僕らしさ

 タミヤさんの仕事の手伝いを終え、マーリネイト嬢とタリスさんに別れの言葉を伝えた後、僕は和やかな気持ちで屋敷を出た。


 家へ戻るまでの道の途中で、偶然鍛冶屋のブルードと出会った。日に焼けた剛腕を気さくに持ち上げ、低く男らしい声で威勢よく「よぉレドフィル!」と僕を呼んだ。


「今から酒でも飲みに行こうかと思ってたんだけど、一緒にどうだ?」


 久々に──と言ってもほんの数日程度だが──顔を合わせた友人から飲みに誘われたのなら断る理由は僕にはない。懐に入れているお金も、お酒一杯分くらいなら事足りるだろう。


 僕はブルードの誘いを快く受け入れ、彼と肩を並べて酒場へと向かった。


 酒場に入り適当に空いていた席に座る。僕の座った席の向かいにブルードが座り、彼は近くにいた給仕の女性に声をかけて、ウィル・スキップと適当な料理を何品か注文をした。ブルードが注文を終えると、給仕の女性の視線が僕へと移る。


 『どっちつかずの酒』として悪名高いロザリーを注文したのだが、運悪くそれは在庫切れだった。今まで飲んでみたことがない酒に挑戦してみようかとも考えたが、結局は僕もウィル・スキップを注文した。お腹はそこまで空いていないため、つまみは頼まなかった。


 在庫切れなら仕方がないかと前向きに諦めをつけようとしたのだが、ふと『ある問題点』を思い出してしまい、大きな溜め息を吐く。


「参ったな……」


「どうしたレドフィル、そんな暗い顔して」


「ウィル・スキップだよ。エミに聞いたんだけど、あれついこの間品薄で値上げしたって話じゃないか。一杯分なら支払えるだけの金は一応持ってるんだけど、これはちょっと思わぬ出費だな……」


「値上げ? ……俺そんな話一回も聞いたことねぇけどな」


「えっ、嘘」


「エミに騙されたんじゃねぇの?」


「エミが僕を騙す────? 僕なんかを騙して何になるのさ」


「…………さぁ? お前から金を巻き上げるために────いや、エミがそんなことするわけねぇか。ましてやレドフィル相手に」


 ブルードの口角がいやらしく持ち上がる。


 もちろん彼はエミがどんな人物かをよく知っているし、エミが僕に対して好意を持っていることも当然知っている。


 それ以上ウィル・スキップの値上げについての話題はさほど広がらず、あとは思いつくままに適当に話をしていると、給仕の女性が酒の入ったカップを持ってきてくれた。

 女性からカップを受け取った後、僕とブルードは視線を合わせてニッと笑う。


「乾杯」


 お決まりの短い挨拶の後、カップの飲み口の縁を軽くぶつけ合った。


 しばらく経ってようやくつまみの料理が運ばれてきた。料理を運んできたのはエミだった。


「ブルードにレドフィルじゃん。なんか二人が並んでるところ久しぶりに見た気がする」


「よぉエミ。いや実はな、さっきそこでレドフィルと会ってよ。せっかくだから久しぶりに二人で飲みに行こうぜって俺が誘ったんだよ」


 僕とブルードに短く声をかけたあと、エミは運んできた料理の盛り付けられた皿をテーブルの中央に置いた。


 マーリネイト嬢の屋敷で夕食を終えてほんの少ししか経っていないが、胃の中のわずかな空白部分を押し広げるような食欲をそそる香りが、白い湯気と共に昇っている。


 僕は思わず鼻で息を吸うのを止め、カップに注がれた酒を飲むふりをして鼻に残った料理の匂いを誤魔化した。そうでもしなければ、僕は自分に課した「一杯だけ飲む」という約束を軽々しく放棄することになってしまいそうだったからだ。


 それでも酒の匂いよりもずっと僕の理性を保つのに役立ってくれたのは、「僕には手持ちのお金がないんだ」という、心の中で復唱すればするほど寂しい気持ちになる事実だった。


 中央に置かれた皿を自分の方に寄せると、「相変わらず美味そうな料理だなぁ」と一言感想を述べて、ブルードは物凄い勢いで食事を始めた。がつがつと料理を口へ運び、喉に波を打ちながら酒を飲み干していく。エミも僕と同じように、ブルードの食いっぷりを見届けていた。


 言葉を失うほどに豪快で野生的。


 あっという間に皿とカップを空っぽにしてしまったブルードは、まだその場に残っていたエミに酒と料理のおかわりを要求した。「とんでもないものを見てしまった」とでも言いたげな、開いた口をそのままにした表情で、エミは空っぽの皿とカップを両手に持って店の奥に戻っていった。


「悪いな。今日はほとんど何も食わずに働いていたもんだから、腹が減って頭がどうにかなりそうだったんで、ついな」


 呆然としていた僕には、「いや。いいよ」くらいのそっけない言葉しか返せなかった。ただ自分の友人がご飯を食べていた、ただそれだけの何気ない日常の風景にここまで圧倒されるとは思いもしなかった。


 その後に運ばれてきた料理と酒はゆっくりと食べ進めた。食事よりも僕との会話の方に意識が向いていたせいもあるだろう。


「レドフィル、お前なんか雰囲気変わったよな。自信がちょっと出始めたというかさ。言っちゃ悪いんだけど、一番お前らしかった部分が薄れ始めてるんだよな。自分に自信が持てなくて、ウジウジしてたあの感じがさ」


「……そう? 実感ないんだけど。ブルードの気のせいじゃない?」


「いいや、これが気のせいであってたまるか。お前、ここしばらくの間に何があった」


 テーブルにどんと両拳を置き、ブルードはずいと僕に迫った。酒で酔ってふざけているようには見えない。彼の目つきは真剣そのもので、僕に訪れた変化の原因を突き止めようと必死になっている。


 僕はまだカップの中に半分以上残っている酒に上唇を浸しながら、ブルードからの問いかけになんと答えるべきかを必死に考え、ついには気まずさからそっと顔を逸らす。そちらを向いていなくともわかるほど、ブルードは静かに、そしてしつこく『答え』を求めてくる。


 そうしてやっとの思いで浮かんだのは、ひどく言葉足らずで、悲しいほど情けないもので。


「別に、僕は何もしてないのに────」


「女でも抱いたか」


「ぶっ」


 口をつけていたままのカップの中で、酒が泡だち、一部は飛沫となってカップの中で飛び散った。


「当たりだな。相手は誰だ?」


「適当なことは言わないでくれ! 僕は誰も抱いてなんかないし、全部ブルードの気のせいだよ! そう、そうに違いない!」


 僕の言葉に耳を貸す様子はなく、ブルードは自分一人の世界に潜り込みあれこれと『答え』を探し始めた。食事を進める手は完全に止まった。たくましい両腕を組んだ姿勢でわずかに下を向き、テーブルの天板を視線で焦がそうとデモしているのかと思うほどじっと一点を見つめている。


 時折聞こえてくる彼の独り言は、わざと僕に聞かせようとしているのかと思うほどに声が大きい。


「一番の候補はエミかマーリネイト嬢だが、もしや他にも相手がいるかもしれんな────」


「もうやめてくれ……」


 奇妙な恥ずかしさに耐えかねて、僕は両手で顔を覆った。頬の熱が手のひらからじんわりと伝わってくる。自分の心臓が激しく脈打ち始めているのも、なんとなく感じとった。


 きっと今の僕の頬は赤く染まっているのだろう。酒のせいではなく、もっと他の理由で。


 げらげらと声を上げて笑うブルードを、僕は少しだけ開けた指の隙間から、恨めしそうに、ひっそりと眉間に皺を寄せながら見つめた。どうしてそんな変なことを聞くのか、ではなく、なんでそんなことにまで気づけてしまうんだ君は、という気持ちを込めて。


 散々エミのことを「わかりやすい」と他人事のように言ってきたが、僕もそうなのかもしれない。


 今なら、尚更もっと────。

 

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