こども
家の裏側にある大きな畑の中に入り、実っている野菜をいくつか収穫し、いつも仕事で使っている荷車の荷台部分に載せる。ごろごろと音を立てて荷台に載った野菜たちは、今日もいきいきとしている。収穫量も増加の傾向にあり、味の保証もばっちり。町の外からそれなりに美味しくて安い野菜が市場に流れてくるようになってきた今日この頃でも、僕たちの野菜ならその野菜たちに負けることはないだろう。
今は亡き両親から受け継いだ畑は、僕一人で管理するには広すぎるような気もするが、手入れを欠かしたことはほとんどない。太陽の焼けるような熱と目を焦がすような光にも負けず、雨風の全てを押し流し吹き飛ばそうとするような激しさにも負けず。僕は農作業に人生を捧げてきた。
我が子の巣立ちの時を見守る親鳥の気持ちは、こういうものなんだろうか。荷台に載せられた季節の野菜たちを見ながら、僕は哀愁に浸っていた。
「レドフィル様。野菜の積み込み終わりました」
マーリネイト嬢の呼びかけで、僕の内側から寂しげな空気が抜けていった。
準備が終わったのなら早速町に出るとしよう。荷車を引くための持ち手と荷台の間にある空間に潜り込んだ。最初の頃は、野菜を載せたこの荷車を引いて歩くことさえままらなかったものだが、今ではすっかり体力もついたおかげでなんてことはない。
「それじゃあ行こうか。くれぐれも荷車からは離れすぎないように頼むよ。君に何かあったら、マルタポーさんに顔向けできないからね」
「手でも繋ぎます? それなら確実ですよ」
「遠慮しておく」
マーリネイト嬢に改めて忠告をした後に、僕は荷車を引いて歩き始めた。
「レドフィル様? そっちは町の市場とは反対方向ですよ」
「いいんだ。向こうに用事があるからね」
町の中心部からどんどん離れていくと、住居よりも畑や空き地の方が目立ち始める。住居の数もまばらで、人が住んでいるのかどうかはっきりとしない建物ばかり。道も石畳で舗装されておらず土の地面が剥き出しのままだ。町の外にあまり出たことがないというマーリネイト嬢は、僕の言うつけ通り荷車からは離れすぎないように気をつけながらも、目新しい光景に目をらんらんと輝かせて、道の脇に生えている草花や、遠くに見える景色を眺めていた。その姿は淑女というよりも、遊び盛りの少女。今の彼女には美しいよりも可愛いという言葉の方が似合う。
轍に沿って歩き続けて、僕らはようやく町から少し離れた場所にある家に到着した。僕がその家の主の名を呼ぶより早くに玄関の扉が開いて、その中から出てきたのは肝の据わっていそうな僕より少し年上の女性。彼女をここまでたくましくさせたのは、育児の他にない。家の奥からは子どもたちの元気な声が聞こえてきて、平和を感じさせるやかましさに僕の頬は思わず緩んだ。
「まぁレドフィル! あら今日がそうだったわね、ごめんなさい、すぐにカゴを持ってくるから待っててくれる?」
「えぇ、ゆっくりで大丈夫ですよ」
女性は部屋の奥へ慌ただしそうに戻っていった。
「……レドフィル様、今の女性とは、どういったご関係で?」
「あぁ、彼女はこの家に旦那さんと二人の子どもと一緒に住んでるリビアさん。食べ盛りの子どもたちが大勢いて、なかなか家を空ける暇がないもんだから、僕が直接こうやって野菜を届けにきてるんだ。僕のお得意様ってところかな」
「野菜を直接、ですか。それで市場ではなくこっちの方に来たのですね」
「他にもいくつか野菜を届けて回ってる家があるから、町の市場へ向かうのはもう少し先の話かな」
僕が今後の予定を丁度話し終えた時に、リビアが大きなカゴを抱えて僕たちのところまで戻ってきた。
家の前に止めてある荷車の前にやってきたリビアの目つきが一気に鋭くなる。家を守る母として長年培われてきた経験に基づき、新鮮で美味しい野菜の選ぶ視線は真剣そのもの。彼女にとってこの場所は戦場なのだ。
「よし、それじゃあどれにしようかしらね────って、あら、そっちの女の子は────」
僕の隣にいるマーリネイト嬢にやっと気づいたリビアは、不思議そうな顔をして彼女を眺めた。
リビアの視線に気づいたマーリネイト嬢は上品さを纏ったお辞儀をした。その仕草ひとつで、リビアも何かを察したらしく、目の前の光景が信じられないとでもいったふうに大きく目と口を開けて、「あんれまぁ!」と独特な感嘆の声を漏らした。
「初めまして。マーリネイトと申します」
「あぁ、あなたがマーリネイトお嬢様だったのかい! はー、噂では聞いてたんだけど、本当に可愛らしい女の子だわねぇ。うちの旦那があんなに褒めるわけだよ。そうだそうだ、あなたのお父さんのマルタポーさんには、うちの旦那がかなり世話になったみたいでね。ありがとうって伝えておいてくれる?。いやぁ会えて嬉しいよ本当に。ちょっとあんたたち! お客さんにあいさつしな!」
まくしたてるように喋り続けたリビアは、部屋の奥で遊んでいるのであろう子どもたちに声をかけた。急に静かになった部屋の奥側にある壁から、小さな男の子と女の子がおそるおそるといった様子で顔を出してきた。どうやら初めて見た人──マーリネイト嬢──に人見知りをしているようだったが、その隣にいた僕を見た途端に彼らの表情は一気に明るくなり、「レドにいちゃん!」と叫んで元気よく庭先まで駆け出してきた。
「こらっ! まずはあいさつだろ!」
リビアのお叱りを受けて兄妹は、よく指導された兵士のごとく横に並んで姿勢を正し、「こんにちは」とまだまだ舌足らずな言葉で僕とマーリネイト嬢に挨拶をした。なんとも微笑ましい光景に、僕とマーリネイト嬢の頬は一層柔らかく緩む。
挨拶をした後の子どもたちはマーリネイト嬢を見上げていた。ぼーっと静かに眺めているのは、彼女の美しさに見惚れているからなのだろうか。
「レドにいちゃん、この人だぁれ?」
男の子がマーリネイト嬢を指差しながら僕に尋ねた。まだ僕の膝あたりの身長しかない兄妹と目線を合わせるために僕は膝を曲げてしゃがみこんだ。
「この人は、マーリネイトさん。とっても綺麗な人でしょ?」
「うん、すっごく綺麗! 絵本に出てくるお姫様みたい!」
妹の感想に、兄もうんうんと頷いて同意した。子どもたちの注目はますますマーリネイト嬢へと集まり、彼女の足元へわらわらと移動した子どもたちは、際限なく彼女に質問や聞いてほしいことを「あのねあのね」とぶつけまくる。どうすればいいのかと困り果てたような表情と視線を僕に送ってきたが、あえて僕は助け舟を出さず、子どもたちに囲まれて焦るマーリネイト嬢を少し後ろから眺めていた。
僕らが賑やかにしている後ろで、リビアは黙々と野菜を選びカゴに入れていた。満足なだけ野菜をカゴに入れると「レドフィル、ちょいと」と僕を呼んだ。
「いつもありがとうね。レドフィルのおかげでうちの食卓は大助かりさ。はい、手ぇ出しな」
僕が差し出した手のひらの上にリビアは購入した野菜の代金を数枚乗せた。だが、乗せられた通貨を数えてみるといくらか余分に支払っていることに気づき、余分な代金をリビアに返そうとしたのだがなぜか拒まれた。
「いいのいいの。私からの気持ちだよ、ありがたく受け取っておきな」
「いやでも」
「いいからいいから」
押し問答を繰り返した後に、僕は結局その気持ちとやらもしっかり受け取った。
視線をマーリネイト嬢たちの方へ戻すと、子どもたちとの接し方に慣れ始めたマーリネイト嬢の顔には優しい笑顔が現れ始めた。まだ子どもたちの話は続いているようだったが、そろそろ他の家に向かわないといけない。こんなのんびりとした調子のままだと町に向かう頃には日が暮れてしまう。
「ネイトさん、そろそろ行くよ」
「は、はいっ! ごめんね、私もう行かなきゃ」
別れを惜しむ子どもたちが「もっとお話したい」と駄々をこね始めた。僕とマーリネイト嬢、それからリビアの三人で顔を見合わせ、揃って肩をすくめた。そうすると、妹のほうが元気よく手をあげてぴょこぴょこと小さく跳ねながらと注目を集めようと必死になっていた。
「はい! これでおしまい! これでおしまいにするから!」
マーリネイト嬢は女の子を見ながら優しく「なぁに?」と訊いた。
「えっとね、マーリネイトさんは、レドにいちゃんのおムコさん?」
「それを言うならお嫁さん、だろ?」
リビアの指摘は正しい。だがまだ幼い子どもにはよくわからない違いかもしれないが、どちらにせよ、なんて答えにくい質問を思いつくんだこの子どもは。
「いや、まだ僕らはそういう関係じゃなくて────」
「おや、レドフィル。『まだ』ってことはつまり、そういうことは考えてるってことなんだろぅ? えぇ? 私は応援してるからね」
「リビアさん、勘弁してくださいよ……」
説明する言葉に迷いに迷った挙句このざまだ。こういう話をする時のリビアは子どもたちより厄介かもしれない。マーリネイト嬢がいる手前強くは否定できないし、結婚についてひとつも意識していないわけではない。僕はなんと答えるべきだったのか。
マーリネイト嬢も「まだお嫁さんじゃないの」と答えたが、子どもたちの反応はと「ふーん」と興味なさげな言葉が返ってきただけだった。
リビアと子どもたちに別れを告げ、マーリネイト嬢と僕はリビアさんの家を去った。どこまで歩いても背中側からは興奮の冷めない兄妹の叫び声が聞こえてきて、僕とマーリネイト嬢は困ったふうな顔を見合わせながらも小さく笑った。
「元気一杯の可愛い子どもたちでしたね」
「あの家に行くといつもああなるんだ。今日はネイトさんが代わりに相手してくれて助かった、なんて実は思ってたりね」
「まぁ、レドフィル様ったら意地悪な人」
「アハハハ、ごめんごめん。でも楽しかったんじゃない? 屋敷にずっといたら子どもたちと遊ぶ機会なんてなかなかないだろうし、それに────」
将来に向けて良い練習にはなったんじゃない?
「それに?」
「いや、なんでもない」
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