Scene 5 ひとつのベッドでひとつの気持ち

 寝室の一人用ベッドの中で、二人で寄り添い合っている。

 僕と彼女では、頭ひとつ分くらい身長に差がある。

 僕の腕まくらに枕を乗せ、その上に彼女が頭を乗せている。

 お互いのサイズ感的に、ちょうどよくすっぽりと収まる格好だ。

 そうしないとどちらかがベッドから落ちてしまうのが、一人用ベッドのサイズだった。

 二人用のダブルベッドに買い替えたい。彼女を招くといつもそう思う。

 部屋の照明は落とし、二人を覆い隠すように布団を被せている。

 僕達は小声で話し、二人きりの時間が終わるのを惜しんでいた。

 話題といえば、関係性が変わった高校の頃の、あの屋上でのことからだ。

「合唱部は歌を歌う楽しさを再確認させてくれたけど、もっとたくさんの色々な歌を歌い、色々な人に届けたくなった。そのためにどんな手段があるのか調べてみたけど、私にも出来そうなのは『アイドル』だった」

 腕まくらの中で、彼女の吐息が寝息に変わるまで、僕は話を聞くつもりだった。

「高校卒業後は、二十歳まで養成所に通って、それからもう二年。さっきの動画の人たちみたいに、今はアイドルはいっぱいいるから、私がその中でどれぐらい歌を大勢の人に届けて、もっと広い世界に行けるのか。今はまだ分からないし、あと1年もすると、その後のキャリアも考えなきゃいけないみたい。でも私は、私のいけるところまで行って、キミの所に戻ってこれる限界の所まで行ってみたい。キミに知らない景色を見せてあげたいから。そんな私を、ずっと見ていて欲しいから」

 それが彼女が、高校の頃から抱えた夢であり、目的だった。

 知っているのは、世界で僕、ただ一人。

 放課後の屋上で共有した秘密を、体を寄せ合うよう、大切に隠している。

 今、同じベッドの中で抱き合ってそうしているように。

 養成所にいった彼女と、専門学校に進学した僕は、それから別々の道を進んでいた。

 彼女の歌や、動画配信。イベントのネット上の記事を、僕は見る。

 それらがより大勢の人の目に触れ、声を獲得するに連れ、彼女のいる『新しい景色』を僕は目の当たりにする。

 それは新鮮な驚きに満ち、彼女以外のすべてを諦めている僕すら、前向きな気持にし、明日を生き抜く力を与えてくれる。

 だが、決してそれだけではないことに、僕らは気付いている。

「ねえ」

 腕まくらの中で、彼女が顔を上げた。

 外の雨と、身動ぎの時の衣擦れの音。そして彼女の声。

 暗い部屋の中には今、スマートフォンの画面の明かりすらない。

 彼女の発す音だけが、僕の頼りだった。

 より声を求め、僕は彼女の肩を抱きしめた。

 やや躊躇いがちに、彼女が僕の背に手を回す。

 互いの音を頼りに、僕達はひとつになっていた。

「まだ、大丈夫?」

 彼女の声が鼻先に伝わり、皮膚の内側の神経を震わせる。

 僕は頷いた。彼女も音を頼りにしている。敏い彼女は嘘は見抜くから、言葉は発せなかった。

 仕事をして、日々の糧を得ている。それなりに食べて、動画を見るなどして、それなりに娯楽をたしなみ、それなりに日々を生きている。

 だがそれも、彼女を安心させたい一心だ。

 日がな、次に彼女が来訪した時に作る献立を考え、料理をしている。

 彼女が出ている動画を、延々と探した結果、動画サイトでは、アイドルの動画が自動再生される有様だ。

 二人で眠るためダブルベッドにすればいいのに、彼女がいない時の寂しさにきっと耐えきれないから、ずっと二の足を踏んでいる。

 お風呂場もそうだ。いつ彼女がきてもいいように、毎日清掃をしている。

 水色の折りたたみ傘をプレゼントしたのも、彼女といつも一緒にいたいという、その一心だ。

 敏い彼女はきっと気付いている。

 それでも僕は頷いておいた。大丈夫、だからもっと新しい景色を見せて欲しい。その意思表示のために。

「辛かったら何でも言って。いつだってキミのところに帰ってくる。何でもしてあげるから。私だけを見ていてくれたら、私は何でも出来るから」

 頷いて返すと、彼女が微笑む音が聞こえてくる。

 それから何を話していたのか、はっきり覚えていない。

「くう……すう」

 気づけば彼女の吐息は、寝息に変わっていた。

 寝息に合わせて上下する肩を撫ででやると、安心したように長い寝息を彼女が吐き出していく。

 幸せそう。それは事実だろうか。それとも希望的観測か。

 わからない。だから僕は、彼女を抱きしめるしかない。

 彼女の寝息のリズムに身を委ねているうち、僕もいつしか意識を手放していく。

 抱き合って、同じリズムの互いの寝息に、身を委ねながら。

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