第5話 謎めいた女子高生
バタンと背後で扉が閉じてしまった。振り返ると、白い地面が広がる場所にポツンと扉が置かれている。後ろに回り込んだってあの町の景色はどこにもない。扉ももう開かなくなっていた。
「ここ、なんか子ども部屋みたいだね」
萩香が言った。クレヨンで描かれた太い線があちこちに伸びている。虎白はざっと辺りを見渡した。右手の方向、遠くに小さく見えるのは駅舎だ。虎白の正面、何十メートルも先から線路が伸びてカーブを描きながら駅舎へと続いている。
突然、葉月の周りでジッとしていたメダカたちが駅舎へ向かって一直線に泳ぎだした。
「おい! どこいくんだよ!」
「追いかけよう2人とも!」
「うん!」
虎白にとってメダカは葉月と合わせてくれた存在だ。もしかしたら、メダカたちを追う事で誰かに会う事ができるのかもしれない。
しかし変だ。いや。こっちの世界にきてからずっと変な事続きだったが、扉を抜けた先は更に奇妙だった。青い空、白い雲、緑茂る樹。どれも見知った物のはずなのに、それらが全てクレヨンで描かれている。のっぺりとした2次元の景色は、どうも見慣れない。
3人はメダカを追って駅舎へ向かう。どうやら駅舎や線路は立体的な形を持っているようだ。その駅舎には大きな傘立てのような物がズラリと並び、色とりどりのクレヨンが刺さっていた。ちょうど先端の細くなっている部分が上になっている。
メダカたちは駅舎に置かれているベンチに腰掛ける1人の女子高生へ虎白たちを導いた。
深い藍色の制服と黒いタイツ。時々町で見かける高校生のどの制服とも合わなかった。どこか知らない場所の高校生?
肩くらいの黒髪を垂らしながら、女子高生はメダカを指でつついて遊んでいる。高校生に声をかけるのは、ちょっと怖い。
3人が固まっていると、女子高生の方から話しかけてきた。
「君たち3人の中で、誰が本当の迷子かな?」
「はっ?」
女子高生は両手をベンチに置き、虎白たちの返事を待っている。
「俺たち皆迷子だけど。アンタ誰だよ」
「私はムト。このメダカさんたちと同じこの世界のアシスタントみたいなものかな」
「アシスタント?」
「助手の事だよ」
萩香が答えた。女子高生が頷く。
「そう。迷子が外の世界に出て行けるようにお手伝いする助手。あ、私の事はぜひムトさんって呼んで?」
ピョンっとベンチから立ち上がるとムトはニコッと微笑んだ。悪意のない、純粋な笑顔だった。
「君たちは名前、何ていうの?」
「俺虎白」
「萩香です」
「鏡水葉月です。あの、ムトさんはここの事よく知ってるんですか?」
「まあ、特徴くらいはね」
ムトは立ててあった黄色のクレヨンを引っこ抜くと紙の部分をはがしてみせた。何をしているのだろう?
「移動しながら話すから、とりあえず皆の者、自分のクレヨンも持つのだ!」
クレヨンを持ったままおどけたように言うムトは怖いというイメージより親しみやすい感じがする。
訳もわからぬまま、虎白は青色のクレヨンを手に取り、色やクレヨンの名前がが書いてある紙を破り取った。クレヨンは虎白より頭1つ分か2つ分くらい大きい。こんなのをどうするというのだろうか。
「それじゃ、出発しようか」
そう言うとムトはおもむろにクレヨンを真横に傾け腰掛けた。まるで魔女がが箒に乗るみたいに。
クレヨンは一瞬沈んだけれど、地面すれすれに浮かんで前進した。駅舎を離れ、縦横無尽に進みだしたクレヨンの後には黄色い線が引かれていく。
「ほら、置いて行っちゃうよ!」
「あ! 待ってください!」
早くも遠くなり始めたムトを追い、見様見真似でクレヨンを横にした。
「うわっ!」
急発進して上空に逃げようとするクレヨンを慌ててひっつかみ、虎白はクレヨンに飛び乗った。勢いよくしがみついたせいかグルんと視界が一回転する。四苦八苦しながら地面と平行にクレヨンを保つと、ようやっと直進する事ができた。後は体を左に傾けたり、右に傾けたりすれば方向を変えられる。
ちょうど、クレヨンにまたがって体重を垂直にかけると安定したスピードでクレヨンが地面すれすれを駆け抜ける。不思議とこのクレヨンは地面に接していないのに色を描き出していた。後方を振り返ると、遅れて萩香や葉月がついてきていた。葉月は服の胸ポケットにメダカたちを避難させていたため、出遅れたようだ。
黄色と赤と青、濃い緑色の線が並んで白い地面に模様を描く。
クレヨンの操縦も慣れてきたころ、虎白は黒髪をなびかせて進む高校生にここはどこなのか尋ねた。
「単刀直入に言うと」
難しい言葉で前置きをした後、ムトはチラッと葉月を見た。皆でムトに注目していたせいでパチッと目が合う。
「ここは君の心の中ってところかな」
「僕の、心?」
「そう。ここはあなたが見たもの、体験した事で作られた世界なんだ」
じゃあ、心の中に迷ったとでも言うつもりだろうか? それに、心なんて言われてもわからない。普通、心は目に見えないじゃないか。なのに触れることも話すこともできる。
「でもどうして心の中に来ちゃったんですか? 僕、何もしてないですよ」
「何かしたから心の中に迷い込むってわけじゃないよ。心の時間が止まったから迷ってしまったんだ。葉月君の心は君自身に助けを求めているんだよ」
ますますわからない。虎白は考えるのをやめてしまいそうになった。それを感じ取ったのか、ムトは虎白たちに優しく言った。
「嬉しいとか楽しいって気持ちをうまく感じられない状態って感じかな。この世界にあるものはね、例えばこのクレヨンもただ記憶に残っていたからあるんじゃないの。クレヨンを貰って、嬉しくて、よく遊んだからここにある。心の世界は君が感じ取ったもので作られているんだよ」
「じゃあ、学校のテストなんかは出てこないんだな?」
「どうだろう。嫌いで嫌いで仕方ないなら、もしかしたら化けて出てくるかもね」
「な、なんだよそれー」
「でも安心して。ここは葉月君の心の仲だ。出てくるものは葉月君の印象に残っているものだけだ」
「それなら、あのティラノサウルスも仮面ヒーローも、葉月君の心に残っていたもの?」
萩香と2人で葉月を見ると、葉月は恥ずかしそうに俯いた。
「僕、低学年くらいまで恐竜にはまってて、図鑑をよく見てたんだ。仮面ヒーローは、今もまだ観てるけど」
枝羽根町も葉月の心に残っている家の周辺が心の世界に現れたのだろう。しかし、6年間通い続けた学校やそこへ行く道は現れなかった。
葉月にとって、学校は何なのか。好きでも嫌いでもない、あまり印象に残らない場所だろうか? 学校に来ていた時、教室で一緒にテレビやアニメ、ゲームの話をした虎白は胸の内に言いしれない感情が湧いた。何だか腑に落ちない。
「じゃあ、葉月君は夜より昼の方が好きだから心の中もずっと昼のままなの?」
「僕、昼も好きだけど、夜の方が好きだよ」
ではなぜ太陽は少し傾いたまま動いてくれないのか。夜が好きなら、心の世界も真っ暗な夜のはずだ。
「この世界に来るとき、多分葉月君は昼過ぎくらいだったんじゃないかな。葉月君が心の世界に来た時刻からこの世界は停まったままになるからね」
だとすると、葉月は虎白や萩香が来る数時間前から心の世界に迷い込んでいたのだろう。
「でも、何で俺たちまで迷い込んだんだ?」
「さすがに、君たち2人が葉月君の心の中に入れた理由は私は知らないよ。でも、ここは不思議な事だらけだから。何かに導かれたのかもしれないね」
だとしたら導いたのはメダカたちか。確かめる術の無い事がもどかしい。
少女は虎白たちを見て微笑んだ。それから真面目な顔つきになって言う。
「心の世界に迷い込む人たちは悩みがあるのか、追い詰められているのか。前に進む事も後ろへ下がる事もが出来ない状態になってる。そんな身動き取れない状態だから、ここでは時間は進まないし、夜も明日もこないんだ」
「じゃあ、元の場所で今何時かわからないって事ですか?」
萩香が不安そうに聞く。虎白と萩香が迷い込んでからもう随分経つ。元居た場所ではもう夜中になっているかもしれない。実はもっと進んでいて、次の日の朝になっているかも。そんな予想が浮かんできて虎白は背筋が寒くなった。お母さんたちに怒られるに違いない。
「残念ながらそれは私にはわからない。わかるのは、この世界に居る君たちの時間は停まっているって事くらいかな」」
「もっとわかりやすくいってくれよ」
「簡単に言うと、この世界と同じく君ら3人にも明日は来ないし、ここにいる限り永久に年を取らない。そうだな、君たち今何歳?」
「皆12だったよな?」
2人が頷いた。
「じゃあ永遠に12歳だ。体感で5年過ごそうが10年過ごそうが、君たちは12歳から成長できない。家にも帰れないし、家族や他の友だちにも会えないね」
家に帰れない? じゃあ、学校に通ったり、遊んだりできないって事?
虎白はたまらずに叫んだ。
「俺やだぜ! 帰ってサッカーするんだから」
「私も、お母さんに会えないのは嫌。どうすれば帰れるんですか⁉」
ムトは右手を真っすぐ前に伸ばし、前方を指さした。
「心の中心へ行くんだ。それまで壁はあるだろうけど、乗り越えていかなくちゃいけない。そうすれば、心の時間が動き出し、この世界に居る君たちは外の世界へ出ることができる」
見つめる先にはより多くの線路が入り組み、あちこちで交差していた。木製のブロックでできた車や積み木のお城が見える。どれもこれも虎白より大きい。半円形の穴が開いたアーチ状のブロックの下を通る時なんて、まるで橋の下をくぐるみたいだった。太陽が隠れて地面に影がさす。ブロックを抜けると再び太陽の光に照らしだされた。
「そろそろ別のクレヨンに乗り換えた方がいいかな」
「え?」
少女の声に自分が乗っていたクレヨンを見た虎白はぎょっと目を見開いた。いつの間にかクレヨンは半分以上がすり減っている。
少女が地面に足をつけ、少しずつブレーキをかけながらクレヨンから降りる。それを見習って虎白もクレヨンから降りた。裏返すと地面を向いていた面がつるつるした平面になっていた。
「ここからどうするんですか?」
「とりあえず駅舎で新しいクレヨンに乗り換えようか。まずはこのブロック地帯を抜けないとね」
ムトはクレヨンをその場に置いたまま、スタスタ歩いていく。小さな駅舎はあちこちに点在し、必ず全色揃ったクレヨンが置かれていた。
「葉月はクレヨンが好きなのか?」
「う、うん。今はあんまり使わないけど、小学4年生くらいまではクレヨンばっかり使ってたかな」
「ふーん」
虎白はどちらかというとクレヨンは苦手だ。手に色がつくし、色鉛筆の方が使いやすい。そもそも、絵なんて授業以外であんまり描かない。
それから、2回ほどクレヨンを乗り継いで目的の場所まで向かった。途中からただ乗っているだけなのも退屈になってしまったのでぐるりと回ってみたり、ジグザグに進んで白紙の地面に線を引いていく。
萩香には呆れられるし、葉月は落ちたら怖いからと一緒に遊んでくれなかったが、ムトだけは「私とどっちがうまいか競争しよう」とノリノリで勝負を吹っかけてきた。
と言っても、せっかくかっこよく描いた線はあっという間に後方に消えていく。自分が進んでいるのだから当然かもしれないが、勝負にはならなかった。
「ちょっと待って。あれって動物園じゃない?」
「本当だ。いつの間にか到着してたね」
萩香の一言にムトは立ち乗りの状態で腰に手を当てる。まるでスケートボードに乗ってるみたいだ。円柱のクレヨンの上で脅威のバランス力を見せつけながら、動物園の門前まで進んでいく。皆でクレヨンから降り、動物園を観察する。門の向こう側にオレンジ色の巨大な風船で作られたクマが居て、上から虎白たちを見下ろしている。風に吹かれるたび大きなクマの体が風に揺れて、まるで生きてるみたいだ。
門は横にどこまでも続き、中からは動物の鳴き声が響いてきた。実際に生き物が居るようだ。
その鳴き声がどんな動物なのか、さほど動物に詳しくない虎白にはわからない。だからなのか、まるで未知の生物が虎白たちを威嚇しているようで不気味だった。
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