完全██編10 東町オストビーゼ

「町が見えます」


 御者に静かに声を掛けられ、馬車がゆっくり減速してから停止した。外を覗くと太陽がもう高い位置にある。なだらかな丘の先、あと5キロほど行ったところに町が見えた。


「んーーーっ‼︎」


 おもいっきり身体を伸ばす。

 エミとアリアの行儀よくのびをする仕草がどちらも猫じみていた。見た目はまったくちがうくせに、ふとした動きがたまに似る。


「……なんなの」

「いや? 別に」


 肩をすくめて微笑んでみせる。


「へんなの」

「いいじゃないですか」

「目がヤラシイ」


 ひどい言われようだった。


 この二人の間にずっとあったはずのわだかまりのようなものが、ここ数日で完全消滅している。確実に何かがあった。何だ。アリアがエミの洗脳を強化したのか。


 そうではなく、勇者召喚という初めての共同作業で関係が改善したとかだったら、勇者冥利につきるけどな。


 洗脳。洗脳魔法。恋の魔法。解除されてあらためて感じるのは、三大欲求の一つである性欲に根ざしていたんだろうなということだ。高魔力者である俺の子供を大量生産したいのであれば、俺の性欲を高めさせるんだから何とも都合がいい魔法だな。


 すると、催眠もあるのか?

 催眠魔法。そちらは三大欲求のもうひとつ、睡眠欲に根をはる魔法なんだろうかね。あるとすればもう催眠を掛けられてるだろうが……、自覚症状はない。気にしすぎなくてもいいかな。


 御者が馬車の幌をめくって固定すると、中にこもっていた空気が爽やかな風に流されていった。


「外から丸見えだな」

「オストビーゼの町に私達が入ればきっと、民が魔力に惹かれて集まってきます。ゆっくり馬車を走らせますので、優しい微笑みと、魂に突き刺さるような意志ある強い貴方のその目をお見せいただけますか」

「目?」


 笑顔ウソは得意だし割りと褒められるけどな。目ってなんだ。


「あー。いいよね。マコトの目」

「あまり言われたことないな。お前ら、瞳が黒いのがめずらしいだけだろ」

「私はすごい好きだよ」


 エミのお世辞に口角を上げて愛想笑いで返してやる。


「……そりゃどうも」

「あ、照れてる」

「うるせえ死ね」

「ふふっ」


✳︎


 町に入るとたしかに人がわらわら集まってきて俺達を遠巻きに見始めた。


 そして特に何も起きず。


 これは確かに町を散策するのは無理なんだな。身分を隠して市場に遊びに行くアラジンとかローマの休日的なイベントもなさそうで残念な気分だった。


 小領主の屋敷は、ウラハの屋敷と比べるとはるかに小さいが、他の民家と比べると数倍デカい。屋敷の前で一堂ずらっと待っていた。おかしいな。俺達は飯食いに寄っただけのはずなんだが。


「世話になります」

「聖女アリア様、勇者様、そしてエミ様。この度は、尊き旅路の始めにまず私めの屋敷にお寄りいただき光栄です。お気に召していただけるかはわかりませんが、心を尽くしておもてなしさせていただきます」


 小領主は筋骨隆々のゴツい大男だった。プロレスラーみたいな体型。たぶん40代。ちりちりの短髪赤毛。魔力はさほど感じない。荒くれ者のような見た目のくせに、特にアリアに対しては慇懃無礼な態度だ。


 まあそうか、貴族様だしな。領内の村長格は頭上がらんだろうね。洗脳を解いた俺を試しに接させる相手としてはちょうどいいわ。


 俺は洗脳を解かれたものの、別に俺を完全支配する方法はいくつもある。洗脳魔法なんか不要だ。


────勇者様。貴方が元いた世界から、貴方の大切な方を召喚してあげましょう。


 アリアにこれを言われたら、俺は泣いて縋って媚び尽くし、アリアの足でも床でも舐めてでも召喚を止めようとするつもりだ。もし俺に尻尾がはえていればきっと千切れるほど振るだろう。元の世界にのこした恋人や家族に、召喚されてすべてを失ったあの絶望感を味合わせたくはない。あんな思いをするのは俺だけでよかった。


 だから、元の世界に帰りたいだなんて死んでも口にはしないさ。アリアに失望されれば俺の扱いはきっとすぐに落ちる。アリアが俺の洗脳を解いたのは気まぐれだ。首輪を外されたからといって調子に乗るか行動を見られている、俺はまだ狭いケージの中の犬だ。


 恋人さえいてくれれば他に何もいらない、この異世界に喚んでもらいたい。そう思ったことも何度かあるが、悪手だ。最悪の手。俺にとって大切であればあるほど利用されてしまうだろう。そこまであいつの愛を信じられないなんて、そこまでの関係だったのか。とかは考えないようにする。


 洗脳。陵辱。嬲られるあいつの顔。考えたくない。名前を心に浮かべることさえ、もう一生するつもりはない。恋人が何かの間違いで召喚されてしまい、あいつに怨嗟の声で罵られたりすれば俺は心が折れる。生きる気力を失う。アリアに対して最低限レジストする力さえも失って、心の全てを洗脳で真っ黒に塗り替えられてしまう。


 とにかく。アリアに従順でいよう。魔王討伐の他にも、超高魔力の種馬としては価値が認められているはずだ。まだ俺の価値は暴落していないはずだ。エミの腹の中の子が育つまでは。


 俺は元々性欲が強いタイプじゃないが、やたらとアリアは俺の性欲を煽ってくる。魔族から人族を守るためにそれが必要だ、きっとそういうことなんだろう。俺は馬鹿みたいに乗るしかない。尻尾も腰も死に物狂いで振るさ、アリアの言う通りに。


 この町の小領主の自己紹介を聞き流しながら、そんなことを考えていた。小領主が後ろに並ばせていた美しい妻や娘達を俺達に紹介する。魔力は小領主がエミと同程度。俺の定義によれば、魔力Bだったか。妻や娘達からは魔力を感じない。魔力C以下なんだろう。この程度の一族でもこの宿場町なら維持できるんだな。


 俺と同じくらいの年齢の娘の一人と目が合った。25才くらいかな、魔力が強いと老いにくいらしいから外れてるかもしれないが。赤毛のくせっ毛。野生的な色気がある。俺に向けられる艶の混じった視線には多少そそるものがあるが、アリアの指示がなければ手を出す気はないよ。名前も聞いてなかったし。ゴメンね。


 ランチタイム。誰も話さないが、それがマナーだからな。静かにムシャムシャした。そして別れ際、


「この子と勇者様は年も近い。この子も気に入ったようですし、しばらく連れて行ってやってもらえませんか? 好きに使っていいですよっ、ガッハッハ!」


 と、先刻の俺の視線から何を読み取りやがったのか。勘が鋭い小領主が軽いセクハラ発言をしてきたが、


「俺達はこれから危険な旅に向かう。貴方の大切な娘を連れていくわけにはいかない。ご理解いただきたい」


 と、小領主を見つめて微笑んでやる。上手く笑えているはずだ。俺はえくぼがかわいい。


 アリアは指示を守る俺の態度に満足したようで、いつもの聖女じみた微笑みの奥に穏やかな感情が見えた気がする。

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