鈴を鳴らせば

 太陽が僕らの真上から傾き始めた頃、僕らは今日の農作業を終えた。三人それがぞれが「肩が痛い」「腰が痛い」「腕も痛い」だのと、身体のどこかしらに痛みを訴え、痛む部位を手でさすっていた。ちなみにマルタポー氏とタミヤさんは腰、僕は肩と腕を軽く痛めている。


 使った道具は三人で手分けして倉庫に片付け、収穫の時期を迎えた野菜たちがどさりと積もったカゴをひとまず屋敷の庭の日の当たらない場所に移した。


 ひとつのカゴを隙間なく埋める野菜たちの姿。この収穫量は、個人で管理している畑にしては十分すぎるほどのものだった。


 だが、少し気になる点があるとすれば────。


「不思議な形をしているだろう?」


 僕が思っていたことをそのまんまマルタポー氏は口にした。その隣にいるタミヤさんも頷いて静かに同意していた。


 マルタポー氏の言う通り、収穫された野菜はどれも不思議な形を、正確に言うなら、市場の商品棚に転がっているあの野菜たちの姿からはかけ離れた、やたら大きくまんまるな姿をしているのだ。これを可愛らしいと評価するか、不恰好と評価するかは、人によって意見が分かれそうだ。


 野菜の実はずしりと重く、表面から漂う香りも通常のものよりずっと強い。きっと味は問題ない、むしろ平均以上に美味しい可能性まである。最高の野菜料理を作るのであれば、市場で売られている野菜を使うも、悔しいが僕の育てた野菜を使うよりも、マルタポー氏が育てた野菜を使う方がずっと良いだろう。


 だが、このまんまるな見た目だけは、さすがに無視しきれないか……。


「私の屋敷の畑で育てる野菜は、みんなこんな風に育ってしまうんだよ。どれだけ丁寧に世話をしてやってもね。味は問題ないし、市場に売りに行くようなこともないから、そこまで真剣に問題解決に取り組んだことはないんだが……。

 レドフィルくんはこの野菜、どう思う? 何が原因かわかるかね」


 育ての親に似たんじゃないんですか。


 そんな皮肉は、ほんの少し汗が混じった塩気のある唾と一緒に、ごくりと飲み込んだ。


「育て方が丁寧すぎるのかもしれませんね。水や肥料をあげる回数を少し減らして、野菜本来の力で成長させててみるといいかもしれません」


「おぉ、なるほど、水と肥料の量か……たしかにあまり気にかけたことはなかったが、もしかしたら────。うむ、やはり頼るべきは専門家の知識と経験だな。次からは気をつけてみるよ」


 マルタポー氏が上機嫌に笑いながら、僕の背中をその分厚い手のひらでパンパンと優しく叩いてきた。


 しゃらん……


「おっと」


 その弾みで、マルタポー氏の懐から鈴がぽとりと転がり落ち、涼しげな音色を奏でながら地面に落下した。


 僕はその音に反応して眉をピクリと動かしたが、この鈴の音にやたら敏感なタミヤさんは、鈴の音を聞いた瞬間に雰囲気が変わった。タミヤさんの背筋はピンと伸び、先ほどの和やかな表情もどこかへ消えて、かすかに眉間に皺が寄った真剣な表情が浮かび上がってきた。


 ところが、すぐに綺麗な姿勢も険しい表情も柔らかくなり、はぁと溜息をついて、タミヤさんは困ったように笑った。


「……いけませんな。こればっかりはどうしても、つい」


 鈴の魔法。その存在を僕が思い出したのはつい先日のことである。


 マルタポー氏の妻、マディシア氏は魔法使いだったと話を聞かされたことがある。そのマディシア氏と、若かりし頃のタミヤさんが協力し合い、限りなく理想に近い最高の使用人を生み出すために考案したのが、その鈴の魔法というやつだった。


 この魔法の効果を受けた使用人は、主人が鳴らした「鈴」の音を聞き逃さなくなる。屋敷の敷地内という制限はあるものの、この屋敷の広い敷地の中のどこにいても鈴の音を聞き取り、主人の元まで駆けつけるのだという。


 にわかには信じ難いが、僕自身の目がそういった光景を何度も目にしているのだから、どれだけ魔法の仕組みや作用について疑問点が残っていたとしても、「そういうものがあるんだ」と素直に信じるしかない。わからないものは、どうやったってわからないものだ。


「いつかタリスさんもタミヤさんみたいに、どこにいても鈴の音が聞こえるようになるんですかね」


「そうですな。遅かれ早かれ、いつかはそうなるでしょう。私としては複雑な気持ちですが」


 この鈴の魔法は、マディシア氏が残した秘密の本を通じてマーリネイト嬢に受け継がれている。


 ただ、この場で鈴の魔法について一番詳しいことを知っているのはタミヤさん一人。マルタポー氏は一度マディシア氏から特別講義は受けたらしいのだが、何が何だかさっぱりだったらしい。


 鈴の魔法という懐かしい話題が上がったことをきっかけにして、マルタポー氏は次々とタミヤさんに質問を投げかけている。タミヤさんは巧い説明の仕方に頭を悩ませつつも、なんとかしてわかりやすく質問に答えられないかと必死に言葉を選んでいるように見える。


 もっともそこまで丁寧に説明されたとしても、知識の薄い僕にはさっぱり何を言っているのかがわからないのだが。


「────つまり、この魔法が影響するのは、被術者の『耳』と『気持ち』、この二つの部分です。

 勘違いしないでいただきたいのは、その鈴自体が不思議な道具なのではなく、鈴はあくまでも引き金です。

 術者との特訓により被術者は鈴の音に敏感になり、術者の暗示によって強く刷り込まれた『理想の使用人の姿』を思い出します。これは気持ちの切り替え、とも言えるでしょうね。

 たとえば、大事な仕事に取り掛かる前に自分の頬を手のひらでパンと叩く時のアレのような、もしくは、浮かない気持ちを晴らすために冷水で顔を洗うアレのような」


「気持ちの切り替え、かぁ。うーむ……。とこんわかりやすく説明してもらった身でこう言うのもなんなんだが、わかったようなわからないような……」


「無理もありませんな。この魔法を考案なされたマディシア様は、あまりにも魔法の才能が豊かな方でしたから。私もあのお方の後を着いて歩くのに必死になっていた覚えがあります」


「偉大なる魔法使いシアの魔法講座は、居眠りも欠席もせず、もっと真面目に受けておくべきだったかな。そうすれば私も今では立派な魔法使いになって、ぱちんと指を鳴らすだけで仕事先に飛んで行けたり……なんてな。そワハハ」


 僕を置いてけぼりにして楽しそうに会話を繰り広げるマルタポー氏とタミヤさん。聞こえてくる話はほとんど耳を通り抜けていったのだが、最後の最後のまとめに、タミヤさんが言っていた説明で、僕の頭の中にふっと湧いた疑問があった。そしてそれがもし本当だったのなら、僕にとってはある種の希望というか夢というか、叶えられる願いがあるのではないかなと。


「タミヤさん。その魔法って応用が効いたりしませんか?」


「応用、と申しますと」


「たとえば、理想の使用人としての姿を刷り込むんじゃなくて、別の姿を刷り込んだり……みたいな」


 タミヤさんは僕の質問を聞いて口を固く閉ざした。口元に手をあてがい、僕の質問に対して必死に考えてくれているようなそぶりがあった。



「…………もしかしたら可能かも知れません。ただ絶対にとは言い切れませんな。この魔法の考案者であるマディシア様であれば、何か知っていたのかも知れませんが」


 期待取りの展開が簡単には実現できなさそうで、僕は首をすくめた。


「もしどんな姿にでもなれるんだったら、『自信に満ち溢れた僕』にもなれたりするのかなー、って考えてみたんですけどね」


「あまりおすすめはしませんぞ」


「……どうしてです?」


「この魔法において主導権を握ることが出来るのは、理想の自分を思い描いている被術者ではなく、暗示をかける術者です。

 そうでなければ、私は、この役目を終えた後のことを考えるはずがありませんから」

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