メイド、参上

 事が大きく動き始めたのは、その翌日だった。


 いつものようにやるべきことを終え、マーリネイト嬢が待つ屋敷へと向かう。ここまでは普段と何も変わらない。


 今日は普段と何かが違うようだ、と一番最初に気づいたのは屋敷の門の前に立った時だ。


 ここで少し待っていればタミヤさんが僕を出迎えてくれるのだが、今日はどうにも様子がおかしい。待てども待てども誰かがやってくる様子はない。けれども、屋敷からは確実に人の気配が漂っている。


 屋敷を囲む格子柵や壁をよじ登って侵入することも密かに考えてみた。出来ないことはなさそうだが、やっていることが盗人の行いとほぼ同じのため実行する気にはなれなかった。


 もしその様子を誰かに見られでもしたら、僕の立場も危うい。『貧乏な農家』という肩書きが一瞬にして『ただの盗人』になってしまう。


 どうしたものかと門の前で顎を指で撫でていると、ようやく屋敷の玄関から、両腕で荷物を重そうに抱えた人がふらふらと出てきた。タミヤさんだ。


 彼は僕の姿を気づくと抱えていた荷物を一旦その場に置き、「気づくのが遅くなってしまいました」と小さく頭を下げながら僕を屋敷へと迎え入れてくれた。


 タミヤさんの顔にはかすかな疲労の色と隠しきれない喜びが浮かび、額は汗の粒がふたつ浮かんでいる。彼の象徴とも言える紳士的で高級そうな服装は着ておらず、動きやすい格好をしている。


「屋敷の掃除か何かでもしてたんですか? しかも結構大がかりな」


「まぁ、そんなところです。つい先ほど娘が町に到着しまして、しばらく彼女が住むことになるであろう部屋の掃除を皆でしていたところなのです」


「娘……? あぁ! 昨日していた話のですね。……ん? つい先ほど?」


 胸の中に抱いたわずかな疑問を声に出すと、それを聞いたタミヤさんが、真実に気づかれてしまったことへの羞恥心を必死に誤魔化すように、高らかに笑った。


「いやぁ、昨日の私はちょっと、いや、だいぶどうかしてましたな。冷静に考えてみれば、手紙が届いたその日のうちに娘が帰ってくるわけがないのに、今か今かとあんな場所に立って待ち続けていたんですから。いや本当に、どうにかしてましたなぁ」


 昨日僕が見つけたタミヤさんは、夜が深くなっても現れることのない待ち人がやって来るのを待っていた。タミヤさんらしくない間抜けな話ではあるが、それはタミヤさんが持っている娘への深い愛情の表れとも取れる。長い間離れ離れに暮らしていたとしても、決して劣化することのない愛情を自分の子どもに注ぎ続けていたタミヤさんが、誰もが求める『父親』という存在の理想像のように見えた。


 屋敷の玄関扉をくぐる直前に、タミヤさんが玄関先に置いていた重たそうな荷物が目に入った。


 今屋敷にいるのは、タミヤさんと、それからマーリネイト嬢に、おそらくタミヤさんの娘もいるだろう。この重たそうな荷物を運ぶのは必然的に、唯一の男性であるタミヤさん。しかし、いくら男性とはいえ、タミヤさんは僕らなんかよりもずっと年齢を重ねている。瞬間、先ほど玄関から出てきたタミヤさんの姿が頭に浮かぶ。


「掃除、手伝いますよ。重たい荷物があれば僕が運びますから」


 申し訳なさと安堵の気持ちが入り混じった表情で、タミヤさんは「助かります」と呟いた。


 運び出したい荷物がまだ部屋の前にあるということなので、タミヤさんの案内を受けながら屋敷の中へ入る。


 屋敷の一階部分、僕があまり行き来しない屋敷の奥側の一角にその部屋はあった。


 部屋の前には中から運び出されたであろう荷物や家具が置かれてあり、その周辺だけがやけにほこりっぽかった。換気のために開け放たれている窓からは廊下目掛けて陽が差し込み、その光の帯の中をちりがふわふわと舞っていた。


 鼻にむずがゆさを覚えながら部屋を覗く。


 部屋はマーリネイト嬢やマルタポー氏の部屋と比べると、そこまで広くはない。ただ、人間一人がここで寝泊まりする分には十分すぎるほどの広さと天井の高さを備えており、ここに住むことになるタミヤさんの娘のことが少し羨ましくなった。寝具や椅子、テーブル、収納棚などの家具は一通り集められているようだったが、どれもホコリを被っており、家具の配置も定まっていないようだ。


 これは重労働になりそうだと覚悟を決め、服の袖をまくる。


 テーブルの天板の上に積もっていたホコリを布巾で払っていたマーリネイト嬢が僕に気づいた。


「レドフィル様!」


「やぁ。手伝いに来たよ」


 僕とマーリネイト嬢の声に反応してか、部屋の入り口からは視覚になって見えなかった部分から、初対面の女性がひょっこりと顔を出した。


 そして、服の袖や裾についたホコリをさっと色白の手で払うと、背筋をまっすぐと伸ばし、上品かつ優雅に僕に向かってお辞儀をした。それはまさに『メイド』と呼ぶにふさわしい一連の動作だった。


「タリスと申します。以後お見知り置きを」


 背丈はマーリネイト嬢よりも高く、僕より少し低いくらい。その背丈の高さを際立たせるかのように、手足はすらりと細く長い。色素の薄い金色の髪の毛は、業務の邪魔にならないようにしたのか首元でバッサリと切り落とされている。


 年齢は僕やマーリネイト嬢よりも少し若く見えるが、将来はどんな女性に成長するのかと思わず期待してしまうほど美しい女性だ。マーリネイト嬢の横に立っていても女性としての存在が霞まない。


「初めまして。僕はレドフィル。町のはずれで農家をやってるんだ」


「レドフィル……。あぁえっと、マーリネイトお嬢様からお話は少しだけ聞きました。なんでも、マーリネイトお嬢様の婚約者だと────」


「ん? ネイトさん?」


 僕がマーリネイト嬢に視線を合わせるのと同時に、彼女は空々しくそっぽを向いた。


「いいじゃありませんか。どうせいつか必ずそうなるのですし」


「いつかはそうなるかもしれないとしても、今はそうじゃないだろう! えっと、タリスさん。誤解しないで欲しいんだけど、僕とネイトさんはあくまでも『友達』ってだけで、婚約者とかそういう親しい関係じゃないからね。もちろん恋人でもない」


 マーリネイト嬢が何をどう喋ったのかはわからないが、僕がマーリネイト嬢の婚約者だと心の底から信じきっていたのか、タリスさんは戸惑いながらも「そうなんですか……」と呟き、僕とマーリネイト嬢の関係性について改めて理解してくれた。


 ぷくっと小さく頬をふくらませて、静かに不満を訴えてくるマーリネイト嬢が視界の端に見えたが、見なかったふりをした。


 それからしばらく僕たちはタリスさんがしばらく寝泊まりする部屋の掃除や、家具の配置といった作業を行なった。


 夕暮れまでに終われば上出来といった具合で始まったこの作業だったが、手を止めることなく働いた結果、夕暮れどころか、お昼過ぎのお茶の時間にさえ間に合ってしまうほどの速度でやるべきことを終えてしまった。


 親子で積もる話もあるだろうからとタミヤさんとタリスさんを二人きりで残し、僕とマーリネイト嬢は静かな庭園──サヒレス園──でお茶会をすることになった。


 やはりサヒレス園は今日も静かだった。聞こえてくるのは小鳥のさえずりや、草木が風に揺れる音ばかり。


 この自然が奏でる音楽は決して耳障りな音ではなく、音に耳を傾ければ傾けるほど、日々の肉体労働によるな疲労感と慢性的な睡眠不足によく沁みて、時折僕は椅子に座ったまま船を漕いでしまう。


 ────自分がどこで何をしているのかも忘れ、目を閉じたまま、脱力しきった体がすぅぅっと前のめりに倒れていく。


 まるで自分に『死』という概念が形を成して急接近してきたような、思わず背筋がぞくりと震える感覚。そのおかげで僕はハッと目を見開き、倒れかかった体を自分の力で支えることに成功した。


 情けないというか、恥ずかしいというか、頬を指でかきながら笑って誤魔化さないと気が済まない心地だった。


「ずいぶんとお疲れのご様子ですね。お昼寝でもいかがです? 少しは眠気も紛れるかと思いますよ」


「…………お言葉に甘えさせてもらうよ。さすがにここまで眠いと、起きてる方が逆につらい」


「無理して起きているのが辛いのなら、その眠気には甘えた方が体にはよろしいかもしれませんからね。ではまた後で起こしますから、今はゆっくり眠ってください」


「うん、おやすみ」


「おやすみなさい、レドフィル様」


 テーブルの天板の上に腕を乗せ、それを枕がわりにして顔を伏せる。


 そっと目を閉じて、外の音に耳を澄ませているうちに、僕は眠った。

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