第五章
使用人として
今日も僕はマルタポー氏の屋敷の畑にいた。いつもと違うことがあるとするならば、畑にいるのが僕一人ではないということだろうか。
「おぉいレドフィルくーん。そろそろ休憩にしようかー」
屋敷の畑の少し遠い場所から、マルタポー氏が僕を呼んだ。彼の隣にはタミヤさんもいた。「もう少しだけやらせてくれ」とわがままを言いたい気持ちをぐっと抑え、頬を伝った汗を服の袖で素早く拭い、二人に手を振りながら「わかりましたー」と明るく返事をした。
マルタポー氏は長期の仕事から無事に帰ってきて、しばしの休暇の後、また趣味の園芸活動に没頭し始めた。不在のマルタポー氏に代わって畑の世話をしていた僕には、彼からきちんとその分の報酬をもらった。その際に「これからもお願いしていいかな」と改めて依頼され、今日も僕はマルタポー氏と共に農作業に励んでいる。
マルタポー氏が戻ってきてからの畑仕事は一層畑仕事らしくなった。草むしりや農作物への水やりだけにとどまらず、「今日はこの野菜を植えよう」だの「そろそろ収穫してみよう」だの「ここの土を耕そう」だのと、肉体への疲労がぐっと溜まる指示が次々と下された。
複数人で行う畑仕事は一人で黙々とやるよりも作業の進歩が早い。一人では朝から昼にかけて、手を休めることなくずっと働き続けなければ終わらなさそうな作業も、三人の力を合わせれば、作業の合間にのんびりと休憩が出来るほどの余裕が生まれる。
そして何より楽しい。作業の途中に挟まる何気ない会話は、作業の妨げにはならず、むしろ僕らにもう少しの踏ん張りを与えてくれるような気がした。
各々が庭園を通り抜ける風に当たりながら、手ぬぐいで顔や腕、腹や背中を拭っていた。その風のひんやりとした肌触りは、農作業による火照りをすぅっと冷ましてくれた。
ぞろぞろと男三人がサヒレス園の芝の上に、マルタポー氏、タミヤさん、僕、の並びで腰を下ろし、揃ってほうっと深く息を吐いた。
以前であれば、僕が農作業を終えた時、もしくは小休憩を挟もうとすると、軽い足音をたてながら「彼女」が畑の方へ出てくるのだが、今日はいつもと事情が違うらしい。
「ネイトさんとタリスさんは、今も『特訓中』ですか」
「そのようです」タミヤさんが答えた。
「あまり急ぐ必要はないかと思うのですが……。まぁ、父親の負担を少しでも早くに減らしてあげたいという、あの子なりの優しさという風に、都合よく捉えておきましょうか」
数日前。マルタポー氏が不在の間に、屋敷で使用人として働いているタミヤさんの娘がこの町に越してきた。彼女の名前はタリスさん。しばらくの間はこの屋敷の一室で寝泊まりをし、マルタポー氏やマーリネイト嬢、それから父親のタミヤさんと一緒に暮らすことになっている。自分が不在の間に屋敷に住む人間が増えていたことにマルタポー氏は最初こそ驚いていたものの、すぐに温かく彼女を新しい家族として迎え入れていた。
町に越してくる前の彼女は父親と同じように使用人としての職に就いていたらしく、この町の環境に馴染んだ後、また使用人としての仕事を始めると言っていた。
タリスさんが新天地での環境に馴染むまでには少々時間がかかるように思っていたのだが、タリスさんの勤め先は既に決まった。僕のちょっとしたお節介で。
「最初に『タリスさんをこの屋敷の使用人として雇ってみてはどうか』と勝手に提案したのは僕でしたけど、まさかネイトさんもあそこまで僕の意見を推してくれるとは思いませんでしたね」
「いや、あの時のレドフィル君の意見は筋が通っていたよ。うっかり見落としていた部分に、ようやく光が当たったような気分だった。
私はそばにタミヤがいるのが当たり前の環境で長い間暮らしてきたから、勝手に『これからもタミヤがこの屋敷の使用人として働いてくれる』だろうと思い込んでいたからね。あの時の君の提案がなければ、タミヤがヨボヨボになっていたとしても私は働かせていたかもしれないな。いや本当に」
「さらりと恐ろしいことを言いましたね」
マルタポー氏とタミヤさんが、揃って口を大きく開けて豪快に笑った。
ひとしきり笑ったタミヤさんの目は儚げに細まり、サヒレス園を囲む生垣のさらに向こう側を見据えている、ような気がした。
「生涯をかけてマルタポー様やマーリネイトお嬢様にお仕えするつもりでいましたが、いやはや、いくら気持ちは強くあれど、老いには決して逆らえないもので」
タミヤさんの現在の自分を悔いているような、寂しげな言葉を聞いて、マルタポー氏が「うーん」と唸りながら腕を組んだ。
「そう思えば、タミヤはかなり長い間私たちと一緒にいてくれたなぁ……。毎日のように私たちに尽くしてくれて、たまにはちゃんと休めと強く言って暇を出しても、『落ち着かないから』と言って勝手に屋敷中の掃除を始めたり、急ぎの要件でもないのに物置の片付けを始めたり────」
「それは若い時の話ではありませんか!」
タミヤさんが恥ずかしそうにしながらマルタポー氏の思い出話を遮った。
「今ではもう少し気持ちの分別はしっかりとつけられているつもりです」
「どうだか。今日だって別に、タミヤには『畑仕事を手伝え』とは一言も言ってないからな。タミヤが勝手についてきたようなものだ。
それに。腰を痛めているとレドフィル君からも少し聞いたぞ。そんなに無理なんかしなくてもいいと言うのに」
「無理をしているつもりはないのですが……。まぁ、他人からそう見られているようであれば、素直に聞き入れるしかありませんな……」
いつも淡々と仕事をこなす、欠点らしい欠点も見当たらないような人物だと思っていたタミヤさんの意外な一面が知れた。
「まぁとにかくだ。まだ色々と不安に思うところはあるかも知れないけども、これを機会に、使用人の立場から離れて、ゆっくりと気ままに暮らすのも悪くないんじゃないかな。たとえば、ほら────えーっと、たしか……。レドフィル君、町の中には売りに出されている家があったりするよな」
野菜を売りに町を出歩いている際に、売りに出されている家を見たことがあったため、突然投げられた質問に戸惑いつつも僕はマルタポー氏の質問に「はい」と答えた。
「詳しい場所までは覚えていませんけども、ひとりで暮らすには申し分ないだけの家がいくつかあったような」
「うむ。家賃とか家具の購入とか、そういった金銭面の支援は、今までの恩返しのつもりでいくらでもするからさ。どうだい。これも悪くない提案と思わないかな? この屋敷にいると仕事のばかり考えそうだからなタミヤは」
タミヤさんは顎を指で撫でながら、最初こそマルタポー氏からの提案についてあれこれと頭の中で色々と思案していたようだったが、ついには全てに納得がいったのか満足げに大きく頷いた。
「そう、ですな。これから先は、第二の人生とでも言いましょうか、それを歩んでいくのも良いかもしれません」
「なら決まりだな。長いこと世話になったよ、タミヤ。これからは自分の人生を、自分のために使ってくれ」
「いえいえ。こちらこそ長い間お世話になりました。娘のことを、どうかよろしくお願い致します」
マルタポー氏とタミヤさんはお互いにがっちりと握手を交わした。微笑む二人を静かに見ながら僕は、二人の過去を勝手にあれこれと想像し、その関係性に一旦の区切りがついてしまったことに、思わず涙ぐんだ。手ぬぐいで額に落ちた汗を拭うフリをして、目尻にちょっと溜まった涙はかき消した。
「とは言え、タリスさんはまだ『特訓中』の身だからね。彼女がうちの立派なメイドになるまでは、タミヤの力に頼ってしまいそうだけど……」
「構いません。最後の最後まで主人に頼りにしていただけるのであれば、使用人としてそれ以上誇らしいことはありませんからな」
本当のお別れは、まだ少し先になりそうだった。
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