44.お礼

「お礼?」


真理は目を丸めて高田を見た。

その間も、高田は見当違いの方向を見たまま、真理と目を合わせない。


「何の?」


「・・・だから、コーヒーを淹れてくれたお礼」


「・・・」


真理は言葉に詰まった。


どういう風の吹き回しだ?

今まで、散々コーヒーを淹れてきたけど、そんなことを言われたことはない。

それどころか、居候なんだから淹れて当たり前のような態度だったくせに・・・。


(そりゃ、「ありがとう」くらいは言われてたけど・・・。それは今も言ってくれたし・・・)


高田は真理をチラリと見た。

目をパチクリしながら自分を見ている真理に、


「勉強・・・。テスト前だし、何か分からないことがあれば教えるよ」


とても言い辛そうに小声で言うと、再び顔を背けた。


「勉強・・・?」


「ああ。でも、一教科に限り」


「一教科に限り・・・」


「ああ」


「・・・」


呆けた状態で黙ってしまった真理に苛立ったのか、


「・・・別に必要なかったらいいよ。無理にとは言わない。じゃあ、おやすみ」


高田は怒ったように背を向けてしまった。


「ま、待って!」


真理は小声で叫んだ。

高田はチラッと振り向いた。


「ほ、本当にいいの?」


驚いているようだがどこか嬉しそうな真理の顔に、高田の表情は少し緩んだ。

だが、またプイっと顔を背けてしまった。


「ああ、一教科だけならね」


どう見ても、お礼として申し出ている割には上からな態度だ。

それなのに、真理は不愉快にならなかった。

それどころか、喜んでる自分がいる。


「良かった! まさしく今、躓いている問題があって!」


「へえ? 何?」


「数Ⅱ・・・、三角関数・・・」


「分かった。じゃあ、それを見てあげるよ」


「ありがとう!」


真理は素直に喜んだ。

この喜びが、単に勉強を見てもらえるからなのか、高田と普通に話せたからなのか、それとも、高田と一緒にいられるからなのか・・・。

そのことについては細かく考えなかった。





二人はコーヒーを持ったまま、真理の部屋に来た。


部屋に入った途端、真理の中で、単純な喜びが緊張感に変化した。


(あれ・・・? これって、いいのかな・・・?)


真夜中の部屋に若い男女が二人きり・・・。

しかも、親しくしてはいけない二人・・・。


そう意識した途端、真理の心拍数は一気に上昇した。


(どうなの? このシチュエーションって・・・)


しかし、高田は何とも思っていないのか、ドレッサーの椅子を手に取ると、真理の勉強机の傍に置いた。

そして、さっさとそこに座ると、真理のやりかけの問題集を手に取った。


真理は、自分のコーヒーを乗せたお盆を抱えたまま、モジモジと立ち尽くした。


「・・・? 何してんの?」


高田はいつまで勉強机に来ない真理を不思議そうに振り返った。


「え、えっと・・・」


真理はどこを見ていいか分からず、目を泳がしていると、高田は可笑しそうにニッと口角を上げた。


「へえ? もしかして、緊張してるの?」


「!」


この高田の小馬鹿にしたような態度に、真理の理性は少し正常に戻った。


「違いますーっ!」


プイっと顔を背けると、勉強机に近づき、少し乱暴にマグカップを置いた。

そして高田の隣にある自分の椅子にストンっと腰掛けた。


「ただ、仲良くしちゃいけない訳だからさ! 教えてもらうのもちょっとどうかな?って思っただけ!」


口を尖らして言い返す真理を、高田は面白そうに見ると、


「別に無理強いはしてないよ、要らないなら戻るし」


そう言って、手に取っていた問題集を机に戻した。


「いいえ! せめてこの一問は教えてもらわなければ困りますーっ! じゃなきゃ、コーヒー返して!」


「嫌だね、もう口付けてるし」


睨みつける真理を尻目に、高田はマグカップを手に取ると、これ見よがしにコーヒーを飲みだした。


「うわー、憎ったらしいー!」


「だから、教えればいいんだろ? 大体、この問題のどこが分からないのかが、分からないけど」


「きーっ!」


いつの間にか真理の緊張はどこかに消えていた。

以前のようにお互い憎まれ口を叩き合いながらも、真理は分からないところを質問し、高田は丁寧に答える。


真理の最初の懸念など全く感じさせない、学生らしく勉学に勤しむ、清く正しい夜が更けていった。

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