エミ攻略編

エミ攻略編1 勇者の召喚

「うわあっ!」


 黒い電撃が全身を走り魔睡から醒めた。あたまがいたい。死ぬほど息苦しくて喘いだ。シーツが汗でびしょ濡れだった。隣りからはエミの寝息。


 すこしずつ呼吸が落ち着いてきた。ここは窓のないあの部屋ではなかった。カーテン越しでも星の光があって完全な暗闇ではない。あそこは地下室だったからな。こっちの方が広い。調度類も高そうだ。


 ベッドから違う。天蓋があってカーテンもついてる。頭側の木のパネルにも手の込んだ彫刻がされている。敷き布団も前よりかなりふかふかとしている。羽毛のマットレスか。きっとエミの部屋だろう。汗で汚してすまない気持ちになった。


 今日のことがすぐ思い出せない。かすかに記憶はある。ゆっくりと断片をあつめて、おちついて組み立てていくしかない。もっと落ち着くため、目をつぶり瞑想する。


 今日はあの部屋で迎えを待っていた。久しぶりに服を着た。ここまではおぼえている。


 それから、初日に少し話した金髪娘が来た。『聖女』アリアと名乗った。俺は『勇者』だと、召喚されたのだと、魔王を倒してほしいと、そう言っていた。


 俺はアリアと見つめ合ってから、ひざまずいて手を取り、手の甲にキスをして、君は美しいと、愛していると、君のために魔王を倒すと、そう言っていた。この俺が。


 記憶はある。もうはっきりと思い出せる。だが、とても正気だったとは思えない。


 7日も2人で過ごした女の前で他の女を口説くとか。俺はどうかしていた。


 そもそもだ。元いた世界に恋人がいる。俺にだって貞操観念ぐらいある。会ったばかりのエミと毎日ヤッてたのもおかしな話だった。今まで何も感じなかった。それどころか少しずつ恋人のような感情さえエミに向け始めていた。


 やっと理解した。俺は洗脳を受けている。アリアに。





 俺が異世界に持ちこめたものはなかった。


 何もない。身につけていた服や靴も。スマホも。時計も。指輪も。


 モノは何も持っていなかった。そりゃそうだ。召喚されたあのとき俺は全裸だったんだから。


 持ちこめたのはこの身ひとつだけだ。


 そしてすべてを失った。仕事。貯金。車。家具。パソコン。ゲーム。持っていたものはすべてない。


 人間関係も失った。家族や友達。恋人も。もう会えない。今ごろ何をしているだろう。会いたい。


 昨日の夜はさびしくて泣いた。今も泣きそうだ。


「勇者様。起きてください」


 アリアの声がした。


 入りますねと言いながら、返事も待たずに勝手に入ってくる。二度寝はあきらめてベッドから起きあがった。日の出の前から目は覚めていた。


 プラチナブランドの美しい髪が窓から差した朝日を浴びて、きらきら光るのをぼんやりながめていた。肩のあたりで切りそろえられた毛先やまつげの先端が輝いている。今日は天気がいい。


「起きた。今行く」

「ゆっくりでいいですよ」

「いや大丈夫」

「勇者様。寝ぐせが付いてますよ」

「うそ。恥ずかしいな」


 アリアに対して何か感情が浮かぶ前に、口角を上げ笑う。


 大丈夫。笑えているはずだ。俺はえくぼがかわいい。


 後ろ髪に手を触れてみると、たしかに髪がはねている。アリアが肩を揺らして笑っている。


 俺を異世界に召喚した『聖女』アリア。俺がすべてを失った元凶。


 話していると殺意が高まっていた。あたまがいたい。あわてて視線を胸元に向けた。


 笑うたびにゆれている。服の上からでもわかった。


 今日も聖女っぽい白い修道服を着ている。ぴったりした素材で、体の線がくっきり見えていた。肌や下着もほんのり透けている。平均より大きい胸が服を押し上げていた。顔もかわいいし。本当に見た目だけはいい女だ。


「召喚からもう9日だ。早く魔王を倒したいよ」

「あせらないでください。少しずつ進めましょう」


 アリアは召喚してすぐに洗脳してきた。記憶はないが、そうとしか考えられない。洗脳による命令の内容はこうだ。

 貴族を害するな。魔王を殺せ。アリアに従え。アリアを愛せ。おそらくこの4つだ。

 検証はわりと簡単だった。頭に浮かべると頭が痛くなる言葉があるからだ。命令に従ってる間は謎の多幸感もある。快感のアメと痛みのムチ。クスリか魔法で脳がイジられた。最悪だ。


 7日間アリアに会わなかったから気づけたこともある。洗脳の効果は時間経過で少しずつ薄れるようだ。命令の数が4つと少ないのは、数が増えると強制力が弱まるのだろうか。


 洗脳前に名前を聞かれたという弱めの根拠だが、偽名だから効きが悪い可能性もある。さすがに制約がいくつもなきゃチートすぎる。でなきゃ魔王を洗脳すればすべて解決する。


 洗脳があまり効いていないことがバレればおわりだ。だましとおすしかない。しくればより強力な洗脳をされるだろう。


「すぐに強くなってみせる。アリアのために」

「嬉しいです。でも無理はしないでくださいね」


 俺がこの世界の言葉を話せるのは、召喚直後に読心魔法を奴隷とお互いにかけあったからだ。たぶん魔法陣によって強制的に。


 死ぬかと思った。あの時の、自分が自分でなくなるような感覚はいまだに忘れられない。双方向の読心魔法には言語習得効果があるが、ハウリングが起きて死ぬ危険があるようだ。奴隷は目の前で狂って死んだ。俺が一緒に死ななかったのは運がよかっただけだ。


 そうしてハウリングで頭がガンガン痛む中、アリアに名前を聞かれてたぶん洗脳魔法をかけられた。あれから害意を持つと頭が割れそうに痛くなる。


 そして命令されてエミを抱いた。アリアの目の前で。


 逆らえなかった。恋人を裏切った言い訳にはならないが。


「エミは寝てますね。そっと出ましょう」

「ああ」


 エミはベッドでまだ寝ている。最初の7日はエミと2人きりで過ごした。風呂の水も飲み水もエミが魔法で作って過ごした。2人とも食事も許されなかった。飢え死ぬかと思った。


 何の意味があったんだ?


 未知の病気が勇者の世界から持ち込まれるのを防ぐためだろうか。わからない。わからないことだらけだ。


 いまわかることはひとつ。



 『聖女』アリア。この女のせいだ。


 召喚されて全てを失ったのも。


 あやうく殺されかけたのも。


 洗脳されているのも。


 恋人を裏切ったのも。


 今も頭が痛いのも、全てこの女のせいだ。俺はお前を許さない。洗脳を解いていつか殺す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る