第21話、危機後の危機後の危機


 鋭い戦意を宿すガッツと悠々と立つタナカとの間にある張り詰めた空気が歪み始める。


 強者同士の覇気がぶつかり合い、鍔迫り合いの如く鬩ぎ合っているのだろう。


「…………」

「っ…………」


 俺も含めて誰もが固唾を飲んで行く末を見守っている。今か今かと緊張高まる中でその時を待つ。


 ゆっくりと構えるガッツ。タナカも右手を手刀の構えへ移行する。


 …………暫くの無言での読み合い。相手の抱く心理の隙を狙うとでも言うのか、瞬きもせずに真っ直ぐ睨み付けている。


「………………――」


 一瞬であった。


 俺が痒くなった顎を一掻きしている間に、既に踏み込んでいたガッツの大剣はタナカの横っ面に迫る。


 本気のガッツを初めて目にするも、強過ぎる。常識知らずの身体能力であった。


 しかし誰しもが浮かべたこれならばという期待を、魔王は嘲笑った。


「………………馬鹿な」

「私も驚いているよ。私の予想を遥かに超えて君は強い」


 翳した手刀は構えた位置から動かしていない。では何故、タナカはこうも平然と会話しているのか。


「ファストがやられるわけだ。そうか、君が倒したのか」

「…………マジ?」


 タナカは…………そのまま側頭部で大剣の刃を受け止めていた。


 いや、無防備のままに攻撃を当てさせていた。


「しかし私は魔王。魔の将軍と言いはすれども、私タナカは奴等とも格が違う。まぁ……元、だがな」

「くっ……!! ……うぉおおおおおお!!」


 重量感を全く感じさせずに残像が残るまでに疾く、タナカの全身を満遍なく瞬く間に大剣が打ち付ける。


「冥土の土産だ。好きなだけ試すがいい」

「く、そっ……!!」


 ガッツが堪らず飛び退き、俺達の前まで後退した。


 一方、タナカは……一歩も動いていない。初めから今に至るまで同じ姿勢で、揺らぎもせずにじっとこちらへ微笑んでいる。


 薄く……冷徹に……。


「……う~ん、お前、怒られんじゃね?」

「…………」


 避けないものだから、タナカの唯一残った側頭部の髪はズタズタに斬られ、魚のヒレのように一変していた。


「……あ、あの、済まなかった」

「……? 何の話かね」


 申し訳なさそうなガッツが、自分の側頭部回りを指差してタナカへそれとなく指摘する。


「ん……? …………あぁーっ!? 何してくれてんの、お前!?」


 自分の手で慎重に毛髪に触れ、受け止め難い現実に声を震わせる。


 そしてガラス窓まで走り、その姿を確認するなり涙声で言った。


「大事なのは見れば分かるだろっ……。残存兵力は見ての通りだろっ!! セットにだって時間をかけているのだぞっ……!」

「す、すまない……言い訳になるが、避けないものだから」

「強者感は魔王の嗜みなのだ……!!」


 魔王は落ち着くべく一度溜め息を吐き、やがてすっと手を翳した。


「もういい。初手ではあるが、そろそろ終わりにしよう」


 タナカの目の前に構築された極大の魔法陣から、何か・・が生まれようとしていた。


「…………」

「まさか、悪魔を呼び出すつもりか……?」


 地獄に棲まう超常の生命体、悪魔。


 当然に地上の者達など比較にならない強大さを誇り、小悪魔一体で国が滅ぶとまで言われる禁忌の存在である。


「折角、この元魔王タナカに逢えたのだ。派手な死に様をプレゼントしよう」

『…………』


 道路一杯に広がる魔法陣からその半分もありそうな手が這い出る。


 それは異形であることが一目で分かる悍しく筋張った黒い手で、溶岩のように割れ目や内部が薄明るく明滅させている。


「さぁ……悪魔侯爵クヤシウコ・マクアよ。このファーランドを……」


 タナカは狂気の瞳を俺達に向け、無情に言い放った。


「……滅ぼすのデャっ――――」


 魔王タナカが、張り倒された。


 側頭部の髪を掴まれ、無理矢理に投げ飛ばされてしまった。


「……そこ、邪魔」

「な、何ものだ……。こんなことをしてただデェッ――」


 バタンバタンバタンバタンと、今度は脚を持ち、高速で何度も地面に打ち付けられるタナカ。まるで人形のように我が儘に扱われてしまう。


 叩き付けられる度に、ギャっ、ギャっ、とタナカが鳴いている。


「…………」

「……ぐぉぉ……っ、――ち、《力の魔女》だとぉ!?」


 魔王を赤子をあしらう様に打ちのめしたのは、短めの白髪が可愛らしい比較的小柄な少女であった。


 《力の魔女》ハート様。モナの妹にして、最も目撃例の多い魔女とされている。各地に現れては気ままに力を振るい、討伐不可能と言われる伝説の魔物や太古の兵器をも破壊して回っているらしい。


 綺麗な白いワンピース姿でタナカを振り回す姿は、正しく噂に聞くアンバランスさだ。


「…………」

「な、何故ここにっ、このような偶然があっていいのか! お、おのれぇ――――」


 無表情ながら興味深くタナカを見るも、すぐに興味を失ったのか…………目視できない程に空高くタナカを放り捨ててしまう。


「…………」


 みんなで点となって空へ消えたタナカを見上げて見送り、次に視線を戻すと、


「…………」

『…………』


 愛らしい少女と悪魔侯爵の手が見つめ合っていた。


 ……《力の魔女》ハートが小さな拳を握り、振り上げる。


『っ……!!』

「…………?」


 慌てて手の平を振って敵意がないことを示した悪魔侯爵が、そそくさと魔法陣へと帰宅していった。


 禍々しい紫の魔法陣が消え、皆は思い出したように《力の魔女》様へと跪く。


「お、おいっ、コール……!!」

「あっ、そうだっ」


 俺もガッツに小声で叱られ、慌てて跪いた。


 勿論、通る道を開けてから。《力の魔女》様は邪魔をせず、刺激しないを徹底していればほとんどの危険を回避できる魔女様だ。


 一方で彼女は自由気ままに力を振るう。先程のタナカは彼女の通る道にいたから倒しただけで、決してファーランドや俺達を助けたわけではない。


 ハート様からすると、俺達もタナカも違いなどない。勘違いしないようにしなければ。


「…………」

「…………」


 俺の前に、明らかにハート様が立っている。


 これは非常に危険だ。先程の明確な殺意を持っていたタナカと同等なレベルでの命の危機だ。


 跪いたまま、にじり寄って移動して魔女様の進路を開ける。


「…………」

「…………」


 とことこと付いて来てしまう。


 怖い。とても怖い。ガッツの本気を受けて完全に無傷であったタナカを瞬殺してしまった光景を見ただけに、恐怖はやけに具体的な形になって脳裏に浮かぶ。


 それからも跪き歩きで彼女の道を開ける。


 だがやはり俺に付いて来ている。


「…………あいだだだだだだだ!!」


 そうこうしていると、覗き込んでいたハート様が髪の毛を掴んで無理矢理に俺を立ち上がらせた。


 その小さな手から伝わる感覚は髪の毛越しにも心身が凍り付くものであった。力強いなどというレベルを遙かに逸脱している。


「だ、誰か助けてっ……!! …………あ、あいつ、ガッツって言うんすっ!! その隣はマーナンっ、そんでイチカっす!!」

「おまっ……!?」


 誰一人立ち上がらないどころか、能面の顔で自我を殺していたので興味を移そうと指を差して叫ぶ。


「我は違いますぞ、我はマークです」

「私は石私は石私は石私は石私は石……」


 徹底して無関係を装い始めた。


「…………?」

「い、命だけはぁ〜ってあれぇ……?」


 抱き付かれて小さな身体が胸元に埋まってしまう。


 何やら匂いを嗅がれている様子で、深い鼻呼吸が繰り返される。


「……お姉様の匂い」

「…………」


 凄い嗅覚であった。


「……まぁ、匂いが似た人はいますよ。世界は広いですもん」

「…………」


 そして眠たげな眼で、じっと見上げられる。


「……怖くないの?」

「《力の魔女》様をっすか? 全然、怖いですけど……。あんな破茶滅茶な強さを見せられたもんだから、参ったよなぁ……」

「…………」


 心なしか、ハート様の頬が赤くなった気がする。


「えっ、もしかして照れちゃってます……? 可愛いんだぁ」

「…………違う」

「えぇ? 絶対照れてると思うけどなぁ」

「……違う」


 今度は僅かばかり頬を膨らませて、照れ隠しに軽く足で地を踏み付ける。


 ――ファーランドが揺れた。


 地面がハート様を中心して大きく波打って広がり、都市を大きく揺さぶっていた。跪く者達も一切に跳び上がり、その姿勢のまま着地してまた更に数段階上の危機意識となる。


 彼女が扱う《力》に上限はなく、タナカ相手にも手を抜いていたことを全員が察した。


「……ですよねっ!! 違うに決まってますよねっ!!」

「…………」


 ハート様は満足したのか一度頷くと、踵を返した。


「…………また来る」

「う、うぃ〜っす、お待ちしてま〜す!!」


 するとハート様は天高く跳び上がり、……雲近くを飛んで来た巨大なドラゴンに乗って去っていった。


 あのドラゴンも夢か幻かと疑う破格のものだ。今日は本当に夢でも見ているのではなかろうか。


「き、今日だけでどれだけ死にかければいいんだよ……」

「危なかったが、どうやら天が味方して一件落着らしいな」


 ほっと一息吐き、やれやれとマーナン達も立ち上がる。


「――やっと居なくなったか。あの化け物め」

「っ……!?」



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