将来
窓の外は星が綺麗な暗い夜。僕の家の食卓はいつもよりもほんのちょっと、明るくて、賑やかで、美味しいそうな気配がした。
冷たい風が入ってくるからと窓を閉めたはいいものの、家のどこかにある隙間から、夜風は遠慮なしに部屋の中に迷い込んでくる。「寒いから帰ってくれ」と風に直接言ってやれたのなら、その風が聞き分け良く「わかったよ」と帰ってくれるのならどれだけ良いことか。
そんな気まぐれな風に揺られた白い湯気からは、かすかな空腹を耐え難いものにまで変えてしまうほど、食欲をそそる良い香りがする。
お腹の底から、ぐぅっと音が大きく鳴った。
「もうちょっと待ってて、レドフィル」
酒場で使っている給仕の三角頭巾とエプロンをほどきながら、エミが食卓に姿を見せた。暗い赤色の癖っ毛は、頭巾で押さえられていたせいもあって少し形が崩れている。そのことは本人も理解しているのか、手櫛で髪を軽くとかし、前髪の位置を軽く直している。
ぎっと椅子の足が床を擦って、エミが僕の右隣に座り、これでようやく食事を始める準備が整った。
「相変わらず美味しそうだね」
「そりゃあ毎日仕事で料理してるからね。自然と料理は上手くなるもんよ」
ここしばらくの間、エミは僕のためにわざわざ夕食を作りにきてくれることがあった。最初エミが「ご飯でも作ってあげようかなと思って」と家に来た時はもちろん驚いた。しかし、特に都合が悪いわけでもなく、断る理由も大してなく、むしろエミの料理が食べられるのであれば大歓迎だということで、僕は彼女の提案を受け入れた。
食材の味を隅から隅まで楽しむようにゆっくりと食事を進めながら、僕とエミは他愛のない話に花を咲かせた。
「そうだ。エミ、見せたいものがあるんだ」
食事の手を止め、僕は椅子から立ち上がり食卓から離れた。
向かったの寝室。そこの収納棚の一番上に置いてある鍵付きの小さな箱を、少し背伸びをして手に取り、秘密の場所に隠してある鍵と一緒にエミのところへ持っていった。
箱は僕の両手のひらにちょこんと乗ってしまうほどの大きさだが、確かな重さを感じる。テーブルの上に箱を乗せると、大きさからは想像もできないほどドスンと重たい音が鳴った。
「何の箱? これ」
「まぁまぁ、それは見ればすぐにわかるよ」
答え明かしを優しく焦らしながら、僕は箱の鍵を開けた。中身を覗くなりエミは「わっ」と嬉しそうな声を小さく上げた。
ゆっくりと開いた箱の中には硬貨が収められており、硬貨一枚一枚が明かりをぼんやりと反射して輝いている。硬貨の金額ごとに合わせて木の棒で区切りが設けられており、収められている硬貨の量は決して多いとは言えないが、僕がこれだけのお金を貯めたのはこれが初めてだろう。
「どうしたの、このお金」
「最近はマルタポーさんのところの畑のお世話の手伝いとかで、野菜を売る以外の収入が入るようになったんだ。僕一人で生活していく分にはちょっと多すぎるくらいだから、使わないお金は無理に使わないようにして、こうやって貯めてたんだ」
「何か買いたいものでもあるの?」
「いや、特に欲しいものはないかな。…………強いて言うなら、将来のために備えてるってところ。
僕だって、これから先もまだまだ生きていくわけだから、こういう蓄えは少しでも多い方がいいと思ってさ。それに、結婚のこととかも、ちょっとは考えるようになってきてるし────」
「結婚」
お金の入った箱の中身を見ていたエミが、バッと素早く顔を上げて僕の話を遮った。エミの声は、動きの勢いとは対照的にすごく冷静だった。
僕を見つめるエミの眼差しに込められているのは、おそろく期待。僕にそう言って欲しいと視線が強く訴えかけてくるが、彼女の期待にはまだ答えられそうにない。
「僕は誰と結婚したいのか」を一人胸の中で考えた時にエミの姿が浮かんでくる。ただ、その隣にマーリネイト嬢の姿もあるのだ。
「具体的な話は何も考えてないよ。ただ、何にせよお金が山ほど必要だってことくらいは僕にもわかる。だから、その時のため」
「なぁんだ。期待したのに損した」
「悪いね」
お金の入った箱をテーブルの隅の方へ追いやり、僕らはまた食事を始めた。
料理に使われている野菜はどれも僕の畑で育ったもので、昔から食べ慣れているはずの野菜が調理されて皿に盛り付けられているだけのはずなのだが、やけに美味しく感じる。
お腹が膨れつつあるのに、ついついおかわりをエミに要求してしまう。「食べ過ぎで後で苦しくなっても知らないから」と言いつつも、エミは差し出された皿を受け取って台所の方へ戻っていく。なんだかこの光景は見ていて心地が良い。
おかわりが盛り付けられた皿をエミから受け取り、また僕はゆっくりと食事を始めた。既に食事を終えているエミは椅子に座り直すと、テーブルの上に頬杖をついた姿勢で僕のことを見ている。
一口、二口、そして三口目を口に運ぶ寸前で、エミが「ねぇ」と僕に声をかけた。食事の手を止め、エミの方を向く。
「レドフィルはさ、結婚したら『こういうことがしたい』みたいなのある?」
「結婚したら、か」
「どんな家に住みたいとか、子どもは何人欲しいかとか、そういう話ね」
椅子の背もたれに深く背中を乗せて、視線を部屋の天井にぶつけ、うーんと唸りながら「もしも」の想像を膨らませていく。この時ばかりは「僕なんかがそんな生活を送れるわけが────」という自虐的結論には至らないように心がける。
なかなか良い案に辿り着けないでいると、先にエミが口を開いた。
「私は、家族のためにたくさん美味しい料理を作ってあげたい。家族みんなが『美味しい』って笑いながら食べてくれたら、いいな。で、その様子を私はにこにこしながら見守ってるの。作り甲斐があるなぁとか、次は何を作ろうかなぁって考えながらさ」
「エミっぽくていいね、それ。だったら僕は、今よりもっと広い畑のある家に住みたいかな。そこの畑で育てた野菜を家族みんなで食べるんだ。あとこれは個人的な夢だけど、野菜以外にも果物を育ててみたい」
そこから次々と話は膨らんでいき、実現可能かどうかはさておき、こんな間取りの家に住んでみたいだの、こんな場所に住んでみたいだのといった理想を話し合った。ただ、挙げられた理想を全て叶えるには、僕らの理想通りに整備された町や、自然環境そのものを新しく生み出すしかなさそうだった。こればっかりはどれだけ腕の良い建築家や庭師を雇ったところでどうにもならない。
「────それで、私、子どもは二人欲しい。女の子と男の子が一人ずつ」
「僕は性別関係なく一人かな」
子どもが何人もいたら育てるのが大変そうだとか、子どものためにかけるお金が増えるだとか、そんな野暮なことは言わない。僕らは今楽しい夢を見ているのだから、わざわざ自分から夢から醒めにいく必要もないだろう。
「兄弟がいる方が賑やかになって楽しいかもしれないけど、僕は自分の子どもに、僕が与えられる全てを注ぎ込んであげたいんだ。
愛情とか親としての厳しさみたいな、ぼんやりとしたものだけじゃなくて、子どもが『もっとご飯が食べたい』とおねだりをしてきたら、僕の分のご飯を分けてあげたり、その子が『やりたい』と言ったことはとりあえずやらせてみたりとかさ────」
僕の考えを聞いたエミが、ふふっと穏やかに笑った。
「その考え方、レドフィルっぽくて、好き」
『好き』という言葉に思わずドキリとして、僕は口を閉ざした。
僕らの夢語りはここで止まった。二人揃ってふぅと大きく息を吐き、口周りの疲労感と喉の渇きをゆるやかに味わった。
「…………エミはこの後どうする? 帰るなら家まで送っていくけど」
「んー。どうしよっかなー」
エミはにやにやとした笑みを浮かべながら答えた。悩み方が演技っぽくて、真剣に悩んでいるようには見えない。
「レドフィルが決めてよ」
「……僕がそういうの苦手だってこと、知ってるくせに言ってくるあたりが憎いよね」
僕が困ったふうに眉間に皺を寄せて後頭部を手でわしわしと掻いてるのを見て、エミが「えへへ」と悪戯っぽく笑った。こういうところも憎らしく、どこか愛らしい。
「…………泊まっていきなよ」
「やった」
使った食器の片付けを手早く済ませ、僕らは眠った。もちろん同じベッドの上で、小さな毛布を分け合いながら。
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