聖女洗脳編5 勇者の灯心
カッカッカッ
なんの音だ。ふりかえると、門の前にかがんだ男がなれた手つきで石を打ちつけていた。暗くなる前に
ふーっ、ふーー…
横に添えた
この男、魔力が相当ないらしい。ほとんどのやつは火花くらい起こせる。あくびをするより簡単だ。
熱さをこらえてる顔。加減を間違ったのか、あわてて松明に火をうつしている。そして松明から松明へ。点火されてからはたやすくひろがっていく。灯りは朝まで絶えないんだろう。
火を見てると落ち着く。だが。落ち着きすぎると、くそっ、奴の魂がゲロみたいにせりあがってくる。
勇者と犯罪者の魂を、ふつう混ぜるか!?
怒りは夜が明けても消えそうになかった。魔王への怒りとすりかえて話してみたが、あの女はだませても自分はだませない。
おさえろ。殺気が漏れたか、さっきのおっさんがビビってこっちを見ている。手を顔に当ててなんとか笑顔をはりなおした。
遠く。アリアの魔力。近づいている。すでに擬態はできている。
門を見つめているとアリアが顔を出したので黙って笑いかける。いつもつけてる花の香油にかすかに石鹸の匂いも混じってる。風呂上がりなのか。
「勇者様。何をしているんですか?」
「食後の散歩。アリアは、いつものか」
「ええ。今日はつかれましたので少しだけ寝るつもりですが」
当てこすりか。でも謝らない。俺は心が強いからな。
「夜は寝ろよ」
「たとえ3日寝なくても平気ですよ。これでもかなり鍛えてますから」
聖女の微笑みを浮かべ、手を胸に当てて涼しげに言う。……このおっぱいで聖女は無理だろ。おっと。頭を軽く振って煩悩を飛ばす。共感と同調だな。とりあえず褒めてみるか。
「すげえな。すごいし、アリアの生き方に尊敬もしてるけど、たまには休んだ方がいいぞ」
「私は勇者様ほど魔力も強くありません。せめて心だけでも研ぎすまさないと」
「勇者を除けば人類最強レベルだろ。いまは俺もいるんだ。もっと手を抜けば?」
ぴくりと眉が上がった。笑顔がいつの間にか消えている。これはめずらしい。
へらへらおどけて適当言ったら、アリアをイラつかせたようだ。しくったな。変なスイッチを押してしまった。
「……魔王の都では、洗脳された民が魔族に使われてるんです。奴隷ならまだいいです。家畜やおもちゃみたいに扱われてるんですよ!?」
「そうか。酷いな」
「その
魔王め。なかなかやるな。地平線とはかなりの間合いだ。勝てる気がまったくしねえ。
「いまはまだ、誕生して10年の幼体。私たちで倒さなければ……っ! 繁殖してからでは遅いんです。もしも、血の近い魔族と交われば」
ぎろりと俺を睨む。眼光が突き刺さる。
「この世は地獄です」
そして沈黙。
なんだこれ。
たしかにこの世の地獄みたいな雰囲気だった。マジでこいつ余裕なさすぎ。しんどい時こそユーモアだろ。
「成体になるまで多少は時間があるんだろ」
無視。
「時間があれば俺とエミの子供も育つ。俺らがダメでもそのうち倒せるさ」
無視。
「そういやさ、魔力のパスを昼に試しただろ? ほとんど地平線まで届いてた。アリアも十分すごいよな」
また無視。反応なしの無表情。
あのさ、怒りたいのは俺なんだけど。
だが、話が本当なら魔王の力は相当なものだ。地平線までの距離は地球だと約5キロ。この世界もどうせ大差はない。策を弄する必要がありそうだな。
「俺たちには魔力のパスがある。俺を外付けタンクとして使えば魔王にも余裕で勝てるさ」
「……外付けタンク?」
フィッシュ。やっと食いついたか。
「俺の世界には様々な魔法の道具があった。食材を常に凍らせる箱。他の国に今いる友とすぐに話せる石板。必要な魔力は、道具の外から供給していた。あらかじめ川から水を引いておくように。それが魔力を外に溜めておく
親指で胸を指して自信満々に言い切る。
「ここにアリアの魔力が10個はあるんだ。余裕で勝てる」
「……魔力の波長が、違います」
「まあなー…。だが、波長を変換する魔法を編み出せればどうだ? 先に俺らの魔力を混ぜちまうとか。他にもきっと方法はある。これはエミからもらった魔力なんだ。お前らは姉妹なんだから赤の他人よりはマシなはずだろ。かならず突破口はある」
やっとアリアの頬に血の気が戻った。顔色が悪すぎて幽霊みたいに透けるかと思った。
「魔力のパスも使い方次第では面白いことができる。ハンドサインの代わりだけじゃなく会話だってできるだろ? 俺がわかる限界の弱さで、タッて感じの短いのと、ターンて感じの長いのを組み合わせるんだ。ちょっとやってみろよ」
要はモールス信号だ。俺は指揮者のように指を振り合図してやると、アリアはおとなしく従う。
「
「いえ」
「あとで
文字ごとに割り振るほかに短いサインも必要だな。
「これでいつでも秘密の会話ができるな」
にやりと微笑みかけてやると、アリアの頬に血の気が戻った。特別感の演出。エミとの差別化。割りと効果があったらしい。
ふとした瞬間、気が緩んでアリアを許しそうになる。制御しろ。弱みを見せて気を引く。女がよく使う手だ。アンダードッグってやつだな。あっさりほだされてるんじゃねえ。
リノーの街から先、魔族の領域に足を踏み入れればアリアとふたりきりでの強行軍になる。戦闘が激しくなるなか、助けることも助けられることもあるだろう。
人は自分が助けた相手に好意を抱くものだ。必ず愛着がわく。
自分が苦労して助けた相手が無価値な存在のはずがない。自分にとって好意をもった相手だからだ。と、自ら刷り込んでしまう認知的不協和の心理効果だ。
制御しろ。まずは自分を支配する。
「落ち着いたら魔力のパスを強化するか。もっと魔力が流せないと戦闘の役に立たないしな」
「……いいんですか?」
「ああ。信じてるからな」
魔力を奪い切って魔力をゼロにすればアリアは俺を再洗脳できる。そんなことは百も承知だ。あえて危険に身を晒さなければアリアの信用を得られない。
「あ、俺の方にも少しは魔力を流せるようにしろよ。よく考えたら会話にならないだろ」
「ふふっ。そういえばそうですね」
やっとアリアに笑顔がもどった。年相応のあどけない表情。顔だけなら一番タイプなんだけどな。
よし……。最優先目標を達成した。
俺の心の火も、まだ消えてはいない。
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