『新しい風』

 サヒレス園でのひと時を過ごした後、マーリネイト嬢から「ご一緒に夕食でもどうですか」と誘われた。


 断る理由は特になかったため、この屋敷では普段からどんな料理が振る舞われているのかも前々から気になっていたため夕食の場にお邪魔することにさせてもらった。


 屋敷の食堂の中央部部には長いテーブルが置かれていた。そのテーブル自体が特別豪華な装飾を施されているとか、金ピカに光り輝いているなんてことはなかった。それでも、テーブルを初めて見た時に「あぁまたか」というこの気持ちを抱かずにはいられなかった。


 マルタポー氏への家具へのこだわりは一際強いのかもしれない。使わなくなった家具などが倉庫でホコリを被ったまま眠っているのであれば、譲ってはもらえないだろうか。


 僕とマーリネイト嬢が隣り合う形で席につき──この時、マーリネイト嬢はお互いの食事の邪魔にならない程度に僕の方まで椅子を寄せてきている──、僕の斜め向かいの席にタリスさんが座った。


 タミヤさんは僕らが食事を終えるまでのしばらくの間、給仕としての仕事を全うするつもりだったようだが、僕が「せっかくだから皆で一緒に食べないか」と提案したところ、誰も僕の意見に反対する者はいなかった。食堂全体を包む雰囲気に乗せられたまま、タミヤさんは素直に僕の向かいの席に座った。


 この食堂で繰り広げられた会話の主導権はマーリネイト嬢が握っていた。大方彼女が話を振るのはタリスさんやタミヤさんの方ばかりで、僕は横で彼女たちの話に聞き耳を立てながら、初めて舌に乗せた料理の数々に舌鼓をうち、時には静かにこっそりと顔をしかめさせた。食べ慣れない味の料理を喉の奥へと押し込むのはなかなかに困難であった。


「────以前からお仕えしていた方が、先日亡くなってしまいまして。メイドの求人を出しているような家もほとんどいないようなひっそりとした町でしたから、これからどうしたものかとひどく頭を悩ませていたのです。

 それで、父からは『何か困ったことがあればいつでも自分を頼りなさい』としつこく手紙で聞かされていたので、大した目的や理由もなく同じ場所に長く留まっているよりかはずっと良いだろうと思い、この町に越してくることに決めました」


 タリスさんはタミヤさんの方をちらりと見た。娘からの視線を食らったタミヤさんは空々しく咳払いをし、「えー、ですから」と一言挟んだ後に、話を継いだ。


「困ったときはお互いに支え合うのが家族。たとえ離れて暮らしていたとしても、私とタリスは血のつながった家族ですから……あぁいや、これは都合の良い綺麗事ですかな。

 真に娘のことを大切に思っているのであれば、もっと早くにタリスの元へと向かうべきだったのではないかと、色々と思うところがございます」


 表情が僅かに曇ったタミヤさんに向かって、マーリネイト嬢は「いいえ」と首を横に小さく振った。


「タミヤをこの屋敷に留めておいた、あえて悪く言うのであれば、縛り付けていたのは私たちなのですから。そう気にする必要はありませんよ。もしこの場に父がいたら、私と同じことを言うでしょうね。

 大切な家族を思う。世界広しと言えどそれを罪と数える場所は、空想の世界にしか存在しないでしょう。ですからタミヤも、そう深く思い悩むことなく、これからはタリスさんと一緒に過ごす日々を大切になさってください」

 

 横から見ても美しい微笑み顔は、一向に食事の手が進まないままだったタミヤに向けられた。そして次に「もちろんタリスさんも、ですよ」と言葉を継ぎ足しタリスさんの方を見た。


 タリスさんの背筋がピンと伸び、緊張でわずかに裏返った声で「はい! ありがとうございます!」と返事をした。


「それじゃあタリスさんは、この町でまたメイドとしてのお仕事を探すんですか?」


 なんとなく気になったことを僕が尋ねると、タリスさんは「そのつもりです」と短く答えた。


「とはいえ、まずは新しい環境に慣れることから始めようと思います。新しい家、新しい町。新しい風に新しい景色。どれも今の私には新鮮すぎて、その場に立っているだけでも億劫な気持ちになってしまいますので」


 それもそうか、と一人納得した。僕は生まれてからずっとこの町に住んでいるから、住む場所を変えるという感覚にはあまりピンとこないのだが、なんとなくでも想像はできる。


 住む家が変われば、朝目が覚めて最初に見るのは見慣れない天井になるだろう。


 暮らす街が変われば、どこに行っても知らない道に出るだろう。


 その新鮮さを味わうことが僕らの知識や経験を実り豊かなものにしてくれるのだとしても、それを実行することになったらと考えると、いささか躊躇いと恐怖を覚える。


 僕はこれからもずっとこの町で暮らしていたい。やむを得ない事情がない限りは、だが。


「ところでなんですけど、あの、お二人は本当にご結婚などはされていないのですか……? そのわりには、あまりにも仲がよろしいように見えるので……」


 躊躇いがちに、目をキョロキョロ泳がせながらタリスさんは僕とマーリネイト嬢に尋ねた。ぎくりと背筋に嫌な予感が走る。


「はい。私はレドフィル様とは結婚していませんし、恋人としての関係も持っておりませんよ」


 既に一度タリスさんには僕が「婚約者である」と嘘を教えていたようなので、二度目の嘘は通じないと判断したのか意外にもマーリネイト嬢は正直に答えた。


 また面倒なことになるのではと恐れていた僕は、ひとまずほっと胸を撫で下ろす。


「でもいつかは、という話でしたよね。レドフィル様」

「えあっ?」


 思わず間抜けな声が出る。そんな話はした覚えが────いや、まぁ、そういう風に捉えられなくはないか。


 マーリネイト嬢の言葉を聞いたタリスさんが「おぉ!」と感嘆の声をあげながら、その目を一際眩く輝かせた。どうして僕らみたいな年頃の人間は、他人の恋愛事情に強く興味を持ってしまうのか。


 タリスさんは、あくまで仕事の都合上そうせざるを得なかったとでもいう風に、メイドとしての姿や振る舞いも忘れて『普通の女の子』としてマーリネイト嬢と接し始めた。緊張もほぐれてきたのか、口調は先ほどのものよりもずっと砕け、会話の中に混じる身振り手振りも大きくなっている。


「町で一目惚れしてそのまま恋文を!? うひゃあ、かなり大胆なことしましたねマーリネイトさん。でもすごいなぁ。私だったら絶対にそんなこと出来ないや」


「あの時の私は、とにかく自分の想いをレドフィル様に伝えなければと必死になっていましたから。……でも、改まってそう言われると、なんだか恥ずかしいですね」


 女性二人でわいわいと盛り上がり続ける会話に聞き耳を立てていると、ふとタミヤさんと目があった。


 そして二人揃って呆れたように小さく肩をすくめた。僕らには言葉は交わさずとも通じ合うものがあったらしい。


 今思えば、同性の年齢が近い存在が身近にいなかったマーリネイト嬢にとって、タリスさんと出会いや交流は彼女にとっては真新しいものではないだろうか。同性で年齢が近い存在といえば、エミもそれにあたるのだが、マーリネイト嬢がエミのことをどう思っているかは既に知れている。


 二人の楽しげな様子を見ていると、共に新しい環境に身を置くことになった同士良い関係を築ければいいのだが、なんて保護者みたいなことを思わず考えてしまった。


 食事を終えると、マーリネイト嬢とタリスさんは「まだまだ話したいことがたくさんある」とのことで先に部屋へと戻って行ってしまった。


 食堂に残されたのは僕とタミヤさんの二人だけ。夕食をご馳走になった身分でこのままさっさと帰るのは流石に無遠慮かと思い、タミヤさんの仕事を自分に出来る範囲で手伝うことにした。


 ほとんどの後片付けを終えた後、僕に背を向けたままのタミヤさんが腰に手を当て重い溜め息を吐いていた。


「腰、痛めましたか?」


 まさか僕に見られているとは思ってもいなかったのか、それともうっかり僕が近くにいることを忘れていたせいか、タミヤさんは恥ずかしそうに頭の後ろを手で掻きながら僕の方を向いた。


「お恥ずかしいところを見られてしまいました。……そこまで酷い痛みではありませんが、動くたびに気になる程度には痛むようになってしまいましたね」


「無理だけはしないでください。いざとなったら、僕はいくらでもタミヤさんのお仕事手伝いしますから。……出来る範囲で、ですけど」


「頼もしい限りですな。……しかし、その方が確かに良いかもしれませんな。もう私も若くはありませんゆえに────」

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