種が芽吹けば
わさわさと一箇所にまとめられた雑草の山が、僕の足元に転がっている。汗のしずくが頬を伝って僕の顎の先にぶらさがり、服の袖で拭うよりも早くに、しずくは乾いた土の上にポトリと落ちた。
空腹感や喉の渇き、肩や腰の痛みも覚えないほど、他のことには目もくれず、僕は畑の土の上に顔を出している雑草の芽を指でつまんでは引っこ抜いていった。自分の手が届く範囲の草をむしり終えると、少し場所を移し、また近くの草をむしっていく。退屈な繰り返し作業であることは間違いないのだが、今の僕にはこれくらいの簡単な作業をしている方が気が紛れるため、非常に都合がよかった。
なにせ、僕の背中には、肌を香ばしくあぶる太陽の熱のような、何者かの視線がじりじりと当て続けられているのである。どこを向いても人はいないし、畑を覗ける屋敷の窓を見ても人影はない。誰もそこにいないのに、誰かがそこにいて自分のことを見ている気がする。得体の知れない薄気味悪さを誤魔化すためには、こうやって、退屈に浸っている方がよい。
ここで、僕の方へと近づいてくる鮮明な人の気配とゆったりとした足音に気づき、僕は腰を上げて後ろを振り向いた。
「精が出ますな。レドフィル様」
「あぁ、タミヤさん。どうもです」
マルタポー氏と外出中だったタミヤさんが僕の気づかぬ間に帰ってきていたようだった。
いつもの使用人らしい整った服装ではなく、動きやすさを意識した土に汚れても問題のない服装に着替えているタミヤさんは、畑の畝やそこに植えられている野菜を踏まないよう慎重に、足元に気を配りながら僕の方へと近づいてきた。
「先ほど屋敷に着いた時、草むしりに夢中になっているレドフィル様の姿を見かけましてな。ひとりきりでは辛いだろうと思い、手伝いに来ました」
「いやそんな、辛いとかは別に。いつもやってることですし、慣れっこですよこんなの。むしろちょうど良かったくらいで……」
「ちょうど良い、とは?」
「あっいや、その」
うっかり本心を漏らしてしまい、言い淀む僕を見たタミヤさんは「ふむ」と全てを悟ったような相槌を打った後、僕の隣に立ち、まだ雑草の緑が目立つ土を見下ろしながら、すぅっと息を吸った。
「歳をとるとどうしても若い世代にあれこれと口を挟みたくなってしまいましてな。しばしの間お付き合いをお願いしたい。
人には話しづらいことのひとつやふたつくらい、誰しも心のうちに抱えているものです。それこそレドフィル様ほどのお若い方であれば、悩みの数は両手の指では足りませんでしょう。
しかし悩み事を抱えたままでいては心は蝕まれるばかり。心を病めば次は身体を病み、身体を病めば心はより酷く病んでいく。決して止まらぬ悪循環の中に身を落とすことは避けるべきです。
何かに没頭しそのことを忘れようとするのも気を楽にするひとつの手ではありますが、一番の特効薬は『誰かに悩みを相談すること』でしょうな。どうです。せっかくの機会ですし、ここでレドフィル様の悩みを打ち明けてみてはいかがですかな」
「…………」
「もちろん相談されたことは誰にも言いません。マーリネイトお嬢様にも決して」
「…………それなら、まぁ」
僕は再び土の上にしゃがみこむと、手の届く範囲の草を指でつまんではむしり始めた。タミヤさんも僕と同じように草むしりを始める。草のちぎれる音に耳を傾けつつ、僕はポツポツとタミヤさんに悩み事を打ち明けた。
僕を悩ませる一番の原因は、マーリネイト嬢との結婚に関するものであるため、彼女に仕えていたタミヤさんにそのことを打ち明けるのは少々躊躇われたが、せっかくの厚意を無駄にするわけにはいかないと、ついには打ち明けることにした────。
「出来ることなら、僕は今を保っていたいんです。僕一人の決断でネイトさんやエミ、その周りの人たちの将来が大きく変わることになるなんて、考えるだけでも恐ろしい。僕には荷が重すぎます」
草むしりを進める手はいつの間にか二人とも止まっていた。
ひとしきり僕が悩み事を話し終えた後、タミヤさんは口元に手を添え、土の上を忙しそうに駆け巡る蟻の列に視線を落としていた。その表情はいかにも真剣────というよりかは、不安になるほど無だった。
「タミヤさん?」
「……おっと、失礼。少し昔のことを思い出していたので、ついつい集中してしまいました」
タミヤさんの過去には、まだまだ未知の部分が広がってはいるものの、そういえばと思い出したことがあった。
「タミヤさんは、結婚する時に悩まなかったんですか」
「私ですか。えぇ、それはもちろん。嫌ってほど悩みましたとも。悩みすぎて頭痛がするくらい」
「それは、どうしてだったんですか」
「どうして。ふむ。どうしてですか。
……やはり、使用人という仕事に就いている以上、家族のことばかり気にかけていられないというのもありましたが、やはり一番は、『関係性が変わること』への恐怖が大きかったです。今までこれで上手くやってきたのだから、わざわざ道を変える必要はあるのだろうかと」
遠い場所に立っているような気がしていたタミヤさんが、僕と同じような悩みを抱えていたと知った瞬間、急に身近な存在に感じられた。
「とはいえ、これはあくまでも私なりの意見ですが、朝が来れば夜が来る、花が咲けば枯れていく、生まれれば死にゆく、あらゆる物事が移ろいゆく世界の中で『このままでいたい』『今の形を残しておきたい』と望むことは、冒涜的なわがままなのではないかと思いましてな。
どうにでもなるだろうという半ば自棄になったような気持ちで結婚することにしたのですが……、まぁ、結果はこの様です」
自分の過去を思い出してか、寂しげな笑みをこぼすタミヤさんを直視できず、僕はさっと視線を横にずらした。
「昔を思い出しては『ああすればよかったのでは』『こうすればよかったのでは』と後悔を繰り返すばかりではありますが、いつまでもそうしているわけにもいきませんからな。過去があっての今があると割り切るしかありません。それに、あの時の決断の間違っていたとは思いませんからな」
「ハッキリと決められただけでもすごいですよ。今の僕にはそれが出来ないんですから」
「ゆっくりと時間をかければいつか必ず────と言いたいところですが、今のレドフィル様に限ってはそういうわけにいきませんな……。あまり悠長にしていると、何が起こるやら」
「タミヤさん。僕はいったい、どうすればいいんですかね」
「……その質問には、私から言えることは何もありませんな」
ここでタミヤさんはずっと手を止めたままにしていた草むしりの作業に戻った。作業を進める速度は非常にゆっくりで、一本草をむしってから次の草に手をかけるまでの間が長かった。
「レドフィル様の決断には、助言することはできても、代わりを担うことはできません。自分がこれからどうしたいのかの決断は、常に自分の意思で決めるものです」
タミヤさんからの厳しい言葉に思わず笑ってしまった。
「厳しい言葉が傷口によく沁みますね」
「良い薬ほど傷口には酷く沁みるものですからな。ですがその分薬の効果が出始めるのも早く、効きも優れているものです」
「そうですね。なんとなくですが、気持ちが楽になった感じがします」
「それなら良かった」
タミヤさんは満足げに微笑むと、「ではそろそろ草むしりは終わらせましょうか」と力強く宣言し、草むしりの作業に集中し始めた。彼の働きぶりを倣い、僕もまた草むしりを始めた。
思うがままに葉を広げて陽を浴びている一際大きな雑草を見つけ、その茎にがしりと両手をかけ引っこ抜こうとするも、その雑草は土中に力強く根を張り巡らせているのかなかなか抜けない。「しぶとい奴め」と僕は一度深く呼吸をして、その雑草の周りの土を軽く手で削った後に根ごとその雑草を掘り起こした。
雑草ひとつ処理するだけにここまで手間をかける必要はあまり感じられない。どうせまたすぐ別の草が芽を出し、今僕らが綺麗にした土の上を緑に染め上げていくに違いない。農家と雑草は終わらない戦いを繰り返し続けているのである。だからといって手を抜くわけにはいかない。今のうちに処理できるものは全て処理しておくべきだ。
雑草の力強さを象徴するかのように太く広く育った雑草の根を見ながら、僕は自分なりに考えを巡らせた。
畑に生えた雑草は、人の悩み事とよく似ている。深く根を張ったもの、芽を出したばかりの弱々しいものと種類は様々で、休む暇なく次々と種は芽を出すため全てを取り除くことは出来なくとも、真摯に向き合っていれば数は減らすことができる────。
引っこ抜いた雑草を足下にぽとりと落として、僕はまた草むしりを始めた。
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