第8話 僕の夢
虎白は葉月が何を言っているのかしばらく理解が追い付かなかった。
ここから先へは行きたくない? なぜ。どうしてここまで来てそんな事を言うのか。
「何、言ってんだよ」
水を打ったように静まり返る空気。虎白の声だけが零れ落ちた。
「……」
葉月は本棚から抜き取った本を抱きしめて口をつぐむ。
「どういう事? 葉月君」
萩香が聞く。葉月は何も答えず、けれど何か言いたげに口を少し動かした。言葉にならない胸の内がそこにあるような気がする。
「俺は、俺は帰りたいんだよ。家に帰って、また明日サッカーやって、学校行きたいんだよ」
友だちが居る。家族が居て、学校に行けば先生たちも居る。怖い時もあるしムカつく時も怒られる時もある。それでも学校が気に入っていた。6年間通い続けたあの学校が。
それなのに、ずっとここに閉じ込められるなんてごめんだ。この世界も嫌いじゃないが現実に勝るものだなんて虎白には思えなかった。
「何とか言えよ!」
今更になって立ち止まる葉月に虎白はくってかかった。たったの一言で葉月は怯えたように体を小さくする。
そして、蚊が飛ぶような声を絞り出した。
「僕、引っ越すんだ」
「……は?」
「遠くの町。お父さんとお母さんが、そう決めたんだ」
枝羽根小学校に通う生徒なら、隣町の中学に通うのが普通だと思っていた。クラスメートも全員同じ中学に進む。だから当然葉月もそうなんだろうと思っていたのだ。
「僕、宇宙飛行士になるのが夢で。ずっと宇宙飛行士になりたいって言ってたんだ」
大事そうに抱えた本も、手あたり次第詰め込んだ本棚の本も、よく見れば全て宇宙に関する題名が記されている。
虎白は気づいた。これが葉月の心の中に巣食う不安なのかもしれないと。
葉月が今更になって行きたくない言い出したのは、今まで自分たちが葉月の気持ちを無視してきたからだ。
「それで、この町じゃ夢を叶えられないからって引っ越すことになった。お父さんのお仕事場所が変わったって言われたのもきっかけの1つなんじゃないかな」
1人、今まで言い出せずにいた言葉を吐き出すように葉月は本棚に近づいていく。
「でも僕、この学校が好きで、6年間ずっと一緒に生活してきた皆と離れたくない。ずっとこのままが良いんだ。遠くに引っ越し何て、したくない」
だから、ここに残りたい。
葉月はそう言っているようだった。
「ここなら、ずっと枝羽根小学校がある。引っ越しもしなくていい。怖い事もあるけど、きっと退屈なんてしないよ! だから、ずっとここに居ようよ。外の世界に何て、行きたくない」
「葉月君……」
「お前は、それでいいのかよ。ここに居たら夢も叶えられないんだぞ。どんなに頑張っても宇宙飛行士なんてなれないんだからな」
「いいよ。もうそれで」
葉月は首を横に振ってしゃがみ込んだ。
「だって。頑張って失敗したら僕、どうすればいいの? お父さんもお母さんも僕の事を考えて引っ越しを決めたのは僕だってわかってるよ。でも、それで結局できなかったらどうなるの? できないってわかった後、僕はどうすればいいの?」
虎白には、葉月の抱く恐怖をわかってあげられない。どうしてそんなに怖がっているのか、葉月に何が見えているのかさっぱり見えてこなかった。
「できるかどうか何てやってみないとわかんないだろ。できなかった時の事は、できなかった時に考えろよな」
つい投げやりな答えを投げかけた。葉月はギュッと唇を引き結んで虎白を見上げた。
「虎白君はそれでよくても、僕はそれじゃできないんだよ。僕は虎白君みたいに前向きじゃない」
「でもね、葉月君」
ふいに黙っていたムトが口を開いた。葉月の傍にしゃがみ込み、視線を合わせる。
「時間が止まったこの世界に居ても、何も解決しない。葉月君はずっと悩んだまま。同じ悩みの中に閉じ込められたままだ。それに虎白君も萩香ちゃんも、お家に帰りたがってる」
心細そうに虎白たちを見上げる葉月に、虎白は迷いなく頷いた。
「2人をお家に帰す責任は、君にあるんだよ。葉月君」
「僕の、責任……」
葉月は今にも泣きだしそうだった。
これから、葉月はたった1人、知らない土地へ行き、知らない中学で知らない小学校の中で過ごしてきた人たちと学校生活を送っていく。3年間ずっとだ。友だちはできるかもしれないし、できないかもしれない。1人ぼっちのまま終わるかもしれない。
虎白は自分が同じ立場だったらどうだろうかと考えてみたけれど、友だちを作るのはそれなりに得意だし、不安はあるものの新しい場所へ踏み出すのも嫌いじゃない。結局、葉月の気持ちはわからない。
「じゃあ、こうしよう」
その時、萩香が何かを思いついたように両手を叩いた。
「私、ここから出たら葉月君と虎白君に電話とメールアドレス教えるね。それで連絡取り合おうよ。そしたら遠くてもいろいろ話ができるでしょ?」
なるほど。それは妙案だ。
「俺も中学から専用の携帯買ってもらえる事になってるしいいぜ。冬休みとか夏休みなら遠くにも遊びに行けるしな!」
スキーに雪合戦。夏になれば海やバーベキューなんかができる。これから先、時間が楽しい事を運んできてくれる。止まったままじゃやっぱり退屈だ。
「いつまでもウジウジしてないでさっさと行くぞ」
「えっ」
「困ったときはいろいろ相談のるからさ。私とか虎白君の悩みも聞いてよね」
ガシッと葉月の両腕を虎白と萩香の2人で掴み強引に立ち上がらせる。
「お前沢山本読んで勉強してきたんだろ? だったら、自分の努力信じてやれよ」
サッカーだって、楽しいばかりじゃない。怪我をすれば痛いし負ければ悔しい。だからこそ次の試合に向けて練習する。そう。今はいくらだって次がある。
「今まで生きてきた葉月君の時間が、これからの葉月君の支えになる。さあ、自分自身のためにあとひと頑張りしておいで」
ムトが優しく葉月の背を推した。
「……あの、ムトさんは来ないんですか?」
「私が助けてあげられるのはここまでだからね。学校の中は君たち3人と、メダカ君たちで行くんだよ」
葉月は小さく頷いた。どこか弱弱しいその姿の中に、1つの覚悟が固められる。
「僕、約束するよ。ちゃんと2人を元の世界に帰すって」
「葉月君も一緒に、ね?」
「そうだぞ。お前だけ置いて行ったりしないからな」
「うん。ありがとう。ごめんね。巻き込んで」
「何だよ今更! 泣いてんじゃねーよ」
泣いてるのか笑っているのか。葉月は自分でもわかっていないようだ。
葉月は1冊1冊本棚の並び順を変えていく。大きな不安と、小さな希望を託すように。
最後の1冊を本棚に差し込むと、カチリと本棚から鍵が外れたような音が聞こえた。そして、本棚はゆっくりと地面の中に来て行き、そこに道が開いた。
6年間幾度となく通った校門。そこから続く校舎への道。広い校庭にはサッカーゴールがあり、大小の鉄棒が設置されている。
「行こう」
葉月の言葉に虎白は頷いた。
ムトに背中を見守られながら、虎白たちは歩きなれた道に足を踏み出した。
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