アリア攻略編14 決戦前夜

 俺は自分の感情をコントロールするのが、昔から得意な性格たちだった。喜びも悲しみも。怒りも。それらをコントロールするのは、俺にとってピンポン球を手のひらの上で転がすのと変わらないくらい簡単だ。


 恋愛感情さえ、穏やかにコントロールできていた気がする。相手を想って恋焦がれるとか、胸が裂けるくらい悲しいとか、そんな経験もなかった。

 幼馴染と付き合ったせいだろうか。告られて付き合い始めたが、俺を好きなことくらい昔から知ってたし。

 母さんと妹。家族は3人だが、意外と穏やかで満たされた人生を送れていたんだろうな。


 だが、この世界に来てからはそうもいかなくなった。感情のピンポン球は、俺の意志に関係なく手のひらの上からフワフワと浮いている。いきなり爆音とともにどこかにフッ飛んで行くこともある。


 アリアに洗脳されたからだ。自分の感情に常に振り回され、その度に殺してやると心に誓ってきた。そのはずだ。


 殺意をかき集めてアリアに向ける。洗脳による命令、『貴族を害するな』。これに反して気を失うほど激痛が起きる。そのはずだった。


 頭の痛みが、弱まってる。


 間違いなく弱まっていた。いつからかはわからない。どれだけアリアを殺そうと思ってみても、気絶するほどの痛みは来なかった。


 アリアを前にしても同じだった。考えるだけでズキズキ痛んでいた、この鬱陶しい洗脳違反の頭痛が軽くなっている。実際に剣を向ければしっかり発生するが。

 この事実に気づいた時、俺は絶望した。目の前が本当に真っ暗になった。俺の無意識はすでにアリアを受け入れていたらしい。


 今すぐ殺す気なんか、ないんだろう?

 いいじゃないか、元の世界に帰る方法を吐かせてからにしよう。

 魔王を倒してからでもいいだろう?


 クソみたいな考えが、うじゃうじゃと沸いてくる。クソで心が埋め尽くされそうだった。


 俺はアリアに、惹かれているのか? 洗脳だ。抵抗レジストしろ。認めたら終わりだ。アリアの奴隷として犬の首輪を付けられて、全裸で足を舐める自分を想像する。


 情けない姿だ。はぁはぁと荒い息を吐いている。気持ちが悪い。飼い主に媚びるような目でアリアを見上げている。

 ご主人様、と情けない声で呼びながら、足元に縋りつき、べろべろと汚い舌で足の指を一本一本舐め上げていく。まるで豚だ。淫獣だった。


 黒い電撃を流される激痛の罰と、脳がとろけるような快楽の報酬に酔いしれている顔。豚の表情だ。きまぐれに俺に与えられるムチとアメ。そのすべてを支配する、金の髪をした美しい少女、聖女アリアを崇拝している豚。


 最悪の未来。最低の結末。

 それさえも、あの女に優しく微笑まれて、美しい空色の目と見つめ合い、深い海のような藍色の瞳の奥をのぞきこんでいると、受け入れそうになる瞬間がある。最低な気分だ。俺はもう、かなり不安定になっているらしい。


 これまで俺は、魔王の話を聞くのを避けてきた。魔王の残虐性、魔族討伐の必要性、人類の被害状況を聞いてしまえば、アリアに同情してしまう予感があった。アリアは悪辣な手を打てる人間だが、根っからの悪人ではないし、むしろ善性で動く人間なのは、一緒にいてわかってきた。


 アリアの弱さも、見ないようにしてきた。知れば、俺を召喚したのも仕方なかったと思ってしまう気がした。





 アリアとの対決の時間が近づいていた。

 負ければ終わりだ。心の自由が終わりを迎える。勇気をふり絞らなければならない。


 おそろしい。

 こわい。

 まだいいんじゃないか。

 このままでいい。

 なにもしたくないんだ。


 噴き出してくる俺の弱い心と、まずは対決しなければならない。わずかな勇気をかき集めて。


 俺は勇者だ。勇気がある者。そういうことになっている。だからきっと大丈夫なはずだ。


「ふぅ……」


 昨晩は寝れなかった。エミの部屋でもう一戦交えた後、エミの寝息をBGMに真っ暗な中で手紙を書きなぐった。


 魔力で強化された視力があれば、星あかりだけでもよく見えた。俺の体の機能はもう人間離れしてる。椅子がギシギシ音を立てないよう、注意してエミの様子をうかがうと、まだ違和感があるのか、左手の指輪に右手が触れていた。穏やかに表情で寝ているのは、嬉しかったからだといいな。


 アリア殺しの成功率が上がるからな。


 俺の寝ていた枕元には流星剣が置かれている。頼むぜエミ、俺の思惑どおりに動いてくれよ。


 敗者復活のワンチャン狙いに手紙も書いた。この部屋のどこかに仕込んでおく。


 準備は万端だ。アリアが部屋に来るのを後は待つだけだ。徹夜でハイになったテンションで仁王立ちになって、左手薬指を撫でながらアリアを待っていた。

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