完全██編6 勇者の指形

 まどろみのなか、ぽたりぽたりとしずくがからだをつたっていく。


 いとのようなほそさでちからがぬけていく。


 ほんのすこし。たしかに。奪われてる。

 アリアが俺に何かしてやがる。魔力のパスか。目が覚めた。


 完全覚醒した。

 

 疲労がまだある。窓の外は闇。寝付いてすぐか。たぶん。


 起き上がって外を覗いても、松明たいまつを持った兵士どもが遠くに見える。日の出まで、ゆうに4時間はあるんじゃないか?


 目をつぶって瞑想する。

 間違いない。水滴ほどの魔力量がアリアに流れてる。なんだかむずがゆい。フェザータッチで撫でられてるようだ。


 この程度の魔力量なら息を吸うだけで回復していく。つうか回復量の方が多いわ。意味がわからなかった。アリアは何をしてるんだ?


 俺にとって致命傷にはならない気はする。だが、人のものを奪うなら覚悟が要る。奪われる覚悟が。そろそろアリアにもわからせてやろう。俺からすべてを奪ったことを。


 アリアは今、俺に何かしている。いたずらか? アリアは自室にいる。


 エミにバレないように抜けて、私の部屋を訪ねなさい。そんな合図なんじゃないか?


 昨晩は準備が終わらないエミと別に寝た。より強力なエミとのパスからは何も感じない。寝てるか。これで準備がおわってなかったら笑うな。


 そっと廊下に出て、ゆっくりと歩きながらアリアの思考を推理する。


 経験と直感から、ひとつの仮説が思い浮かんだ。中学生の妄想みたいなやつ。


 こうだ。


 高学歴で頭のいい女はハードなオナニーを常習する率が高い! 俺調べだが。


 また、看護師などのストレスフルな職業の女は性欲が強い! これも俺調べ。


 アリアの来歴を、想像で補完しながら思い出す。


 魔法使いの才能を見出されて、要は高い魔力を見込まれて、教会に聖女として何年かいた。


 教会にはダース単位で聖女がいて、相互に監視されていた。そこでの生活は禁欲的だ。なかなか男遊びができない。よくわからんが貞操を守る必要がある。


 エミは非処女になっても魔力が1割程度しか減ってない。聖女だけ特別か? アリアの奴、聖女は処女でなくなると力を失うという脅し文句なんかで教会に騙されてたりしてな。


 アリアは高等教育を受けている。聖女というストレスフルな職業でもある。俺のようなイケメンを召喚して、誘惑のために濃厚接触しているうちに惚れてしまって、性欲のタガが外れた。ありうるか? 


 ……妄想の域を出ない。穴だらけの、俺の願望だろ、これは。


 昨日してないせいで精神年齢が下がっているらしい。アホくさ。あと数時間で旅立ちだってのに。魔王なめんな。どいつもこいつも。俺もか。


 頭をガシガシ搔く。洗脳が完全に解けた思考だけがクリアだった。ひさしぶりに冴えきっている。


 魔力はこうしている間もチビチビ吸われている。魔力が抜けていく先を心の目で見つめる。闇。その奥のすべてに輪郭がない。それでも集中を深める。


 においも音もない。闇の奥。浮かんでくる。


 アリアの唇。吸われてる。艶かしく舌がうごめいて、俺の指に絡んでくる。一瞬だけ脳裏によぎる淫靡な情景。


 ごくりと、ノドがなったのが、廊下にひびく。


 ま、さかな。アリアに限って。あいつはマジメな女だ。常に人の感情を観察し、自らの感情は完全にコントロールしている。


 これで、試されている可能性もある。アリアの部屋にエミといて、パスを使って誘い出し、誘惑に乗ったら最後、俺を2人で糾弾する。そんなパターンもある。


 ……やるなら今日じゃないか。そういうのは言い訳や逆ギレをされる余地を減らす。こんな旅立ちの朝じゃない。


 アリアの部屋のドアが、そろそろ近い。俺は魔力が強すぎる。隠密にはまるで向かない。どうせもう気付かれてるだろ。


 それでも、足音は殺して近づく。

 あと5メートル。

 すでに、なめくじほどのスピードで、数センチずつ、厚い絨毯の上を、歩いていく。


 アリアの私室。

 扉の向こう。

 壁の奥。

 ベッドに横たわっているだろうアリアの、かすかな息づかいが聞こえる、ような気がする。

 もうすこしだけ、近づく。

 半歩。

 あと半歩だけ。



「……んっ」



 聞こえたアリアの声が意外とデカくてビビる。

 これ。

 これはアレだ。

 あわててうしろを向く。


 俺は間違えた。


 汗がふきだす。

 火照るように顔があつい。

 ナメクジの速度で、やわらかい絨毯のうえを音を殺して、這うように戻る。


 俺の全身の神経が戦闘中より研ぎ澄まされた。今なら100メートル先の針の音さえ、俺の耳は拾いそうだ。



「あっ……………」



 アリアの声がまた。

 切なそうな響き。


 いよいよマズい。

 アリアとの秘密の共有なんて、エミの洗脳だけでたくさんだった。


 廊下のかどまでやっと着き、そこからは転がるサイコロみたいな軽快なステップで、俺の部屋に駆け込んだ。



 アリア……。


 俺の魔力、ナニに使ってんだよ……っ!

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