聖女洗脳編4 勇者の刻印

「アンッ! アオン!」


「かーわいっ。どうしよう、もうっ」


 エミがキャーキャー言いながら狼の子供を愛でているのを、馬車に揺られながら視界の端で眺める。


 狼の子。まるで子犬みたいだな。獰猛な見た目の成体とまるで別物だった。


 庇護欲を煽る戦略的造形。

 ルックス極振りの生存戦略。

 うん、可愛いな……。


 まれに子供や子犬を可愛いと思えない奴がいるが、可愛さにオートでレジストできるだけだ。冷静なヤツも時には必要な場面だ。適材適所。気に病むことはない。


 左右のふたり、なんか距離が近いぞ。いつもより。密着している。また俺がどこかへ行かないか警戒してるのか。


「ひろってきちまったけどさ。こいつらの前で親を殺したからストレスですぐ死ぬぞ」


「ええっ!? ……お父さんはヒドいでちゅねー」


「うるせえ」


 へんな小芝居やめろ。まだお父さんじゃねえし。


「俺を襲う方が悪い。しっぽ巻いて逃げろよ、クソ犬」


 育児中の、いわゆるガルガル期に出くわしてしまったのか。狼の縄張りのなかを街道が通ってた。高魔力者の俺にも牙をむくんだ、遅かれ早かれこうなったろう。すげえ後味がわるいんだが。


「アリア。こいつらに親だと刷り込ませたい。できるか?」


 刷り込み。インプリンティング。心理学では"刻印づけ"という。いっかい親だと焼き付いたら一生とれない跡になるからだ。


 心の焼きゴテ。

 ある意味、洗脳だ。


 俺は運がいい。

 アリアの手の内を見るため都合のいい人質ネタがさっそく手に入った。


 アリアの反応を待つ。超視力で表情を観察しながら。


 そこに浮かんで見えたのは、かすかな逡巡しゅんじゅん。迷いの色か? 俺か、エミに。見せたくないのか。


「あの。勇者様の魔力を浴びたので、私にはむずかしそうです」


「はあ? どういうことだよ」


 アリアはちらりとエミを見て、俺の耳元で囁いてきた。


 「……上書きできません」


 耳。ぞくっときた。いや。


「そうか」


 洗脳は上書きできない。予想はしていた。

 たしかに上書きできたら、エミを洗脳して俺と地下室にのこした意味がない。想定どおり。


 ん?


 気づく。狼の子供をおもわず凝視する。



 なにこいつら。俺が洗脳しちゃったの?



✳︎



 魔力の万能性。また実感することになった。圧倒的な魔力差があれば、親の仇にも懐くらしい。


「……ゴメンな」


 穏やかに共感し同調する。

 そして強く愛して誘導する。


 アリアから聞き出せた"刻印づけ"のコツはそれだけだった。実際にやってみる。


 エミに手を重ね2匹の頭に指を這わせる。

 やさしく。

 ゆっくりと感情の動きに心の耳を傾ける。

 まわりの突然の変化に興奮している。

 戸惑い、怒り、困惑、叫び。

 受け入れる。

 大丈夫だ。大丈夫。守ってやるから。


「大丈夫だぞ」


 声をかけてやる。くしくしと撫でてやると少しは落ち着いてきたようだ。よくわからんが。


「エサどうするかな」


「ミルクあげよう!」


「ミルクか麦がゆ、あとであげてみるか」


 この世界、ミルクはけっこう希少らしい。家畜の出産後に一定期間しか取れないんだから当然だ。人の食い物を奪ってまで、狼を貴族の趣味で飼い始めるのはどうなんだろうね?


 2匹のつぶらな黒い瞳をみつめる。殺す選択はない。アリアから聞き取れる情報はもうなさそうだが、もうすこしだけ役立ってもらおうか。


「"俺のいないときはエミを守ってくれよ"」


 くしくしと撫でて言った。こいつらは俺らの顔を見わけられないだろうが、エミと俺は波長が同じだ。



 俺のはじめての洗脳命令。うまくいくといいが。



✳︎



 鳴き疲れたんだろう。エミの腕のなかで2匹は寝ている。エミまで疲れて寝てしまった。


 そんなタイミングで奴の魂が活性化した。俺の真横で寝るアリア。誘惑。薄紅の唇に吸いつき、この大きな胸を揉みしだく。襲いたい。落ち着け。アリアは俺のせいで昼まで仮眠を取らなかったらしい。


 深呼吸。レジストしろ。適度な怒りを維持してから、アリアの肩をつついて起こしてしまうことにした。


「ん……、どうしました?」


「寝てるとこ悪いな。聞きたいことがある」


 アリアは先をうながすような目を向けてきた。よし。アリアをこの距離で相手にしても感情は俺の手のひらの上だ。コントロールできている。真面目な顔を作って言った。


「魔王のことだ」


 アリアの表情がキュッと引き締まる。


「夢に見た。世界に危機がせまっている」


 キメ顔で、堂々とウソをつく。


「アリアが知っていることを教えてくれ」


 夢で見ただなんて、最低の言い訳だ。


 だが、勇者の夢ならばどうか。おそらくアリアは信じるだろう。意外と信心深いからな。


 そうしてしまえば、俺がいきなり怒りに燃えだしたとしても魔王の夢のせいだということになる。俺の話術ウソのあまりの上手さに自分で褒めたいくらい、完璧な言い訳だった。


「わかりました。すべてをお話しします」


 ブルーの瞳に俺が映っている。真剣な顔をしているな。さて、何を聞こうか。


「気になっていたことがある。魔王の魔力はどのくらいなんだ?」


「……勇者様と比べても遥かに強いと聞いています。おそらく10倍ほど」


「……なるほど。予想どおりだ」


 アリアがあまり話したがらなかったわけだな。絶望的すぎる。


「それだけ強いと何ができるんだ?」


「ふふっ。空は飛ばないと思いますが、」


 アリアなりのジョークらしい。へたくそだな。


「魔王が街にあらわれれば、すべての民の心を支配します」


「……洗脳か。やっかいだな。アリアやエミならレジストできるか?」


「レジスト……。はい、エミより魔力が弱いと、厳しいですが」


 エミの魔力を百、アリアを千、俺を万とすれば魔王は十万か。百以下は街ごと洗脳。ちょっと無理ゲーすぎる。


 神妙な顔をしたままのアリアの姿が、いつもよりちいさく見える。聖女のオーラが剥がれかけていた。華奢な体。大きな宿命。同情心が、カケラも湧かないわけじゃない。


 穏やかな心で共感し、同調してやる。そして言った。


「その程度なら何とかなりそうだ。俺の1億倍あったらどうしようかと思ってたよ」


「……っ! ……さすが、勇者様、ですね」


「ははっ。ああ、任せておけ」


 へらへらと軽く笑いかけてやる。大丈夫。俺は笑顔がかわいい。


 アリアの心になにか刺さったのか、感極まって俺の手を握ってきた。仕方なく、うなずいて握りかえしてやる。



 魔王は強い。仲間はアリアだけ。俺は洗脳され、魂も侵されている。状況は絶望的だ。


 それでも俺の心は折れなかった。


 俺は勇者だ。勇気ウソは誰にも負けるはずがない。

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