14:37

 原宿の戦利品はブラウスとアイシャドウ。彼女はリップとチークとパウダー。あと胃に収めたクレープ。結局竹下通りの先まではいかず、引き返してから今はファイヤー通りを渋谷方面に下っている。今歩いている道がファイヤー通りと呼ぶのをさっき初めて知った。モディとかタワレコがあるあの通り。


「いやー、東京っておもしれーな」


「ほんと? よかった」


「だってほら、現実で路上にバナナの皮が落ちてるとか私らのとこじゃ見られないだろ」


 歩道で黒ずんだバナナの皮を彼女はひょいと跳び越える。キャリーケースごと「ひょい」と跳ぶのだから驚きだ。厚底を履いている私は素直に横に避ける。


「バナナはやっぱ後ろにぶら下げるのがベターだよな」


「どゆこと?」


「赤コウラが怖くなくなる」


「あー、なるほどね」


 確かに、地元でこんな会話はなかっただろう。ストリートアートなら珍しくはなかったが、哀愁漂うバナナの皮は貴重だ。「写真でも撮っとく?」と聞いてみた。「別に」と笑った彼女は、三歩歩いてから名残惜しそうに四歩下がってスマホを出した。


「でさ、渋谷は何があるわけ?」


「うーん、コスメがまだ見たければいろんなショッピングモールを巡るのがいいかなー。服とかは正直私もわかんない」


「じゃあ、その他には?」


「なんだろ、でっかいロフトとか無印あるよ」


「めっちゃテンション上がるやつじゃん」


 私たちらしい。あんまり女子女子してなくて、と言うには意外と女子。例えば。


「あー、このアイドル最近友達に勧められててさー」


 と、私がタワレコの前で指をさしたとする。


「アイドル? お前そういうタイプだったっけ」


「興味がないでもない」


「へー、じゃあどいつが好みよ」


「右から三番目」


 こんな話をするくらいには、多少の女子っ気がある。クレープも食べたし。


「おっ、このアーティストね、高校で先生に勧められた」


「えーっ、誰先生?」


「あの、わ、ド忘れした、なんだっけ、英語のメガネかけた、二年のときに来た」


「あーっ! あ、はい、あーっ、わかるよ」


「やべ好きな先生だったのに、音楽の趣味合ったのに」


 そういえば、彼女はそれなりに音楽の造詣が深い人間だった。文化祭でキーボードを引っさげバンド演奏をしていた姿を思い出す。いや、楽器を趣味で触るから音楽に詳しいかというとそうでもないのかもしれないが、少なくとも私よりは詳しいだろう。そういうところが少し羨ましい。別にそうなりたいというわけではないが、かっこいいと思う。


「……なんか、カラオケ行きたくなってきちゃった」


「おいおい、東京まできてカラオケはねえよ」


「そーね、そーだよね」


 その言葉が思いの外寂しそうな響きになってしまって、自分でも驚いた。慌てて口から転げ落ちたものを拾って戻そうとするが、もう遅い。口にした言葉はバナナの皮の如く地面で黒ずんでいくのみだ。


「……いくか? カラオケ」


 久々に会ったわけだし、それも悪くない。悪くない、が。


「待って。東京のカラオケの料金をナメないで」


「え、なに、高いの」


「高い高い。渋谷でカラオケなんて石油王の遊びよ。ましてやゼロカラに身も心も青春も捧げてしまった私たちが行ったら金額の跳ね上がり方に心臓も跳ね上がるわ」


「その急に饒舌なの懐かしいな」


「もしカラオケに行くなら夜、私の家の近くにしましょ。都心から離れれば大丈夫だから」


「お、おう……」


 ひょっとしたら、私は東京に来て少し強くなったかもしれない。押され気味な彼女を前に、厚底靴と縮毛矯正のバフのありがたみを実感する。理想の見た目に近づければ、ちょっぴり内面も強くなる。「おっけー?」と不要な釘をさし「イエスマム」と返事をもらったところで、ゆっくりな行進を再開する。


「……音楽といえばさ」


 前を向いたまま言葉を投げる。彼女も「おう」と適当に返す。いい加減な、という意味の「適当」でもあるが、その温度感がまさに適当なのだ。


「東京来たら、色んな曲の地名が身近になった」


「あー、例えば?」


「御茶ノ水」


「あー、十九万持って居ないところ」


「あと新宿駅で女子高生が二、三人死んでたりね」


「その繋がりだと渋谷もアレだな」


「深夜四時を過ぎる頃に〜?」


「ごめんヘヘイヘイの方想像してた」


 話で盛り上がっているうちに、ふと彼女が視界から消えた。振り返ると、店の看板を指してこちらを見つめていた。


「寄っていこうぜ」


 セカンドストリート。馴染みのある店名だ。私たちの地元のファッションの四割はここに支えられていた。彼女もそれがあるから目をキラキラさせているのだろう。


「あー、いいけど……」


「けど?」


「あんま期待しないでね」


「んだよ、中古は出会いだろ。例え同じ店舗だとしても日毎に違う品と出会えるのがこういうところの――」


 入った。出た。こころなしか、彼女は震えているようにすら思えた。


「たっっっっけ……」


「ここは私たちが思うセカストとは違うの……。中古ではなくヴィンテージ品、とてもじゃないけど三桁でタグ付きの可愛い服を探す店とはまるで違う場所」


「東京こわい」


「そうね、東京こわい」


 主に物価が。あと呼び込みが。あと渋谷スクランブル交差点に湧く変人が。


「……古着が見たければ、下北沢にでも行く?」


「下北沢? 名前しか知らん」


「あそこなら私たちが求める古着があるよ、混むけど」


「いいじゃん、東京なら混むのなんて覚悟の上どころかアトラクションよ」


「じゃ、渋谷駅から井の頭線だ」


「おー」

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