初対面

 町外れに住む人たちに野菜を売って回った後、マーリネイト嬢と僕は町へ向けて歩き始めた。たくましき母親の代表とも呼ぶべきリビアという女性との出会いや無邪気で自由気ままな子どもたちとの交流は、マーリネイト嬢にとってはあまりにも刺激的な体験だったらしい。


 未体験の出来事との遭遇がマーリネイト嬢に、また僕たち二人の関係性にどんな影響を与えるのか。愛情の質量に大きな差を感じている僕としては、なるべくその質量の傾きが均等になるような良い結果を期待したい。


 少し話は変わるが、荷台に乗せている野菜の量は家を出た直後に比べてそこそこ減っている。それでも町へ売りに行く分には十分すぎる量の野菜がある。しかし野菜の減り具合に対して、受け取ったお金を入れるための袋はあまり重みを増していない。これは僕の野菜が売れていないというわけではなく、むしろ今僕が持っている袋の重さは普段よりも若干重たく感じるため、今日は特別よく売れている方だ。


 ではなぜ袋が軽いのか。それは単に僕が野菜たちにつけている値段が「安すぎる」せいだろう。


 野菜それぞれにつけている値段を上げても、僕のお得意様たちは買ってくれるだろうという自信がある。しかしあえて僕はそうしない。儲けようと思えばいくらでも儲けられるのだが、お金に執着する気持ちが薄いのだ。自分ひとりが健康に生きていけるだけのお金を稼げればそれでよい。そのせいか結婚願望も薄い。自分ひとりの力で生きてきた僕が家庭を築き上げることなんて到底不可能に思える。


────もうちょっと胸を張って生きたらどうなんだ。


 昨晩、鍛冶屋のブルードに言われた的のど真ん中を狙った発言がふと蘇る。それが出来たらどれだけ楽なのか。もし出来たら、僕もエミやマーリネイト嬢との付き合い方や結婚に対して前向きに考えられるようになれるのだろうか。


「結婚、かぁ」


 うっかり僕の口から出た不安の情が乗った言葉に、マーリネイト嬢は恐るべき速度で僕の方を振り向いた。首を痛めたりはしていないのだろうか。飢えた獣のような覇気も一瞬顔を見せたがすぐに身を潜め、目を爛々と輝かせながら、期待と希望に満ちた眩しい表情を僕に見せつけるマーリネイト嬢。


 何も期待しないでほしい。希望で胸をいっぱいにしないでほしい。僕はただ不安を口にしただけなのだから。


 土が剥き出しの地面に別れを告げ、石畳で舗装された道に入る。荷車の車輪が地面を確実に踏めるようになり、荷車を引く負担がわずかに減った。


 町に入ると、すれ違う人たち皆が僕らを見る。当然だ。僕が荷車を引いて町を歩いている光景に関しては誰もが見慣れているが、まさかそこにマーリネイト嬢が付き添っているとは誰が想像したであろう。「レドフィルがマーリネイトお嬢様から恋文をもらった」という噂はもう昨晩の間には町中に広まっていた。だがあくまでも噂は噂。信じる者、信じない者。諦めた者、諦めない者。噂を聞いた町の人々は様々な意見を胸に残す。


 しかしその噂を真実たらしめる光景が、僕とマーリネイト嬢が一緒に並んで町を歩いている姿が、目の前にある。彼らの視線に込められた想いは、僕の体に鋭く突き刺さる。

 

「次の目的地はどちらでしょうか?」


「町の酒場。昨日僕らが飲み食いしすぎたせいで倉庫からだいぶ野菜が消えちゃったみたいでね。この野菜たちを渡さないと今日は店じまいになっちゃうかもしれないからさ。」


「レドフィル様はお酒がお好きなのですか? あまりそうは見えないのですけど……」


「アハハ、よく言われる。これでも友人たちの中じゃ一、二を争う酒飲みさ。普段はあんまり飲まないけど、みんなで集まって騒がしく飲む時にはもうがぶがぶとね。そういうネイトさんは?」


「一応、町の決まりでは飲んでもよい年齢に達してはいるのですが、父が私にあまり飲ませたがらなくて。恥ずかしながら、一度もお酒を飲んでみたことがないのです。ですから、私がお酒に強いのか弱いか以前の問題でして」


 可愛い娘を守る父親としてはある意味正しい行為だろう。娘がお酒で失敗をする姿は見たくないだろうし。ただ、一口くらい、マーリネイト嬢がお酒に強いのか弱いのかを判断するくらいのお酒は飲ませても良い気もするが、他人の家の事情に口を挟むつもりはないので黙っておくことにした。


 まだ陽の高い開店前の酒場の周辺は昨晩の喧騒の余韻も残さないほどに静かだ。中には必ず準備中の従業員が最低でもひとりはいるはずだからと、酒場の前の道に荷車を止め、鍵のかかった玄関扉の前に立つ。握った拳の手の甲側にある骨の出っ張りで、扉をやや強めに叩きながら、中にいるであろう従業員を呼んだ。


「誰かいませんかー」


「はーい、ちょっと待っててー」


 酒場の奥から聞こえてきた聞き馴染みのありすぎる返事は、不思議と僕をどきりとさせた。思わず不安げな視線をチラリとマーリネイト嬢の方に向けるも、幸いなことに僕の視線に彼女が気づくことはなかった。


 玄関扉の鍵を開けて僕らを出迎えてくれたのは、予想していた通りというか、筋書き通りというか、酒場の看板娘のエミだった。昨晩もあんな遅くまで働いていたというのに、もうこんな時間から酒場の開店準備のために働いているとは、感心を通り越して心配になる。休める時には思い切り休んでほしいものだ。


 エミは僕を見てまず「あぁレドフィル、いらっしゃい」と微笑んだ後に、僕の隣に立っていたマーリネイト嬢の存在に気づいた。目に見えてわかりやすい反応を見せたエミの顔を見ていると、心のどこががちくりと痛んだ。


 三人の間に生まれた一瞬の気まずい沈黙を埋めるかのように、僕は「あー」とか「えーっと」という行き先不明の言葉を漏らしながら、どう次の会話に繋げるかを模索していた。


 そして僕はひとまず、マーリネイト嬢にエミの紹介をすることにした。


「えっと、ネイトさん。この人は、僕の友達で、この酒場で働いているエミ」


「レドフィル様のお友達の、エミ様、ですか。初めまして。マーリネイトと申します」


 初対面の丁寧な挨拶をしながらマーリネイト嬢はお辞儀をした。エミもそれに合わせてお辞儀を返した。第三者の目線で見て初めて意識したが、頭を下げるだけの単純な動作ひとつでここまで優雅さに違いが生まれるものなのかと、僕は驚嘆と、マーリネイト嬢の隣に立つにはあまりにも不相応な生まれの自分の過去を恨むような気持ちが入り混じった、言い表しにくい複雑な感情を覚えた。


「初めまして、マーリネイトさん。お噂はかねがね聞いていましたが、その、実際に目の前で見てみると、改めて自分とは住んでいる世界がまるで違う女性なんだなと実感しちゃいました。本当にお綺麗です」


「いえいえ、決してそんなことは。そう言うエミ様も、とってもお綺麗ですよ。どうしたらそんな素敵な女性になれるのか、私に教えていただきたいくらいです」


「やだレドフィル、私マーリネイトさんに褒められてるよ。お世辞だとしてもなんだかすっごい嬉しいんだけど」


 照れ隠しついでに、偶然近くにいた僕の肩をエミはバシバシと叩く。痛い。


 この場に流れる空気の印象はとても和やかであった。痛みと不安を隠す取り繕った笑顔を浮かべたまま、心臓を密かにバクバクと強く鳴らしている僕が一番この場の空気に馴染めていないのではないかとさえ思える。

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