を作るに至っているのだよ」

「……しかし実物を発見できるかはまた別の話なのではないのかな?」


 《力の魔女》を目にして肝が据わったのか、胸を張ったマーナンが平時の偉そうな口調で訊ねた。


「その通り。だから君達を、都市の人間を殺すのだ」

「ふ、ふむ、何の関係があるのかね。ポスターでも張った方が見つけ易いのでないか?」

「昼時前だったか。丁度ここの辺りで、《嘘》が使われた反応があった」

「何っ!? ま、まさか《嘘の魔女》様もこのファーランドにいるのかっ!?」


 ハート様が登場した際よりも遥かに大きな騒ぎとなる。


 《力の魔女》様よりも《嘘の魔女》はほとんどその姿を見せず、何よりもその実力は妹達ですら遠く及ばない未知の次元にある。


 その《嘘》は文字通り何でもできてしまえ、何もかもが彼女の思いのままとなってしまう。


「ヤバいです、ヤバいです……! サイン欲しいですっ……!」

「ご、ご機嫌を損ねやしないか? 俺だって一目だけでもそのお姿を見たいが……」


 世界一の有名人が近くにいる可能性を聞いたイチカが狼狽し、偉人などに無頓着なガッツまで辺りを見回し始める。


 ガッツ達だけでなく、今の話を聞いた全ての者達が辺りを見回してそれらしき姿を探していた。


「つまり、ここの住民を殺していけば、やがて正解……いや、嘘が剥がれた先の真実に辿り着ける、というわけなのだよ」


 魔王タナカがほくそ笑んで殺意を発すると、しんと水を打ったように静まり返る。


「……倒せるわけがないっ。馬鹿馬鹿しい、魔法など《嘘》の前には無力だ」

「倒せるさ。準備を整え、確信したからやって来たのだ」


 切迫する破滅を前に、マーナンとタナカ、おじさん同士の討論が始まる。


 俺の出番は先のようなので、肩の力を抜いて一息吐くことにする。


「――おや? これは何の騒ぎなのかな」

「あぅちぃ!!」


 最悪のタイミングでモルガナ姿の彼女が帰還して来た。仲間は置いて来たのか、一人でギルド【マドロナ】前に歩み寄る。


「ん? 今、どことなくあの魔女に似た声が――」

「見せてみんかい!! どれをどうしたら《嘘の魔女》様を倒せる言うんや!! 魔王タナカぁ!!」

「元魔王だ」


 振り向きそうになる軟弱なタナカへ喝を入れ、《嘘の魔女》打倒の策を披露させる。同時に本人に危機を簡潔に伝えようと試みた。


「…………」

「っ……っ……!!」


 一喝から続けて表情と目線で懸命に、ただちに逃げろとモナに伝える。聡明なモナならば俺の真意を汲み取ってくれるだろう。


「…………」


 真顔であったモナは首を傾げて俺を見つめ、そしてタナカを目にする。


 更に人差し指を顎に当てて考え事をする素振りを見せた。


「…………」


 結果、俺へと悪〜い顔で微笑んだ。


 悪戯を思い付いて、俺へ宣戦布告しているようだ。何故そうなったのだろう。分からないが、可愛い。可愛いが、後で説教だ。


「これを見たまえ、この凄まじい暗黒を……」

「なんだ、それは……!? 暗黒にしては強大すぎるっ。闇の根源っ? いや違う。では呪いの類かっ!?」


 手の上に闇色の球体を出現させる魔王タナカに、理解不能とばかりにマーナンが慄く。


 けれどモナは自身の身体を半透明にして、背後からタナカへと近付く。


 周囲の様子から察するに俺だけに彼女が見えるような《嘘》だろう。


「これは万象一切を無尽蔵に引き摺り込む史上最悪の兵器だ」

「…………」

「接触したなら完全なる“無”へと引き込まれてしまう。抗う術もない」


 タナカの持つ明らかに危険そうな球体を指でつつき、手まで入れて遊ぶモナ。……な、何やら魔神のような何かを取り出してポーチに収めているが、あれは何だろう。


 その間にもタナカはデモンストレーションとして、灼熱の炎や絶対零度の氷、巨大な鉄塊に至るまでを生み出して球体に吸い込ませている。それを目にしたモナもこれ幸いにと、旅で出たゴミや実家の不要品を吸い込ませて捨てている。


「解き放とうものなら、この世界すらも呑み込むだろう」

「せ、世界を道連れにするとでも言うのかっ!! 魔族域はどうなるっ!!」


 白熱する舌戦の最中にモナはタナカの持つ球体を掴み取り……掴み取れるようなものではないと思うのだが掴み取り、タナカのつるりとした頭を使って卵のように割り、熱々の目玉焼きを作り出して翳す手へと落っことしてしまう。


「魔族域など知ったことか。私は私の宿願を果たせるのならそれでアツぅぅぅっ!!」


 不気味な自信を覗かせていたタナカだったが、フライパンから直接に目玉焼きを手渡されたのと同等の熱さに気付き、放り投げてしまった。


「馬鹿なっ、暗黒玉が消えているっ!? っ、まさかっ!!」


 懐から再度取り出したモナの魔力に反応する魔道具は、眩いばかりに光り輝いていた。


「……………………いるぅ!!」


 目を飛び出させて仰天したタナカは咄嗟な事態にも即座に対応していた。


 周囲を隈なく睨み付け、執念で探し出してやるとばかりの目付きを見せる。


「ど、どこだっ!! くそっ、どれが本当の魔女だっ!?」

「…………」


 真実は終始タナカの周りを散歩しているのだが。


 片や目玉焼きは宙で異質な変貌を遂げる。上空で太陽を描いたような落書きとなって、タナカへと光線を放つ。


「熱っ、熱いっ! キサマっ、止めろ! どこだっ、《嘘の魔女》め!!」


 タナカのもう片側の毛髪が焼き焦げていく間に、モナは俺の元へやって来て耳元に囁く。


「さっきの球体でも君には危険そうだったから、私が処分しておいてあげたよ。しかし勘違いしてはいけない。私はコール君以外を助けるつもりがない。ということは、後は君達の冒険だ。魔王討伐任務だね」

「オッケ、ありがとう」

「セクハラ魔王から私を護ってね、私の愛しいコール君」


 通り過ぎ様に頬にキスでもされるのかと思いきや、背後から服の中に手を入れてセクハラ魔女にお触りされる。


「……ふむふむ、いつ触ってもドキドキとする肌触りだ。私は先に帰ってお夕食の支度をするから、寄り道せずに戻ってくるといい」

「うぃ〜。もう、急いで帰るわ」

「うん、……待っているよ」


 耳元で発せられたこれでもかと艶のある声音と共に、最強の助っ人モナは音もなく姿を消した。


「うしっ!!」

「ひやぁーっ!? ……な、なんですかっ! 突然に大声を出さないでください……!!」

「何だか《嘘の魔女》様が少しだけ味方してくれたみたいじゃん。ガッツとマーナンでビシッと決めちゃってくれよ。ポーションならたんまり作っちゃうよ?」


 何が何だか分からないといった様子の二人の背を叩き、クライマックスを促す。


 やはり最後は実力者である二人による決着が望ましい。


 俺はポーションで影から助けるしかできないのが申し訳ないが、大事な役目と信じる。


「……ふっ、そうだな。確かに今なら可能性はある。リベンジと行こうか」


 言い終わる頃のガッツには好戦的で獰猛な笑みが浮かべられていた。


「ふん、くだらん。ポーションなどと。劣等なる助手よ、今すぐにマナポーションを作るのだ」


 怯えていたマーナンはどこへやら。明らかに弱った魔王を前にしてマーナンが魔王殺しに目覚める。


「えっ、今? ここ?」

「今、ここでだっ!! かな〜りの大技を放つ……ふははははぁ!!」


 勢いに乗ったマーナンとガッツは止められない。


 急に役目を与えられた俺も慌てて錬成キットの準備を進める。


「出陣なりっ。……足枷となるべからず、野蛮なる友よ」

「おう、お前もな」


 熱線放つ目玉焼きが消え、焦げて煙を上げるタナカへと奮起した二人が並び立つ。


 暁に背を向け、魔王に挑む。

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