第10話 絶叫⁉ 恐怖の学校

 ベシャ!

 虎白の真横で水っぽい何かが飛び出して床に爆ぜた。

 「は?」

 虎白が目を丸くしている間にも画用紙や半紙からそこに収まっていたはずの絵と字が飛び出してくる。

 床に広がった1度床に潰れた後、むくりと立体感を持って起き上がる。

 「逃げるよ虎白君! 葉月君!」

 「う、うん!」

 「うおわっ」

 虎白が背を向ける直前足元に実という字が明らかな敵意を持ってとびかかってきた。

 反射的にジャンプでかわした虎白は萩香たちと共に走り出そうとした。でも。

 「ど、どうなってんだこれ。さっき降りてきた階段は⁉」

 虎白たちの前には長く続く廊下があるばかり。いつの間にか、自分たちが下りてきた階段も、昇降口も無くなっている。

 あるのは3年生教室と4年生教室だけ。その2つの教室だけが交互連なる廊下が続いていた。いくつも並ぶ4年生教室。その展示物から延々と飛び出してくる絵と字。廊下はあっという間に埋め尽くされ、虎白たちは逃げ場を失った。

 3年生教室を背に、じわりじわりと虎白たちへの囲みが狭まってくる。

 虎白たちは互いに背中合わせになった。

 「ど、どうする? 何かいい方法ないか?」

 「いい方法って言われても……」

 すがるように萩香を見る。

 「紙から出てきたなら、紙に戻すっていうのはどうかな」

 「でもこれだけの数受け止められるくらい大きな紙が学校にあるのかな」

 画用紙何枚かで相手できる数じゃない。大きな紙。学校にある大きな紙……。そこでハッと3人は顔を見合わせた。

 「「「模造紙!」」」

 発表会や自由研究のまとめなどで使う模造紙なら、どの教室にもあったはずだ。

 虎白は真っ先に3年生教室の引き戸に手をかけた。

 「ど、どこにあるんだっけ」

 「たしか窓際にある戸の下だったと思う!」

 最後に教室に駆け込んだ萩香が叫ぶ。

 窓側にある棚。その下の戸を引くと、色付きの模造紙がいくつも残っていた。虎白は白い模造紙を手に取った。

 「萩香、葉月、肩組んでしゃがめ!」

 「うん!」

 「わかった!」

 戸の隙間からバシャバシャと絵たちが入り込んでくる。水圧で教室の戸が開き始めた。

 メダカたちをかばうように教室の片隅で丸くなる萩香と葉月の傍にかけよると、虎白は模造紙をめいっぱい広げ自分たちの周りに巻いた。崩れないよう、葉月たちも手伝ってくれる。

 教室に入り込んだ鳥の絵が形を整え虎白に向かって飛び込んでくる。虎白は模造紙を頭からかぶって丸まった。

 バシャ!

 水が弾ける音に呼応して、次々と模造紙に冷たい水の衝撃が走る。まるで大粒の大雨の中に居るみたいに水音が絶え間なく響いた。

 虎白たちはお互いギュッと身を寄せ合って恐怖に耐えた。もし模造紙が破れたら終わりだ。虎白は背中に水の冷たさを感じた。それは絵が弾けた衝撃とは違い、張り付くような冷たさだった。もう限界かもしれない。

 虎白は固く目をつむった。

 「……」

 「……」

 「……お、終わっ、た?」

 耳を塞いでいた萩香がそっと耳から手を離す。

 水音は聞こえなくなっていた。

 恐る恐る模造紙をどけて虎白はぎょっとした。模造紙はいろんな色が混ざりに混ざって真っ黒になっている。

 「すごいぎりぎりだったね」

 「うん。ちょっとでも動いてたら破けちゃってたよね」

 萩香と葉月が立ち上がると同時に水を吸ってもろくなった模造紙がボロボロ崩れ落ちた。

 虎白も模造紙から抜け出し、両腕を伸ばした。ここにきてからヒヤヒヤしっぱなしだ。そんな事を思っていた矢先、虎白の掌に痛みが走った。

 「っ。イテ」

 「虎白君? どうしたの?」

 見て見ると、赤い線が幾本も掌に刻まれている。

 「なんか血が出てる」

 「えっ⁉ 大丈夫?」

 「本当だ。あんまり深く切れてないみたいだけど、大丈夫?」

 「これくらい平気平気!」

 「きっと模造紙を広げるときに摩擦で切っちゃったんだね」

 すでに血は止まり、痛みも痛いというより熱いという方が近い。

 「まあそれほど痛くないし、ピースを探しに行こうぜ。結局1つも見つけられてないし」

 「じゃあ、ここも調べて行こうよ」

 葉月の言葉に頷き、手分けして机や教卓を調べて回る。人の机を調べるのは気が引けたが、どの机にもびっくりするくら何も入っていない。ロッカーも机も空っぽな時なんて長期休みくらいじゃないだろうか。

 「なあ、何かあったか?」

 最後の机を調べ終え、虎白は皆に問いかけた。

 「ううん。何もなかった」

 「どこにあるのかなあ。全然見つからないよね」

 「まだ探してない場所もあるし、次は4年生教室に行ってみよう?」

 「そうするしかないよな」

 萩香は律儀に模造紙を元に戻し、使えなくなった部分はゴミ箱へ捨てていく。

 萩香が合流するのを待ってから虎白は教室を出た。

 「ん?」

 教室を出ると再び違和感に襲われる。嫌な予感がして上につるされてるはずのプレートを見上げる。

 【職員室】

 プレートにはそう書かれていた。

 後ろを振り返ると葉月や萩香たちも同じように背後を見ていた。さっきまで自分たちが居た3年生教室はそこにはなかった。

 パソコンと紙束が積まれ、椅子には上着がかけられている物もある。ブラックコーヒーの苦そうな匂いが鼻を突いた。

 「職員室、調べてみるか?」

 さすがに2度目ともなると驚いて声を上げることもなかった。ただ、職員室を物色するか否かが重要な問題だ。

 先生は多分居ない。探したって怒られることもないんじゃないだろうか。でも、やっぱり怖い。

 「……最後にしない?」

 葉月が虎白たちをうかがうように見る。虎白も萩香も黙って頷いた。ここはできれば調べたくない。

 「じゃあ、最初に言ったみたいに1年生教室行こうぜ」

 今度は周囲も警戒しながら虎白は進んでいく。1階には理科室や家庭科で使う料理室なんかもある。

 家庭かで料理する時はものの見事に焦がしまくった虎白は基本同じグループの生徒から火の扱いは取り上げられた。今では目玉焼きくらいなら作れるのに。と虎白は内心でぼやいた。

 そして、あまりいい思い出の無い料理室に顔を向けた。

 その瞬間、ぎょろりとした目玉で虎白を凝視していた人と目が合った。

 「うわああっ⁉」

 「わっど、どうしたの虎白君?」

 後ろを歩いていた葉月を無視して虎白は後ろに飛び退き思い切り腰を打ち付けた。

 「きゃあ!」

 萩香も料理室の戸の窓にへばりついている人物に気付いて悲鳴を上げた。葉月なんか目が合うとふらりと意識を手放してしまい萩香が慌てて支えていた。

 唯一ケロッとしていたのは、3匹のメダカくらいだ。メダカたちは料理室の窓に近づくと嬉しそうにくるりと回って泳ぐ。

 『あら! メーちゃん、たっちゃん、かっちゃん! 戻ってきたのね!』

 ガラッ!

 へばりついていた人物が扉を開ける。

 全身の皮は無く、筋肉の筋が露出しているその人物はぎらつく目をそのままに口角だけを上げて笑みを浮かべる。

 『よかった! 無事に戻ってきて嬉しいわ!』

 とても嬉しそうには見えないほど目が笑っていない。虎白が度肝を抜かれていると、筋肉人間が虎白を見た。

 「ひっ!」

 『人を見てひっ! だなんて失礼ね。忘れちゃったの? いつも理科室で会ってるじゃないの』

 「り、理科室?」

 虎白は深く息を吸って理科室を思い浮かべる。必ず理科室の黒板の隣に居る人物。そう、人体模型だ。

 友だちと「夜に動き出しそう」と話していたのを思い出す。まさかこんな形で動いている姿を目にするとは思っていなかったけれど。

 「な、何で理科室の人体模型が料理室に居るんだよ! びっくりしただろうが!」

 『いいじゃないの。お隣さん同士行ったり来たりしても。理科室で立ってるだけじゃ退屈なのよ?』

 虎白は震える足でゆっくり立ち上がる。

 「どうすんだよ。葉月気絶しちゃったぜ」

 まさか気絶するほど怖いのが苦手だとは思わなかった。ホラー映画を観るのと違って実際に体験した事だから仕方ないのかもしれないが。

 葉月は萩香に支えられ床に横たわっていた。

 『そうね。申し訳ない事しちゃったわね』

 人体模型は葉月の顔を覗き込む。

 「あ、おい。あんまり覗き込むなよ。起きたら――」

 虎白の忠告も虚しく葉月が運悪く目覚めてしまった。目の前に恐怖の動く人体模型の顔面が迫っていた葉月の心情はそのまま絶叫となって学校全体に響き渡った。

 思わず全員耳を塞ぐ。

 普段の姿から想像もできない声量に人体模型も体をのけぞらせた。その拍子に腹筋がポロッと取れて内側の胃袋や大腸が床に零れ落ちた。

 ……そうだった。この人体模型は解体できるんだった。

 目の前で突然腹筋が取れる様子を見せつけられた葉月はもうパニックだ。

 「落ち着け葉月! そいつは学校にあった人体模型だから!」

 「人体模型さん! ちょっと背中向けてジッとしててください!」

 『はーい』

 2人がかりで葉月を何とかなだめ、半べそをかく葉月を落ち着かせる。

 「お前、あんな大声出せるのかよ」

 今年の運動会で応援団をした生徒よりも大きな声だったはずだ。

 「ううっ。ごめん」

 萩香から手渡されたハンカチで涙を拭きながら葉月は枯れそうな喉で謝罪する。

 『もーいーかあい?』

 そこに、呑気な声がかかった。萩香に後ろを向いてジッとしていろと言われた人体模型だ。

 「もういいよ」

 虎白が答える。人体模型はそろりそろりとこちらを振り返った。葉月もさすがに悲鳴をあげることはなかった。

 『ごめんね。まさかこんなに驚かれるとは思ってなかったのよ』

 「えっと。ぼ、僕の方こそごめんなさい。すごく驚いちゃって」

 『すごい悲鳴だったわねえ。でも、元気そうで何よりだわ。しばらく見なかったから心配だったのよ。メーちゃんたちも心配してたんだから。ね?』

 人体模型は3匹に同意を求めた。メダカたちが全身を使って頷く。

 『メダカちゃんたち、学校を飛び出してあなたの所へ行くって言うから、びっくりしたわ』

 「そ、そうだったの?」

 再びメダカたちが頷く。

 葉月の心の中なのに、葉月が学校に来なくなった時の話を持ち出されるのは何だか不思議だった。

 『ところで、3人は学校で何をしているの?』

 「俺たちは学校のどこかにあるロケットのピースを探してるんだ」

 『ピース? ああ、もしかしてこれの事かしら』

 人体模型はそういうや否や自分の腹筋をもぎ取って胃袋を取り出した。

 さらに胃袋をパカッと開け、その中から1つのピースを取り出した。胃袋の中には誰の物かわからない髪留めやティッシュも入っている。

 『大事なものなんじゃないかと思ったから、胃袋に入れて取っておいたの。これが必要ならあげるわ』

 「あ、ありがとうございます……」

 人体模型だから胃液が出る事もないんだろうけれど、胃袋から出したものを渡されるのは複雑だ。

 しかし探していたピースの記念すべき1つ目だ。受け取らないわけには行かない。

 代表して葉月がピースを受け取った。

 『私、ずっと皆の事を見守ってるからね! 大丈夫、胸を張って良いわ。この学校が始まってからずっと学校を見てきた私が言うんだから間違いないわ!』

 ピースを手渡す時、人体模型は優しく葉月の手を握りそう励ました。

 「はい。あの、悲鳴をあげてしまってすみませんでした」

 『いいのよ。肝試しした時も驚かれたんだから。むしろ驚かし甲斐があって楽しいわ』

 人体模型は相変わらずぎょろッとした目で言う。まぶたが無いと目玉が露出して表情が変わらないように見えるから不思議だ。

 「ありがとうございます」

 「なあ、他にピースがありそうな場所しらないか? あと2つ必要なんだけど」

 葉月が貰ったピースはロケットの胴体部分だった。長方形の左右が弧を描き、そこに三角形が1つずつくっついている。しかし、屋上の宇宙船のような丸窓はついていなかった。

 『うーん。できる事なら教えてあげたいところだけど、私も他のピースがどこにあるのかは知らないのよね』

 「そっか。じゃあ後は自力で探すしかないか」

 『用具室とか、図書室とかありそうじゃない? 探してみたらどうかしら』

 「ああ。ありがとな。探してみる」

 虎白は片手をあげて人体模型にお礼を言った。萩香も人体模型に頭を下げる。

 「用具室は1階で図書室は2階だったよね。どっちから行こうか」

 「1階に居るし、用具室でいいんじゃないか?」

 そう言いながら用具室がある方へ方向を変える。

 視界が移る時、再び違和感が襲ってきた。また自分たちが居た場所が変わる。

 90度方向を変えた所で、虎白は目の前に扉がある事に気付いた。

 扉の四角い窓には1枚の張り紙が貼ってある。

 【騒音厳禁。図書室では走らず騒がず静かにしましょう!】

 プレートを見ると、図書室と記されている。どうやら目的地の1つ、図書室に飛ばされたらしい。

 「ちょうどいいや。このまま図書室探そうぜ」

 「ちょ、ちょっと待って‼ 開けないでっ!」

 虎白が戸を開けようと手をかけた上から萩香が押さえつけ顔面蒼白で叫ぶ。

 「萩香ちゃん、どうしたの?」

 「あれ! あれ見て! 犬じゃないの⁉」

萩香は泣きそうな目で図書室の中を指さした。よく見て見ると、長机の奥で茶色の毛並みのようなものが規則正しく上下している。柔らかそうな耳や頬が垂れている。横になっているだけで虎白の身長ほどの大きさがあるブルドッグがそこに眠っていた。

「……萩香はここに残ってるか? ピースを探すだけなら俺たちでもできるかもしれないし」

「そ、そうだね。無理しなくても大丈夫だよ。苦手なものはどうしようもないし」

しかし、今までの流れからすると、いつワープするかわからない。別行動を取る事で離ればなれになる可能性もあった。そうなったら大変だ。

また展示物から何かが出てきたら1人で対処しなくてはいけない。

萩香はブンブン首を振った。

「わ、私も行く!」

「じゃあ絶対声をあげちゃダメだぞ」

「が、頑張る」

図書室に入る前から萩香はもう涙目だ。メダカたちが萩香の傍に寄り添い、励ましている。

「扉、開けるからな」

3人は静かに頷いた。ここから先は何があっても声を上げたはならない。そう肝に銘じて虎白は扉を開いた。

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