Scene 3 二人でひとつの料理を食べる
食材に包丁の刃を差し入れると、音もなく進みまな板にストンと落ちる。
繰り返すとまるで、ひとつのリズムのよう。食材の数だけ楽器はある。
切り分けた食材は、油を引いたフライパンや、湯を張った鍋に投入。
人参に玉葱。鶏肉に胡瓜。茹でたり炒めたり。どれも個性的な音。
調味料は基本、添えるだけの心づもり。
調味料を食べるために料理をするのではない。
けど何事も創意と工夫は大事。自然の味だけでは早晩食べ飽きる。
料理は性に合っている。特に一人暮らしをし、彼女を待つ日々が始まってからは、特に。
お味噌の香ばしい香りで満ちていくキッチンで、手早く料理を進めていくと
風呂を上がり髪を湿らせた彼女がやってきた。
寝間着代わりの、やや大きめのジャージ姿が、ちょっと子供らしい。
修学旅行の夜の高校生を連想させた。
もう随分と前。放課後の校舎の屋上で、彼女がためらいがちに、けど確かな決意で夢を語っていた、あの頃のように。
彼女は僕の背に寄り掛かると、肩ごしに料理の進捗を覗き見る。
肩にかかる彼女の細い顎の感触。少しこそばゆい。
濡れた髪からふわりと、シャンプーの匂いがする。
「いい匂いする〜。刺激されてお腹へってきた〜、ねえママ、ごはんまだー?」
ふざけて背中越しにじゃれてくる彼女。一般的な母親らしく、おとなしく机で待っているよう釘を刺すと「はあい」と子供らしく答える。
だが彼女はシャワーで心身リセットした。悪戯心の萌芽が止まらない。
僕がかけている青いエプロンの裾が引っ張られる。
犯人は消去法で、じゃれついてくる猫しか考えられない。
「エプロン似合うよね。なんだか格好いい。私もエプロン買おうかなー。先ずは形から入るって言うし。かわいいのあるかな?」
僕が着けているエプロンは、シンプルイズベストの青一色。
機能性のみ求めた結果だが、可愛さを求めるのが女の子らしい。
「私、料理とか家事はからっきしだから、ここで手伝うとか言うと、きっと真剣に迷惑。それぐらいの自覚はあります」
そんなことはない。と先ずは答えておく。
彼女は指先まで心血を注ぐ稼業。仮に包丁で指を切ったたら一大事だ。
気持ちだけ受け取ると、丁重に辞退した。
「ふふ、じゃあおとなしくテーブル拭いて、お皿並べておくね。そういうのは得意なんだー」
彼女はそう言うと、事前に洗っておいたお皿の水分を、キッチンペーパーで手早く拭き取っていく。
食器が触れ合う音も、祭りの拍子木のようで小気味良い。
料理の完成まであと少しという所で、じっと見つめる視線を背に感じた。
火を少々弱めて振り返ると、皿を並べ終え、ダイニングのテーブルに座る彼女が、こちらをじっと見つめていた。
僕の視線と彼女の視線が、こつんと音をたてるようにぶつかった。
一拍遅れて気付いた彼女が、慌てて両手を振った。
「あ、じっと見つめててごめんね。私座ってるだけなのに。キミが料理する後ろ姿が、なんだかとっても格好いいな。頼もしいなって思っちゃって、つい見とれてた」
まるで憧れの存在を眺めるような、眩しい視線だった。
歌い、踊り、笑顔で輝く彼女を、モニター越しに見つめる僕のように。
ひとしきり料理を作り終えると、
「私が運ぶ。盛り付けもさせて?」
彼女が立ち上がり、鍋やフライパンをてきぱきと運び、盛りつけていく。
僕は盛り付けに興味がない。見た目を気にする腕でもないからだ。
彼女は作るより運搬、盛りつけが好きというだけあり、的確に料理をお皿に盛り付けていく。こぼしたりお皿を不用意に汚さず、片付けも楽そうだ。
作る僕と、後工程を任される彼女。いいコンビだ。
そんなことを考えていると、敏い彼女には見透かされる。
「ふふ。セカンドキャリアとして二人でお料理屋さんでもやろっか。キミの料理とっても美味しいし、私はサポートして、接客するから」
そう言われると、そんな人生も悪くない気がしてくる。
接客は苦手だ。だから彼女が引き受けてくれたら僕も助かる。
きっとお客さんの評判も上々で、押すな押すなの大繁盛だ。
「こっちの準備も終わったよ。食べよ?」
テーブルに座る彼女の、向かいの席に、同じように料理が並んでいる。
自分で作った料理だが、まるで別の人に振る舞われているようだ。
良くも悪くも、自分の料理は見慣れて、食べ慣れている。
見た目が変わるだけでも新鮮だった。そんなことを話すと、
「うん。見た目も違うけど、味も違うはずですぞ」
何故か含むように彼女が笑うと、テーブルの対面から身を乗り出す。
鼻先が触れ合うくらい近くで、僕らはじっと見つめ合う。
何を言われるのか全く予測できず、呆けた顔の僕の顔を映し出す、彼女の瞳を見入ったまま硬直する。
やがて彼女の小ぶりの口元が微かに開く。鳥が歌うように、次の言葉を発していった。
「……愛情込めて盛り付けたから、きっと味、変わってると思います」
情けなくも僕は気の利いたことを返せない。そう、接客は苦手だった。
笑う彼女の表情には次第に朱が差していき、瞳がだんだん揺れていく。
「も、もうなにか言って! そ、そうだ。早く食べよ。いただきます!」
ものすごい勢いでテーブル向かいの席に戻ると、手を合わせ頭を下げる。
僕もそれに習う。結果的に行儀良くなる二人だった。
テーブルでは白米がほくほくと湯気をあげ、炒めものから醤油の香ばしい香りが漂ってくる。出汁入り味噌を溶いた焦げ茶色の液面のお味噌汁では、わかめとネギが揺れている。
可もなく不可もなく。いつもの僕の料理だった。しかし──。
直近の発言からか。彼女は手を合わせたものの、料理には手を付けていない。
僕自身も口をつけるのが気恥ずかしく、なかなか箸が動かない。
けれど接客が苦手で気の利いたことは言えなくとも、気持ちにちゃんと向き合いたい。
炒めものを取り一口食べると、
『愛情込めて盛り付けたから』
という今しがたの彼女の言葉を思い出し、胸が熱くなる。
むしろ味は分からなくなっていたかも知れないけど、今の気持ちに率直な言葉を、向かいの席で俯きがちに照れる彼女に伝えた。
「……どういたしまして。こんな愛情でよければ、いつでも!」
満面の笑みでそう答える彼女。
吹っ切れたその拍子に、空腹を思い出したらしい。
「おいしいよ。本当に美味しい。私すっごい幸せ。こんなに美味しいもの、食べさせてもらえるんだもの!」
それこそ涙ながらに料理を平らげ始め、思わず笑ってしまった。
こちらこそ、こんな料理でよければいつでも、という気持ちだった。
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