第11話 冒険の終わり。

 巨大ブルドッグの寝息が聞こえる。虎白は息を殺して図書室の中を歩く。

 虎白が知ってる枝羽根小学校の図書室よりずっと広い図書室の窓際にブルドッグは横たわっていた。

 よく見ると、目の間のシワや顔の形が図書委員顧問の先生に似ていた。人面犬というほどではないのに、なぜか似ている。

 背後を振り返ると、葉月も萩香も同じことを思っているように小さく頷いた。

 図書委員顧問の松谷先生って裏では「ブルドッグ先生」なんて呼ばれていた気がする。葉月にとっても松谷先生はブルドッグというイメージなんだろうか。葉月も小学4、5年生の頃は図書委員をしていたはずだ。その時一緒だったから印象に残っているのだろう。

 しかし、さらに観察すると困った事を発見してしまった。

 ブルドッグの首輪に丸いピースのような物がくっついているのだ。ピースを取るにはブルドッグの間近まで行かなくてはならない。

 虎白は自分を指さして「俺が行く」とジェスチャーした。

長机の間を息を殺して歩む。図書室の絨毯を踏むたび、ふさふさと足音が鳴った。普段は気にもしないのに、それがやけにうるさく思える。

ブルドッグの顔近くまで行くと、生暖かい息遣いが全身に吹きかかった。そっと口の下に手を伸ばし、首元に近づく。体が触れてしまわないよう、慎重に。

背後で2人と3匹が固唾をのんで応援してくれているのを感じながら、虎白は思い切り腕を伸ばした。指先が丸いピースの縁に触れる。指でピースを挟み、軽く引っ張ると思いのほかあっさりとピースが外れてくれた。

虎白はブルドッグを起こさないよう後ずさりしながら距離を取る。

けれど……。

『ガウウ!』

「うわっ⁉」

「きゃっ」

ブルドッグが突然あげた唸り声に虎白たちは飛び上がった。当のブルドッグはまだ眠っている。さっきのは寝言のようだった。

ガツン!

誰がぶつかったのか、飛び退いた拍子に長机が音を立てる。最悪な事に立てかけてあった絵本が倒れバサッと音を響かせてページが開いた。

そこから桃太郎のイラストが浮かび上がる。

まるでアニメみたいに桃太郎のイラストが動き、イヌ、サル、キジがが桃太郎の後ろを歩いていく。

 普通の本ならあり得ない光景に驚いている暇はなかった。

 『ガルルルル……』

 虎白たちが立てた物音で、ブルドッグは完全に目を覚ましてしまった。ほんの少し音を発しただけなのに、ブルドッグは見ただけで不機嫌だとわかるほど目と目の間に皺をよせ、睨みつけてくる。

 「に、逃げよう! 逃げようよ!」

 「落ち着いて萩香ちゃん。今背中を向けたら絶対追いかけられて捕まっちゃうよ!」

 「じゃあどうするの⁉」

 萩香は目に涙を浮かべていた。ただでさえ苦手な動物に目をつけられたのだ。葉月が腕を掴んでいないと逃げ出しそうなほど震えている。

 「な、なんか気を引けそうな物……骨とかどうだ?」

 「どこから持ってくるのさ」

 「人体模型から1本貰うってのは?」

 「あれは筋肉とかの標本でしょ。骨まであるのかな」

 そもそもそこまでたどり着ける保障などない。

 「そ、それじゃあ……。松谷先生の弱点ってのは? 葉月、何か知らないか? 図書委員だったろ」

 「えっ。きゅ、急に言われても。怖い先生としか……」

 『ヴゥ~ワンワン!』

 「きゃああっ! あ、あっち行って!」

 「葉月、余計怒らせてるみたいだぞ!」

 「ぼ、僕に言われてもっ。松谷先生とはあんまり話したことないから苦手な物とか本当に知らないんだよ!」

 ドンッと背中が本棚に当たった。

 いよいよブルドッグが姿勢を低くする。

 「萩香! 何か知らないか⁉ 犬じゃなくて、松谷先生の弱点!」

 「ま、松谷先生なら、か、花粉症がひどいって聞いたことある」

 涙を流しながら萩香が答える。

 「それだ! 葉月、花の本は⁉」

 「こっち!」

 葉月が指さすのは葉月の頭1つ分上の棚。そこに植物図鑑を見つけ虎白は手を伸ばした。

 『ワンッ!』

 ブルドッグがとびかかる。

 「くらえっ!」

 その眼前に虎白は植物図鑑のページを広げて突き付けた。

 桃太郎の絵本のように、図鑑の写真から杉の樹が飛び出した。

 ブルドッグの鼻先に杉の樹が突き付けられる。途端、ブルドッグは動きをやめ、鼻をムズムズさせる。やがて、大きく息を吸いこみくしゃみを連発し始めた。

 『ブワァックション‼ ハックショイ!』

 「今だ! 行くぞ萩香!」

 葉月と虎白で萩香の両腕を掴み、図書室の出口へと走る。メダカたちが前を進み、出口へと導いてくれた。

 図書室の扉を開け、3人は勢いそのままに足を踏み出した。

 はずだった。

 「へっ?」

 「は?」

 「え」

 揃って踏み出した足は床を踏むことはなかった。下を見ると、白と黒の鍵盤が滑り台みたいにカーブを描きながら続いている。

 虎白たちは為す術もなく体を鍵盤に打ち付けた。

 「うわあああっ!」

 3人はピアノの滑り台にうつ伏せの状態で倒れ込み、加速していく。ピアノが低い音から順に止まることなく奏でられていった。

 しかも、ピアノ滑り台が終われば加速した勢いのまま円形の物体に体が乗っかり滑り始めた。アイスホッケーの時に使うパックのような円盤型だが、パックより薄く竹の皮に包まれている。

 「これ、図工の時間に使ったことあるよね」

 足でブレーキを掛けながら止まった虎白たちはようやく一息ついた。

 「ああ。なんて言ったっけ?」

 「……バレン」

 げっそりした表情の萩香がそう教えてくれる。

 「大丈夫か萩香?」

 「うん。ちょっと疲れただけ」

 「あの、これ、さっき僕が使わせてもらったハンカチだけど」

 葉月は人体模型にびっくりして半べそを書いた時に貸してもらったハンカチを萩香に渡す。ハンカチで目元をぬぐいながら萩香は何回か深呼吸を繰り返した。

 ここから脱出したとしても、萩香の動物嫌いは拍車がかかりそうだ。

 「木版画を摺る授業で使ったでしょ?」

 大分冷静さを取り戻した頃、萩香は再びバレンに目を向ける。図工の時間で使ったバレンは掌サイズだったが、今は虎白が寝そべって手足が出るくらいの大きさになっている。

 「けど、これで何をしろって言うんだ?」

 「上にある音符と何か関係があるのかも」

 葉月が上を見上げた。そこに広がるのは音楽室の天井。ピアノの滑り台の先は音楽室に繋がっていた。虎白たちが滑っていた床だけは白い紙のような肌触りをしている。

天井から糸でつるされた何個ものピースがぶら下がっている。立ち上がって手を伸ばせばギリギリ手が届きそうだ。

ピースにはいろんな種類の音符が描かれている。ピースの形事態はどれも丸みのある三角形だが、音符の形だけは1つとして同じものがない。

 音楽室の黒板には白チョークで文字が描かれている。

 【当たりは1つ。ハズレを取れば消える】

 「でもどうしろってんだよ。ヒントすらないじゃん」

 虎白はバレンの上であぐらをかいた。

 「ねえ、バレンがあるって事は、こすれば何か出てくるんじゃない? ほら。僕たちが滑った後何か見えてる」

 あちこち目を向けてみれば、部分的に白い紙がかすかに黒くなっていた。

 「やってみようぜそれ!」

 「うん!」

 自分より大きなバレンでゴシゴシ紙を摺り始める。それでわかったが、どうやら黒くなるのは部屋の中心部分だけらしかった。一心不乱にバレンを動かしていくと1つの音符が浮かび上がってくる。

 「これと同じやつを取ればいいのか」

 「でも僕、音符なんてよくわからないよ」

 誰かが意地悪してるのか、ピースに描かれる音符はどれも似たような物ばかり。虎白は浮かび上がった音符とピースを1つ1つ見比べながら確かめていった。

 「これじゃない?」

 そこで、1つのピースの下に行った萩香が虎白たちを呼んだ。

 「早いなお前」

 「そう言えば、萩香ちゃん合唱の時ピアノを任されてたよね」

 「うん。前にピアノ習ってたから。でも、授業でもちゃんと教わったよ」

 「「うっ」」

 思わず目を逸らす虎白と葉月に萩香がぷっと吹き出す。

 「これ、取ってもいいよね」

 「ああ」

 「うん。お願い」

 萩香は少し背伸びをしてピースを引っ張った。プツンと糸が切れる。その瞬間、ピースに描かれていた音符が消えた。同時につるされていた他のピースも全て煙に包まれ消えてしまった。

 「正解みたい」

 「よっしゃ! これで3つ揃ったな」

 「うん!」

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