第3話 ティラノサウルスの悩み事
「うわああ!」
ティラノサウルスに追われてジャングルの中をかけまわる。水でできた、重さを感じさせないティラノサウルスはその軽そうな体に似合わずズシンズシンと地面を震わせて走ってくる。走るたびに振動で体が波打ち波紋が恐竜の体に広がった。
「どうするの⁉ ずっと追いかけてくるんだけど!」
「そう言われても……」
「とにかく逃げるしかないだろ!」
叫びながら木の根や植物の葉をかきわけながら進んでいく。
『待って! 逃げないでよ!』
そんな声が聞こえてきたのは虎白たちの息が上がってきた時だった。振り返ると、大きな口を開けてティラノサウルスが叫んだ。
『お願い逃げないで。僕を助けて!』
助けて? 助けてほしいのはこっちの方なのに。
「あの恐竜、助けてって言ってるよ」
「助けてあげる?」
小声で話し合っているうちにティラノサウルスは眼前に近づいてくる。体が大きすぎて虎白たちが見上げても顔すら合わず、ティラノサウルスは足を軸にグッと姿勢を低くして虎白たちの瞳を見つめた。
「な、なんだよ」
『君たち、綺麗な色の服を着てるよね。羨ましいな。僕にも色をちょうだいよ』
それから、ティラノサウルスは寂しそうに自分の体を見た。
『僕の体を見てごらん。あっちの景色も透けて見えるだろう? こんなんじゃ顔だってよく見えないんだ』
「何を食べたらそんな体になるのか私たちが聞きたいわ」
『他の動物を食べてるだけだよ。彼らも僕と同じ透明な体を持っているけれどね。生まれつき皆水の体を持ってるんだ。』
なんとも奇妙な話だった。生まれつき水でできた生物がこの世のどこに居ると言うんだろう。虎白はもうちんぷんかんぷんだった。
『お願い。君たちの持ってるその色を頂戴。僕こんな透明な体は飽き飽きなんだよ。もっとおしゃれしたいんだ』
「でもこれ俺たちの服だしなあ」
虎白が自分の服をつかんで見せると、ティラノサウルスはあからさまにへこんでしまった。そんなに落ち込まれると悪い事をした気分になってしまう。
さてどうしよう? このままティラノサウルスを放りだすのもかわいそうだ。
うーんと頭をひねっていると、萩香が人差し指で眼鏡のクイッと直して言った。
「さっきの絵具の森に行ってみるのはどう?」
相手は水の体を持つ恐竜だ。もしかしたら絵具を溶かして色を付ける事ができるかもしれない。
「よし。じゃあこのまま戻ろうぜ。そうすれば絵具の森につくだろ」
戻れる確信何てないが動かなければ始まらない。第一、ティラノサウルスのキラキラ輝く期待の目を見たら断る気もおきなかった。
ティラノサウルスも連れだって、虎白たちは元来た道を引き返し始める。
ふっと葉月にくっついていたメダカが恐竜の体をつつき、何を思ったのかその体に体当たりをくらわした。チャポンと水が揺れてメダカたちが恐竜の体に入り、元気に泳ぎ始めた。やっぱり空気の中より水の中の方が好きなのかもしれない。
「ちょっと、大丈夫なの? 胃液で溶かされちゃうんじゃない?」
『大丈夫。食べないから安心して』
体の中に入ったのにそんな器用な事ができるのか。
ティラノサウルスの体の中だというのに、メダカたちは水槽に入ってる時みたいに自由に泳ぎ回っていた。
「そう言えば、そいつら水も無いのに普通に泳げてたよな。何でだろう」
「私たち、いつの間にか変な場所に迷い込んじゃったのよ。もう認めるしかない」
虎白の隣で萩香は天を仰いだ。もはやここに来た道を辿って押し入れにたどり着いたとしても、簡単に帰れるとは思っていない。きっともっと迷ってしまうだろう。何か別に方法を考えないと。
『ところで、絵具ってどんな食べ物なの?』
体にオレンジと白のメダカが加わった事で上機嫌なティラノサウルスが尋ねた。その足近くを歩く葉月はティラノサウルスを見上げた。
「食べ物じゃないよ。絵を描く時に使う道具なんだ。見たことないの?」
『うん。このジャングルから出た事ないんだ』
「じゃあ、ずっとここに居たの? 生まれてからずっと?」
『それはわからない。僕、気づいたらここにいたんだ』
「そっか。僕と一緒だね。僕もどうしてここに居るのかわからないんだ」
『お家に帰りたいかい?』
ティラノサウルスが皆に聞いた。虎白は真っ先に頷いて見せる。
「もちろん。家に帰んないと宿題もしなくちゃいけないし」
「それに、葉月君に配布物渡すように言われているもの」
『よし。じゃあ、色をくれるお礼に僕は君たちがお家に帰るお手伝いをしよう!』
「ホント⁉」
『約束する。僕に協力できる事ならなんだってやってみせるよ』
虎白たちを見下ろして自信ありげに宣言するティラノサウルスは、前方を全く見ていなかった。
「あ、危ないよ!」
葉月が慌てて注意するのも虚しく、ティラノサウルスはそのまま進路上にあった大木に激突した。
バシャッ‼
「ティラノサウルスさん!」
油断していたのかティラノサウルスは樹にぶちあたると潰れて原型を失った。四方にティラノサウルスの一部だった水の欠片が散らばる。
し、死んじゃったの⁉ そう焦った3人をよそに、目か口かもわからない水がフワフワと宙に漂い散らばった水滴も一点に集合してくる。
『ごめんごめん。前を見てなかったや』
なんて言いながら元のティラノサウルスを形作っていった。
『メダカさんたちもごめんね。びっくりしたでしょう』
ティラノサウルスは小さな前足を広げ3匹のメダカたちを確認した。どうやらどこも怪我はなく、無事なようだ。
「大丈夫なの?」
『平気だよ。勢いよくぶつかるとさっきみたいに弾けちゃうけど、また元に戻るから』
不安だ。ただ歩いているだけでも弾けてしまうなら、この先も何度か水滴と化してしまうに違いなかった。
家に帰る手伝いをすると言ってくれた瞬間は頼もしく感じたのに、一転して弱弱しく見えてしまう。
「ほら、ここが絵具の森だぜ」
胸に不安を抱きながら虎白は周りを見渡していった。
ジャングルに入る前、行ったり来たりしていた虎白たちはもう驚きもしないけれど、初めて絵具の森を見たティラノサウルスは大地を踏み鳴らしてはしゃいだ。
大きな巨体が絵筆の穂が草原みたいに生えた大地を踏むと、そこだけ穂が倒れていく。これは良い目印になるかもしれない。穂先は倒れたまま元に戻る事はなく、歩いた後がはっきりわかった。
「何色がいい? ここにはいろんな色が揃ってるみたいだよ」
『うーん。そうだなあ、僕、強そうな色がいいな』
「じゃあ、赤とか?」
虎白は近くにあった絵具のチューブにかけよった。地面から覗いた部分には【赤】と印字されている。
「緑や青もかっこいいよ」
地面から次々とチューブを引っこ抜いてティラノサウルスの前に並べる。黄色、茶色、黒色、白色。気づけば全色揃っていた。
「ちょっと待って。水にいろんな色を混ぜたら汚い色になっちゃうでしょ」
さっそく色付けしようとしていた虎白は萩香の言葉にハッとした。図画工作の時間で絵を描いた後、絵筆を洗うバケツはどんな色だっただろう? 使い古した雑巾みたいな色をしていた気がする。
『気にしなくても平気だよ。色が混ざらないように気を付けるから』
「そんなことができるの?」
『もちろん。じゃなきゃメダカ君たちもとっくに消化しちゃってるよ。さあ、好きなように色を付けておくれ』
ティラノサウルスは足を前に投げ出し座り込んだ。
そこまで言うのなら好きにやってしまおう。
メダカたちを萩香に預け、虎白は葉月を顔を見合わせ好きな色のチューブをティラノサウルスの体につける。一瞬膜みたいなものに引っかかったけれど、色はどんどん広がった。
色と色がぶつかり合う。けれど、混ざり合う事はなかった。色の境界線があちこちにできて行き、あっという間に色とりどりのティラノサウルスが完成する。図鑑に載っているような色ではなかったが、当人はとても喜んでいるようだった。
『素敵だね! 僕に色がついたよ!』
立ち上がって自分の体を見回し、ティラノサウルスははしゃいでいる。ドシンドシンと地面が揺れる。近くにいる虎白は思わずしりもちをついた。
「でも、メーちゃんたちは入れないよね」
小躍りしているティラノサウルスをよそに萩香は自分の周りを泳ぐメダカたちに視線を向けていた。
「問題ないだろ。空気の中でも普通に泳いでるんだから。それより、ここから出る道を探さないと」
そう言って虎白がティラノサウルスに目を向ける。
『約束したもんね。君たちはどこへ行きたい?』
「とりあえず、あのジャングルの先に行きたいよな」
『わかった。ジャングルの出口の端は知ってるから、まずはそこまで行こうか』
満面の笑顔でティラノサウルスは元来た道を引き返す。虎白はその後を追った。
『君たちの名前、聞いてなかったよね。なんて呼んだらいいかな』
歩きながらティラノサウルスは聞いてきた。
「俺は虎白。こっちの眼鏡かけてるのが萩香で、おどおどしてるのが葉月だぜ」
「……たしかに眼鏡はかけてるけど」
「おどおどしてるけど」
「「そんな言い方しなくてもいいのに」」
「わかりやすく説明した方が良いと思ったんだよ」
2人はジトッとした目で見つめてくる。眼鏡をかけているとか、おどおどしているとか、実は気にしていたのかも。
視線に耐え切れなくなった虎白はあえてその視線を無視してティラノサウルスに話題を振った。
「お前には名前ないの?」
『僕? 僕はティラノサウルスだよ』
「それが名前なの?」
『うん』
「ティラノサウルス、なんて長いしちょっと短くしようぜ」
「短くって、どんな風に?」
葉月の問いに虎白は顎に手を当てて考えた。
「ティラノとかでいいんじゃないか?」
「ひねりが無さすぎじゃない?」
萩香が困ったような、呆れたような顔でティラノサウルスをうかがう。ティラノと省略されてもティラノサウルスは不機嫌になる様子はない。
『ティラノか。うん、わかりやすくて良い名前だね』
それにしよう、とむしろティラノはニコニコと目を細めて笑った。恐竜ってこんなに表情豊か何だろうか?
牙がぞろりと並んでいて、他の動物を食べてしまう。そんなイメージからかけ離れた姿に虎白は毒気を抜かれたような気分だ。
「ティラノ君はさ、ジャングルの端を知ってるのに、ジャングルから出ようとは思わなかったの?」
葉月が聞いた。いつの間にか、メダカたちは葉月の元に戻っている。よほど葉月が好きなんだろう。
『僕怖がりだから。外の世界が怖いんだ。外には知らないものが沢山あるんだ。知らない場所より、知ってる場所に居た方が安心できるでしょう?』
虎白にはわからない。知らない世界が怖いなら、一生家の中で暮らすことになる。そんなの退屈だ。枝羽根町の外にも出かけていろんな所へ行きたい。そうすれば楽しい事が山ほどあるのに。
『でも、僕約束したから。ジャングルを出てみようと思う』
ティラノは真っすぐ前を見据えた。
『そら、ついたよ。ジャングルの外が見える』
1歩ジャングルを抜けるとサッと太陽の光に照らされる。日の光に照らしだされた世界が、小高い坂の上に居る虎白たちの視界に広がった。
天を見上げると、太陽は南中より少し傾いた地点にあった。背後で萩香が首をかしげた。
「ここに来た時も明るかっったよね。あれから結構歩いているし、もう少し日が傾いて夕方になっているんだと思ってたけれど」
『夕方?』
「知らない? 太陽が西に傾いていくと夕方になるの」
『太陽はずっとあの位置から動かないよ。だから僕が知る限り、1度だって夕方になったことがないんだ』
「夕方が無い? じゃあ、夜も朝もないの?」
葉月が聞くとティラノは頷いた。そんなのおかしい。
朝が来て昼を超えて夜が来る。それが当たり前の虎白たちには、ティラノの感覚が理解できない。
目の前に広がる世界が、さっきより異質に見える。続く緑の草原。横に視線を滑らせると、右手側に巨大な氷の山が見えた。絵具の森をさまよっている間たどり着いた氷地帯だ。あの時どこまで続いているのか見ていなかったけれど、思ったより広大だったみたいだ。
視線を戻すと、かすむほど向こうに建物らしきものが見える事に気が付いた。
虎白は自分の心が一気に明るくなるのがわかった。
誰かいるかもしれない。
「町があるぞ!」
「どこ⁉」
「あそこ!」
指で指し示す。2人とも目を細め、それから大きく見開いた。
『次はあの町へ行くのかい?』
3人は頷き、駆け出した。メダカたちが後を追い、その後ろをドッシンドッシンとティラノが付いてきた。
体力に自信がある虎白でも息が切れるほど走った頃、虎白は町にたどり着いた。
アスファルトから突き出したポールに青色の看板が虎白を見下ろしている。看板を見て、虎白の目は輝いた。
「ここ、枝羽根町だ!」
町で見かけた事のある案内標識には、確かに枝羽根の文字が記されていた。戻ってきた!
歓喜したのもつかの間、奇妙な事にも気が付いた。車が1台も通ってない。3人は車道にたっていたため、慌てて歩道に入った。ティラノは車道2車線を占領してもまだ歩きにくそう。
でも、誰も出てこなかった。よく考えてみると、枝羽根町は林はあるけれど四方を町に囲まれている。
氷が転がっていたり、うっそうとしたジャングルがあるなんて聞いたこともない。加えて、町には人っ子一人居なかった。
おしゃべり上手なご近所のおばさん、スーパーで働いている金髪のお兄さん、いつも庭の手入れをしているおじいちゃんも居ない。
ためしに虎白は葉月の家に行ってみたけど、扉は固く閉ざされて中に入る事もできなかった。
さらに、家と家の間を何か板のような物が複数行ったり来たりしていた。試しにつかんでみると、それは回覧板だ。虎白の身長くらいある回覧板が何枚も家を巡っている。
「僕たちが居た枝羽根町じゃないみたい」
葉月は自分の家の前でしゃがみこんだ。膝を抱えて、今にも泣きだしそうだ。
『元気だして。きっと帰る道はあるよ』
「そうだよ葉月君。ここ以外にも、探してない場所はある。諦めてジッとしてても誰も迎えには来てくれないよ」
葉月の目頭にたまった涙をメダカたちがつついて拭う。
「ほら、ボケッとしていると置いてくぞ」
「あっ。ま、待ってよ」
誰も居ない町で置いてけぼりにされるのは嫌だ。その気持ちはみんな一緒だった。葉月は萩香たちに「ありがとう」と伝えると虎白の後ろを歩き始める。
けれど、3人とも歩き通しなうえ町まで全力疾走してきたため足腰も限界だ。
「とりあえず、コンビニ行って休もうぜ」
葉月の家からコンビニは歩いて3分もかからない。入れない家の前で休むより、小さな休憩スペースがあるコンビニで休みたかった。
ティラノは店に入れないから駐車場で待機してもらう事にした。今まで土の地面しか知らないティラノはアスファルトや白い白線を物珍しそうに見ていた。
自動ドアが3人とメダカを店内に導いてくれる。店の中にも店員さんやお客さんは誰も居ないみたいだ。
虎白のお腹がグーッと鳴った。
「お腹すいたな」
萩香と葉月のお腹も続いて鳴った。
「葉月君の家に来た時、夕方だったもんね。今頃日が暮れてる時間なのかな」
相変わらず空には少し傾いたくらいの太陽がある。あれからピクリとも動かず虎白を照らしていた。
「なあ、誰も居ないんだしパンとか貰っちゃおうぜ」
「えっ⁉」
「そんな事していいの?」
「ここは俺たちが知ってる世界じゃないんだから問題ないだろ」
「そ、そうだけど……」
葉月は誰も居ない店内にせわしなく視線を泳がせる。
しかし、結局は空腹に耐えかねてそろりとおにぎりを手に取った。
突然警察が来たらどうしよう。そんな事を考えていたせいか、ご飯を食べている間3人に会話はなかった。メダカたちは店のどこかから持ってきたメダカの餌を葉月に開けてもらい、しきりにつついている。ティラノには食パンをあげた。食べるのかわからなかったが、渡してみると食パン1斤を1口で食べてしまった。
いつもみたいに音楽や店内放送の無いコンビニは静かだった。品物を冷やす冷却機の低い振動音だけがかすかに響く。
虎白は1番乗りで食べ終わった。ジュースを飲みながら2人が食べ終わるのを待っている虎白の耳に、何の前触れもなく外からの異音が届いた。
バサバサバサッ!
まるで大きな布に突風を当てたような音。しかも、上空から。
虎白は自分がまだ小学校低学年くらいの時にやっていたヒーローごっこを思い出した。バスタオルをマントにみたてて走ると、ちょうどそんな音がした気が……。
そこまで思い出した直後、店の外、駐車場の中央に勢いよく何かが飛んできた。
ドオン! と思い地響きを轟かし、煙が舞う。その煙の中で、マントをはためかせた誰かが立ち上がった。
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