おかえりなさい

 「────あぁ、皆様本当にありがとうございます。こんな些細な事件のために、町中が一丸となってここまで協力してくれるとは思ってもいませんでした」


 マーリネイト嬢からの労いの言葉を、屋敷の門前に集まった住人たちの中から代表としてブルードが受け取っている。時折彼が僕へと向ける鋭利な視線が僕の身体に深く刺さる。もう彼の目には、僕の姿はただの薄汚い格好をした盗人としてしか映っていないだろう。


 かつての友人が盗みを働き、両膝を地面についた状態で、背中側に回された両手首を縄で拘束されている。彼の心境はいかがなものか。


 その視線に耐えかねて、顔をぷいと横に背けると、この状況に心から満足しているような笑顔を浮かべているマーリネイト嬢が視界に入った。


「大切な指輪を取り戻してきてくれたこと、レドフィル様をここまで連れてきてくれたこと。本当に心から感謝しております。ので、町の皆様には何かお礼の品を贈りたいをと考えているのですが、何がよろしいでしょうか?」


 ブルードが一瞬だけ、屋敷の前に群がっている人たちの方を振り向く。そして皆、あらかじめそう計画されていたかのうように、一糸乱れぬ動きで首を縦に振った。


「報酬とか見返りを求めて動いたやつはこの場にはいません。悪いことした奴は相手が誰であろうと許せねぇ、ただその気持ちが俺たちをここまで動かした。だから、報酬は何も要りません。マーリネイトお嬢様からの感謝の気持ちだけで、俺たちはもう十分腹一杯ですから」


「まぁ! そう言われてしまうと、何かを無理に渡すのはかえって迷惑になるかもしれませんね。それでは改めてお礼の言葉を皆様に贈ります。今回は本当にありがとうございました」


 群衆からわぁっと歓声が上がる。


 その興奮も冷めきらないうちに、ブルードがマーリネイト嬢に尋ねた。


「────だけど、その盗人野郎はもっと別の場所でこらしめてやることも出来るのに、どうしてわざわざ屋敷に。しかも、見張りもつけずに、こいつをほったらかしにするのはまずいと思うんですがね」


「いいんです。レドフィル様には後で、なぜこんなことをしたのかじっくりとお話を聞きたいので。それに、今のレドフィル様に抵抗する意志があるように見えませんし」


 二人の視線が少し下がり、僕に向けられる。


「……それもそうですね。でも、何かあったらすぐ呼んでください。町中総出で助けに行きますんで」


 最もらしい理由を聞かされてか、ブルードは頼もしげな言葉を最後に残し、それ以上は何も訊かなかった。


 そうして全員が一仕事終えた後の満足げな表情を浮かべて、ぞろぞろといつもの日常へと帰っていった。自分達は正しいことをしたんだと信じて疑わない、悲しいほど楽しそうで呑気な笑い声が、耳障りだった。


 噛み締めた奥歯から不快な音が鳴った。


「レドフィル」


 厳しい目つきをしたブルードが、低い声で僕の名を呼んだ。クローファンやその他の友人も、彼の周りに集まり、似たような目で僕を見る。


「あの箱は、どうした」


「あの箱?」


「とぼけるな。お前がクローファンから奪っていった箱だよ。どこにやった」


「あぁ、あれならエミにあげたよ。中に入ってた金も全部」


「……そうか」


「まさか取り返しに行くつもり? それだったら、箱の中の金も、エミのことも、何もかも全部、ブルードたちの好きなようにしなよ。僕にはもう関係ないから」


 僕の精一杯の強がり──もちろん彼らには僕が強がっているようには見せないのだが──を聞いて、ブルードは友人たちに「行くぞ」と短く声をかけてその場を離れていった。彼の不満げな声色が、僕の耳の中にずっと留まり続けている。


 人の気配が屋敷の門前からすっかり消えた頃。マーリネイト嬢が「はぁ」と小さくため息を吐いた。


「悪いことをした人は、相手が誰であろうと許さない……ですか。うふふふ」


 自分のために尽くしてくれた住民たちを小馬鹿にするような、腹の底から込み上がってくる可笑しさを半分以上堪えきれていない彼女の呟きが僕の耳に届いた。


 そんな彼女を揶揄うような気にはなれず、僕は口を閉ざしたまま地面を見つめていた。


「では、そろそろ帰りましょうか。レドフィル様。ずっとそうしているのは辛いでしょう?」


 いつもの調子で話しかけてきたマーリネイト嬢は、僕の身体の具合を気遣いながら、僕をゆっくりと立たせた。手首の縄は解いてくれなかった。


 そして、まだ自由に動かせない僕の腕にするりと艶かしく腕を絡めると、これまた随分と幸せそうな微笑みを僕に向けるのである。


 細糸すらも通れないほどの密着感。服の布ごしに感じるマーリネイト嬢の身体の感触には、女性らしさを感じる柔らかな弾力があった。それに加えて、マーリネイト嬢の精巧なつくりをした人形のように整った顔立ちに、花の香りを思わせる甘い匂い。僕に向けられる無垢な笑顔。


 不覚にも、彼女のことを「魅力的な女性」として認識し、ついついドキリとしてしまう。やはり僕は腐っても男ということか。


「ネイトさん、ちょっと痛い。腕の力緩めて」


「あぁごめんなさい。私ったらうっかり。えっと、……これくらいでどうですか?」


「うん、大丈夫」


 もう何日も前のことだ。マーリネイト嬢から恋文をもらうずっと前のこと。


 僕はこの屋敷の敷地に足を踏み入れることを夢に見ていた。そして町で時折見かけることのあったマーリネイト嬢と少しでもお近づきになれたならと、うっすらとした下心を抱えながら願っていた。


 諦めたい気持ち半分以上あるのに、諦めきれない気持ちがその埋まらない部分を占めてた。いっそのこと、すっぱりと諦めてしまえばよかったものを。曖昧な状態を続けてきたからこんなことになるんだ。


 どれだけ悔いても、やはり結果は変わらない。


 あれだけ憧れていたものがすぐそばにあるのに、どうしてか、ちっとも嬉しくない。嘘でもいいからと持ち上げようとした口角は、頑固に凝り固まっていて、ぴくりとも動かない。


 やや強引に彼女に腕を引かれて、屋敷の庭園を通り抜けて、玄関をくぐる。


 玄関をくぐってすぐの広間の壁にかけられている絵画『夕凪の姫』が、僕を見下ろしている、彼女の目は相変わらず憂いを帯びており、僕をそちら側へ誘おうとしている。


 この状況から逃げられるのなら、絵の中にだって逃げ込みたいものだが。

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