第2話 飛翔
あなたの歌は空から青紫色の部屋が下りてきたことで中断されました。部屋は私たちのすぐそばに着陸します。部屋にはいくつもの窓があり、両側に小さな翼が付いていました。どうやらそれは乗り物のようでした。
「イオノクラフトだよ。これで調査に向かうんだ」
乗り物を見つめる私に、あなたは説明してくれたのです。
イオノクラフトの扉が開き、中から私たちに呼びかける声か聞こえました。
「
あなたが名前で呼ばれたのです。あなたの名前が「三沢」であることを、私はこの時、知りました。「伊都岐ステーションリモート管理センター」はあなたが属する群れの名前であり、あなたが毎日、出かけていたのは、群れで活動していたのだと理解しました。
私たちはイオノクラフトに乗り込みました。内部は大きな一つの部屋になっています。中にいた一団の人間が立ち上がって、私たちを出迎えました。数えると人間は全部で七人、皆、ご主人様と同じような服を着ています。私はこんな多くの人間を一度に見たことがありませんでした。用心して頭節を半分引っ込め、様子を窺いました。
最初に声をかけてきたのは体の大きい男性でした。
「調査隊へのご参加ありがとうございます。私は隊長を務める村松です。政府の危機管理官をしています」
村松は堂々とした態度をした人で、「隊長」を務めるとのことでした。「隊長」の意味を探ると、隊が何を行うかを決め、隊員に指示する人とのことでした。
そして、村松が他のメンバーを紹介していきました。
「メンバーを紹介します。大野さんと宮内さんはご存知ですよね。あなたと同じく伊都岐ステーションリモート管理センターの職員です」
大野は年配の男性、宮内は髪の長い女性でした。二人はご主人様と同じ伊都岐ステーションリモート管理センターで働いている人とのことです。大野は軽く手を上げてあなたに合図し、宮内はあなたに微笑みかけてきました。
「佐々木教授はバイオ工学の工学博士、結城さんは情報アナリストです」
佐々木は瘦身の男性でした。片方の眉をぴくりと上げ、疑わしいものを見る目で私たちを見つめてきます。バイオ工学の工学博士と言うのは、微生物を分析したり改造したりする技術の権威とのことでした。
結城はご主人様と同じくらいの年頃の小太りな男性でした。右手で耳に装着した機械を押さえ、ぺこりと頭を下げてきました。機械から何かを聞いている様子です。
「こちらの佐倉さんは生物学の
佐倉は眼鏡をかけた、栗色の髪の女性でした。二本の指を伸ばした右手を振ってこちらに合図した後、私たちを見て目を瞬かせています。生物学の博士研究員とは生物の生態や性質を研究する専門家とのことでした。
「遠藤さんはメカトロニックエンジニアです。今はこの機のパイロットをしてもらっています」
乗り物の前側に外に向いた座席があり、そこに座っている短髪の男性が遠藤でした。遠藤はこちらに振り向いて片手を上げて挨拶してきました。メカトロニックエンジニアは電気を使って動く機械の専門家とのことでした。
「三沢さんを含めこの八名で調査隊を結成します」
この八人で調査隊、調査に出る群れを作るとのことでした。
そして、あなたが話し始めました。
「三沢です。よろしくお願いします。そしてこれは……」
バックパックを下ろし、口を広げて私がよく見えるようにして前に差し出したのです。
「
誰かが小さな悲鳴を上げました。メンバーの多くは不機嫌そうな顔で私たちを見ています。そんな中で
「その子は成体なの?」
「まだ若い個体です」
あなたと言葉を交わします。
彼女は私の前にしゃがみこみました。
「綺麗な目をしているわ」
「そうでしょ」
「どうして一緒に暮らしているの?」
わたしを見つめたまま、あなたとの会話を続けました。
「一緒に生まれた多くの個体の中で、こいつだけはリングでの同調行進ができなかったんです。ステーションに入れる訳にはいかなかったので、俺が引き取って育てています」
「ふうん」
佐倉は立ち上がってご主人様の方に向き直りました。
「少しばかり変わっているようね」
なんて失礼な奴でしょう。私は彼女を睨みつけました。
「それでも……」
あなたが反論しかけた時、
「興味深いね」
声をかけてきたのはバイオ工学博士という佐々木でした。
「遺伝子改造生物が設計外の行動を取るとはね。機会があれば研究対象にしたいところだよ」
遺伝子改造生物というのは私のことでしょう。言葉の意味を考察すると、遺伝子を人工的に操作した生き物とのことでした。そして、遺伝子と言うのは生き物の設計図であり、作っていく時の型になるものとのこと。私が設定と違う行動を取ったのは、佐々木にとっては意外なことのようでした。でも、研究対象にしたいというのはどういうことでしょう。私はあなたのそばを離れるつもりはないのに……。
戸惑っていると、村松が話に割り込んできました。
「すぐに出発したい。その鉄甲ムカデは人を咬んだりはしないのかね?」
「もちろんです。同じ部屋で暮らしてきて危害を加えられた事はありません」
あなたが間髪入れずに返答しました。ええ、私はあなたに牙を向けたりはしませんもの。
「それでは連れて行こう。君に管理してもらうが、危険と判断したらサンプル移送用のケージにいれる事でいいかね?」
「はい」
「では、出発だ。遠藤さん、頼む」
イオノクラフトは浮かび上がり、移動を始めました。窓の外では建物が次々に後ろへ流れ去って行きます。
部屋には壁沿いにひじ掛けの付いた座席が内側に向けて並べてありました。人間たちは座席に座り、ご主人様も座ります。あなたは私の入ったバックパックを足元に置きました。私はバックパックから頭を出して人間たちの様子を眺めます。
村松が話し始めました。
「今回の調査について説明します。まず
村松は右手を前に差し出します。すると、空中に光の塊のようなものが現れました。ご主人様の部屋にあった不思議な窓に似ていますが、これは丸く膨らんだ形をしています。人間たちは皆、光の塊を見つめ始めました。
「∞ステーションは上層下層の二層の円筒形の部分とそれを取り巻く外縁リングで構成されます。その形はハンバーガーにたとえられます。直径は八キロメートルもあるのですがね。
原動力となるのは、融合ユーグリナ、鉄甲ムカデ、ゴリアテの三種類の遺伝子改造生物です。」
空中に浮かぶ姿が、ぶよぶよした緑色の塊り、私と同じ鉄甲ムカデ、でっぷりと太った巨大なカエルに変わりました。
「融合ユーグリナは、本来、単細胞生物であるユーグレナに数百万個単位で合体する能力と細胞間を結ぶ疑似血管を持たせて直径十センチほどの融合体にしたもの、鉄甲ムカデはオオムカデを大型化し、摂取した鉄イオンを胴節に積層析出する能力、体が分断されても再生復元する組織再成力、群れの行動への同調性質を持たせたもの、ゴリアテはゴライアスガエルを体長一メートルほどに大型化したものです」
三つの姿が小さく縮み、丸く膨らんだ形が再び現れました。そして、上の部分が外れ中の部分が見えるようになりました。
「さて、∞ステーションの構造です。上層は融合ユーグリナの培養槽です。日光を受けて融合ユーグリナが増殖し、容量を超えた部分がはみ出して外縁リングにこぼれ落ちます。外縁リングは中空で内側に螺旋状の溝が作ってあります。ここに無数の鉄甲ムカデが封じ込まれ、餌である融合ユーグリナを求めて動くのですが、螺旋と行動同調により螺旋に沿った一体的な高速行進になります。外縁リングには螺旋に沿って磁心が設置してあり、胴節に鉄層を持つ無数の鉄甲ムカデが高速移動する事で電磁誘導により発電されます。下層は食料素材の生産エリアです。ここにはゴリアテが生息し、外縁リングから流れてきた食べ残しの融合ユーグリナや行進から外れて落ちてきた鉄甲ムカデを餌として繁殖します。そこから一定数をAI制御の収穫マシンにより食料素材として回収するのです」
村松の言葉から流れ込む情報に私は圧倒されました。出てくる言葉は私の頭の中で意味や説明に変換され、更にその量を増します。圧倒的な情報量と共に、その内容は衝撃的でした。発電と食料生産のシステムに組み込まれた三種類の生き物、私も鉄甲ムカデとして、その一部だったのです。もしあなたに引き取られなかったら今頃は……。
村松の言葉はさらに続きました。
「そして今回の事態です。三日前、地球上に百一基ある∞ステーション全てが停止しました。各∞ステーションで調査が行われましたが、原因はわかっていません。我々は伊都岐ステーションへ調査に向かいます」
その時、年配の男性、大野が口をはさみました。
「わかっていないと言うが、これまで様々な調査が行われたはずだ。結果はどうだったんだ?」
いらだった表情で村松に詰め寄りました。それに対し、村松は、
「調査隊が誰一人帰ってこないのです」
と淡々とした口調で答えました。
「複数の∞ステーションで調査が行われました。機能は停止していましたが、外壁や食料素材の送出設備に異常は無かったそうです。調査隊は下層の送出口から中へ入って行き、消息を絶ちました」
「え?」
「後から送り込まれた捜索隊も同じ結果になりました。ですので、今回の調査では、手掛かりを発見し持ち帰る事が最大のミッションと考えています。念のため、身を守る武器も持って来ました」
「いったい中で何が……」
「ひとつだけ情報があります。結城さん、お願いします」
「はい」
そして、情報アナリストの結城が説明を引き継ぎました。
「これをご覧ください」
結城が右手を前に出すと空中に黒い丸い板が現れました。十字の線が入っていて、十字の上を白い曲線が不規則に動いています。
「∞ステーションから送電される電流に現れたノイズです。鉄甲ムカデの同調行進で発電される電流は均一で、これまでこうしたものは現れませんでした。十日ほど前からいくつかの∞ステーションからの送電にこのノイズが現れ、徐々に数を増やしていきました。全ての∞ステーションに広がった次の日、あの一斉停止が起こったのです。ノイズを音に変換するとこんな感じです」
ザッザッザザザ
部屋の中に耳障りな音が響きました。人間たちは顔をしかめます。でも、それは私の胸に響き、心を揺さぶるものでした。明確な意味が伝わってきます。それは言葉でした。人間の言葉とはまったく別の。その意味は『破滅』『来る』『急げ』でした。
仲間に向けてのメッセージなのでしょう。破滅が来るので急げ、と言う意味でしょうか、でも、破滅とは何か、何を急げと言っているのか、まったくわかりません。
人間たちには意味が伝わっていないようでした。さかんに言い合いをしていました。正確には覚えていませんが、こんな感じでした。
「あたし、これを聞いた事があります。発電電力を周波モニタリングしていた時に何度か聞きました。確か、二週間くらい前だったと思います」
「だとすれば、伊都岐ステーションは最も早くノイズが現れた∞ステーションのひとつという事ですね」
「でも、これは何なのかしら」
「わかりません。仮説として唱えられているのは、外縁リングを周回する無数の鉄甲ムカデそれぞれが持つ電位が集合する事によってひとつの意思が形成されているのでないかというものです」
「意思?」
「私たち人間の意識は脳内のニューロンを流れる電気信号の集合です。同じ事が外縁リングで起こったのでないかと」
「興味深い仮説だ。でも、それが全ての∞ステーションで起こったのはどういう事だね?」
「仮説では、最初に生まれた意思が送電ネットワークを通じて他の∞ステーションの外縁リングと共鳴し、自我領域を広げていったのでないかとしています」
人間たちは、ステーションの中で鉄甲ムカデが意思を持つようになったと考えているようでした。
その時、佐々木が私に視線を向けました。私をじろりと見た後、他の人間たちに向かって話し始めます。
「だとしたら、我々のこの会話もそこの鉄甲ムカデ君を通じて共鳴自我とやらに筒抜けという事かな」
人間たちは一斉に私に目を向けました。こわごわと見つめるもの、睨みつけてくるもの、興味津々といったものなど、その表情は一人一人違っていました。
「単体はいわば脳細胞一つですので、そうした共鳴は不可能と思います」
「ふむ、それなら安心だな」
結城の言葉に人間たちは納得したようでした。でも、私は考えました。遠く離れた兄弟たちと私は何らかの経路でつながっているのでないか、私の頭の中に起こった変化はそれによるのではないかと。つながっているという自覚は全くないのですけど。
「結城さんの話はひとつの仮説にすぎません。伊都岐ステーションで実際の現場を見るのが一番重要です」
村松が議論を締めくくり、人間たちの話し合いは終わりました。
イオノクラフトは飛翔を続けました。やがて、窓の外、下の方に広がる景色は建物群から森へ、そして青く広がる水面へと変わっていきました。水面のあちこちには森が茂る小さな陸地が散らばっていました。
更に飛翔を続け、高く上った太陽の光で水面がキラキラと輝き始めた頃、
「見えました。伊都岐島です」
パイロット席の遠藤の言葉に、人間たちは皆、窓に駆け寄ります。私もあなたの身体を登り、あなたの肩越しに外を眺めました。
前の方に小さな陸地が見えました、そのほとんどが円筒形の建物で占められていて、周辺の森の部分はわずかでした。建物は映像で見た∞ステーションの形をしています。しかし……
「話が違うじゃない」
あなたと一緒に管理センターで働いていた女性、宮内が呟きました。
建物の上の部分は曲線を描く枠組みと透明な壁で出来ていて、その周りをぐるりと蛇のような形のものが囲んでいます。その下の壁は半透明で一カ所入口らしいものがあるのですが、その近くの壁がめくり上げるように壊れ、大きな穴が開いていたのです。
「設備は無傷のはずじゃなかったんですか?」
「ここは状況が違うようですね。念のため少し離れた場所に着陸し、歩いて現場に向かいましょう」
村松は宮内にこう言ったのです。人間たちは異変に気付いても、その恐ろしさがわかっていませんでした。でも、私は建物からにじみ出る邪悪な気配に震えが止まりませんでした。何か恐ろしいものがあの中に隠れている、それは推測ではなく、事実の認知でした。
しかし、人間たちは建物に入るつもりのようでした。あなたが行くのであれば、私も一緒に行くしかありません。私はあなたの肩にしがみ付きました。
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