第19話、魔王、現る
「魔将ファスト。かつては忠臣と言える幹部であったから見逃してやったのに、恩を仇で返すとは愚かな」
「お、恩を仇で……?」
「そうだとも。ファストから聞いたのだろう? 私があの魔王タナカであると」
「い、いえ、聞いてないっす」
ていうか、本名で活動していたの? 隠す気あるの?
「えっ……? 言ってないの? あいつ、言ったでしょ? ファーランドに魔王いるよって」
「言ってないっすね……。むしろ、たとえ死ぬとしても何も言いません。加速と命、これよりも大切なものがあるのですって、頑なに口を閉ざしてました」
するとタナカさんはよろよろとしたかと思えば眼鏡を取り、
「ファストぉおおおおおおぉぉ……!!」
涙を流し、渾身の雄叫びで殺してしまった忠臣を惜しんだ。
嗄れ声で後悔を叫び、やがて崩れ落ちる。
片腕を捥いでおいて、地獄の炎で炙っておいて。
「……あの、なんであいつの片腕千切っちゃったんすか?」
「…………」
「あっ、いえホントにもし宜しければですよっ? タナカさん、いや魔王さまがっ!」
不気味な様子で立ち上がる魔王を前に慌てて訂正する。
「……あれは今朝のこと」
「あっ、答えてくれるんだ」
「私は昨夜食べたチキンにあたって腹痛で朝早くに目が覚めた」
「朝から体調最悪で一日始めてんじゃん、魔王様……」
そして魔王は記憶を辿り今朝の出来事を話してくれた。
歳を取っているからか、かなり長い。
♢♢♢
「ぐぅおおおおお、おのれぇ……チキン屋のクソババアめぇ……!!」
まだ薄暗い中、パジャマ姿の魔王タナカはベッドより上半身を起こした。
「ぐぅぅ、やはり思い切り痛んでいたじゃないかっ……! 強欲の癖して早く店仕舞いしたいからと急いでやがったからなぁっ……」
激痛に冷や汗をかきながら腹を抱え、トイレへ早歩きで向かう。
「ハァ……ハァ……」
こうして呼吸荒くタナカの一日は始まった。
元魔王であっても、体調の悪い日くらいはある。
ギルド【ファフタの方舟】は夜の間はギルドマスターが。そして日が昇ってからはタナカがギルドの受け付けや日常業務を行う。
無論、他にも事務員がいるので休日もあれば有給休暇も申請できる。
トイレに行き、常備してある薬も飲み、それでも体調に不安を残しながらタナカは出勤した。
「…………」
一歩一歩、あの痛みの波が襲って来ることを恐れながらも清潔感のある弁当屋でサンドイッチを購入する。
「ち、チキンが入っているじゃないかっ!!」
「えぇ、チキンサンドなんで……。美味いでしょう? チキンって……」
「美味い。だがタイミングというものが…………なぁ、頼む。ここだけの話だ。私はチキンにあたって肛門が酷い目に遭っているんだ。なんとかチキン無しで作ってもらえないだろうか」
「あ〜、全然いいですよ。トマトとレタスなんかでどうです?」
「神様ぁ……」
タナカは人間界で小さな幸せを見つけた。
そしてギルドに辿り着く。ここからタナカの給料は発生する。
まずはギルドマスターが眠ってから閉じられた入り口の鍵を開けるところから。
「見つけましたよ、魔王様」
「…………」
鍵を取り出そうとしたタナカの背後に現れたのは、かつての配下である魔将ファストであった。
自身が魔王であった際に、幹部として共に戦場を駆けたよく知る人物である。
朝日を浴びて生き生きとしており、音もなくタナカの背後を取ったことからその瞬足が健在であることを表す。
「久しぶりだな、ファスト。もう十年は前になるか。時が経つのは早いものだ。ユタカナシゼン森林での戦以来か?」
「そうです。これだけ念入りに雲隠れされたもので、発見にそれだけの年月を要しました」
「……何の用だ」
「わざわざ口にしなければならないと言うのなら。お戻りください、魔族域に」
「新たな魔王は既にいる筈だ。それに私はもう魔王タナカではない。ただのタナカだ。魔族とも、魔族域とも関係のない、しがないタナカだ」
用件は予想通り。自分を魔族域に連れ戻しに来たのだ。
しかしタナカも目的があってこのファーランドに潜伏している。
「新たな魔王ではあなた程の統治は望めません。我等魔族にはあなた様が必要です。絶望の闇が頂きになくてはならないのです」
「それでもだ。伝えろ、新たな魔王に。力、魔王とは即ち力であると。……そうだな、お前にも一ついい提案をぉぅっ!? をぉっ、ぉぉぉ、ぉぉ……」
その時、ヤツが来た。
腹の内が傍若無人に荒れ狂い、下っ腹で何かが破壊の限りを尽くしている。
「提案……? 魔王様、是非お聞かせください」
「お、おぉぅ……」
「魔王様、このファストめに。さぁ……!!」
熱心なファストは震えて冷や汗を滲ませるタナカの腕を取り催促した。
顔面蒼白のタナカは要らぬ危機感を募らせる。
「ちょっ!? 腕を掴むとか止めてっ! ホントにやめてっ!!」
「いいじゃないですかぁ、早く教えてくださいよ」
「ちょっと、本当、まって……!! ちょっとくらい待って!!」
「早く教えてくださいってば」
「分かったっ、一回入らせてっ!! 鍵開けて入らせて!? まずそこから始めよ!?」
片手で苦戦しながら鍵を取り出し、家の鍵、金庫の鍵、ギルドの鍵、実家の鍵の四種類から当たりを探す。
しかしこの危機的状況下での片手では上手く取り回せず、時間がかかる。やつらも腸内でお祭り騒ぎする。
「ぐっ!? ぐぁぁ……!! おのれぇぇ……」
「魔王様がいい提案というからには相当なのでしょう? 意地悪しないでくださいよ」
「ちょっ!? ほんと、お願いだからソレだけやめてっ……!! 揺さぶるのだけは本当に絶対ダメ!!」
「だったら早く教えてくださいよぉ、ねぇったらぁ」
「ちょっと、ホントに――――」
タナカの丸眼鏡が光る。
「止めてって言ってるでしょうがぁぁ!!」
「ぐぁぁぁぁぁああ!?」
魔王タナカの手刀術〈毒燕返し〉により、ファストの左腕が宙を舞う。魔力を伴う右手が、紫の軌跡を描いていた。
「ぐぉああっ!! な、何故ですかっ、魔王様ぁぁ!!」
「邪魔をするからだっ、ゆさぶる非道を犯したからだ! 私は中に入ってトイレへ行くっ!! 貴様は受け付けのところのぉ、アレ、あのぉ、……ポーションっ! そうポーションでも持っていけっ!! 二度と顔を見せるなよ、小僧っ!!」
「ぐぁぁ……は、早く開けてぇぇ」
悶絶する二人がギルドの前で悪戦苦闘する。
けれど限界寸前のタナカは汗だくで、視界の確保すら難しく鍵が鍵穴に入らない。
「早くっ、早くっ!!」
「わ、わかっているっ、お前よりずっと前から私は危険域にズッポリ入っているのだぞっ!! もう住人なんだ!!」
「ぐぅぅ、……も、もう待てませんっ!!」
苦悶するファストがタナカに愛想を尽かし、木窓を体当たりで破って中へ突入してしまう。
「あっ! ズルいっ!! くそぉ…………あ、開いたっ!」
地獄の門にも思えたギルドの扉が開いた。
タナカは奇跡的に誰にも見られなかった一部始終を隠蔽する為に、トイレへ駆け込む最中に魔法を施して痕跡を消した。
やがてファストが出て行って開かれた裏口からヤクモは純薬草を。タナカはその間、トイレで格闘していたのであった。
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