地下室編3 召喚7日目

「ねえ、おもしろい話して」


 雑すぎるフリ。100回聞いた。俺が口を開くのを、エミは目をキラキラさせて待っている。エサを待つヒナかよ。親鳥じゃないが懐かれてしまった。


「レストランでスープを注文した時の話なんだけど」

「それもう聞いたよ」


 ヤッては寝て。起きたらヤッて。


 窓のない部屋。灯りはランプだけ。時間の感覚はすぐになくなった。


 腹は減ったが、ふしぎと体中に力がみなぎっている。なんなら過去イチ元気だ。頭に霧がかかったような感じも最初だけ。今は舌もよく回る。犬みたいになめるし。


「あー、よし。そうだな。前いたところにはコウモリっていうモンスターがいてさ。空を飛ぶんだけど、疲れたら、こんなふうに木の枝に足で掴まるんだ」


 と言いながら両足を高く突き上げピンと伸ばす。腰に手を当てて支え、肘と肩で倒立する。全裸で。


「えー、やだ」

「コウモリはこうやって寝る。ぐう」

「頭に血がのぼるよ」

「俺も寝る。ぐうぐう」

「起きて!」


 と言われて足を下ろす。さすがに恥ずかしくなった。


「いつも逆さまで生活してるしそれが普通なんだ。セックスも木にぶら下がってする。で、オスはイクとき落ちちゃう」

「うそだ」

「ああイク〜ッ!ってあの世に逝く」

「うそでしょ」

「ほんと。イク〜!からのヒュ〜って」

「やだぁ」


 まあウソだけど。エミはくすくす笑っていた。コウモリのマネがウケたらしい。


「交尾して死んだオスが朝とかよく落ちてるからね。それでもオスはエロいから、死んでもいいからヤリたいんだ」


 ウソにウソを重ねていく。コウモリとか見たこともないし。

 そういや、コウモリのコスプレして泥酔したまま道端に放置されたから復讐をする話があったな。登場人物全員ウソつきで面白いんだ。話してやるか。


「オスのマコトもそんなにヤリたい?」


 マコトは今の俺の名だ。適当に名乗った。マコトなのにウソなんだ。


 俺はキメ顔でこう言った。


「ヤリたい。死んでもいい」


「う、うん! いいよ……」


 エミの瞳は潤んでおり、あきらかに欲情していた。おかしいな。ムードのカケラもない、バカ話をしてたはずだが。これが女心というやつらしいな……、わからない……。


 まあ、いい。窓のない部屋。灯りはランプだけ。2人きりの男女。やることはひとつしかない。




 バスタブの中でエミを後ろから抱きしめながら切り出した。やっと出られるという感情は出さず。残念そうに。


「ここをでるのって、もう明日?」


 風呂は掃除が俺、お湯を入れるのがエミの担当だ。いつも俺が1番風呂だったが、はじめて一緒に入ってみた。すこしぬるいな。


「うん。あ、すこしあっためる?」

「サンキュ」


 まるで老夫婦のような阿吽の呼吸である。顔色を窺うどころか、今なんか顔も見てないからな。エミはいつも気づかいがすごい。

 湯温はいま38度くらい。俺的に41度がベスト。異世界人にはわかんないと思うけど、一応おしえてやるか。


「いま38だけど、41がベストだから」

「えっ、どゆこと?」

「ええと、水が凍るのが0、沸騰するのが100、俺らの体は36。で、風呂は41が好き。俺はね」

「そんなことわかるんだっ!」

「エミもそのうちわかるよ」


 むーとかうーとかいいながら、エミがバスタブに熱湯を足すために集中しはじめたようだ。魔法を使うのだ。物理法則を超えたこの超現象を見るたびに、ここは異世界なんだという実感がわく。


「"逞しき火の精よ。麗しき水の精よ。ここに顕現し、もえさかりうねりうねろ"」


 肩越しにのぞいていると、エミの手元でうす紫の燐光がうずを巻いていた。バスルームが紫色にライトアップされ、なんとも幻想的な光景だ。高級ホテル感あるね。光がおさまったらいい感じに熱いお湯が流れ出し、ザバーッとバスタブをあふれる。うん、いい感じ。


「43くらいのがでたなー。いま40くらい。きもちーわ」

「こまかっ」

「てきとーだよー。でもさいこーさいこー」

「うん、うれしそうでよかったよ」


 エミの声はいつもやわらかい。おかげで初日のショックから立ち直ることができた。感謝しかない。


「明日からも、一緒に住もう。俺、何でもするからさ」


 背中に向かって言った。この世界に俺の味方はいない。今はエミが必要だ。すぐに返事がない。聞こえるのはどこかでポチャンと水が垂れる音、ランプのオイルがじりじり燃えるかすかな音、2人の息づかいだけだ。しんぼう強く無言をたもった。


「うっぐ」


 エミが嗚咽を漏らす。肩をわずかに揺らしてすすり泣いている。表情は見えない。少し力を入れて抱きしめてやる。


 とじこめて無理やり作られた関係性。誰かの思い通りに動くのはシャクだが、生き残るためには仕方がない。どんな仕事でもやってやるよ。ヤケクソな気分だった。


「うぐっ。ひっく」


 泣きじゃくる声がバスルームに響く。泣きやむまで待ってやることしかできない。何か言ってやりたいが、俺はエミのことを何も知らない。かける言葉も浮かばない。涙の理由もわからない。


 わからないことだらけだ。元の世界に帰してほしかった。







 天空の鏡と呼ばれる湖がある。湖面が巨大な鏡のようで、水平線の彼方まで空を映していて、空のなかや雲のうえを歩いている気分になるそうだ。


 今、まさに天空の鏡のうえにでもいるような気分だった。どこを向いても空みたいにあざやかな青しかなかった。


 足のうらの地面の感触もないことに気づく。いま自分が立っているのかもよくわからない。目はひらいているのにどこにもピントが合わない。ただひたすらに青かった。ここはどこなんだ。ほんとうに雲のうえにでもいるんだろうか。


 五感がよくはたらかない。重力さえ感じない。あきらかに異常なのに、ふしぎと爽快だった。旅先できれいな景色をみているときのような、感動的なすがすがしさだけで心がみたされていた。


 突然、黒い稲妻があたまから背骨をつらぬいて俺の体をすみずみまで侵していく。強烈な吐き気がこみあげた。にげだしたくてうずくまると、黒い悪寒はもう消えていた。一瞬のことだった。いまのはなんだったんだ?


 吐き気だけが残る。涙がにじむ。えずきながら目を開けると、真っ暗な部屋。床に倒れていた。あたまに霧がかかったような感じがする。ろうそくみたいに小さな灯りが4つ。すこしずつ目が暗闇になれてきて、目の前に人がいたことに気づいた。2人の少女が見おろしている。金髪と銀髪。顔つきから外国人っぽい。


「すいません、倒れていたみたいで。ここはどこですか? あー、言葉つうじないか……」


 英語で言い直した方がいいのか? 金髪の方の少女がかがんで俺におだやかに話しかけてきた。


「伝わってますよ。勇者様、お待ちしておりました」


 肩で切り揃えられたプラチナブロンド。冷たい感じさえする美貌だが、笑うと一転してやわらかい印象になる。……勇者?


「お名前をうかがっても?」

「マコト。勇者って?」

「マコト様、ですね。いい名前です」


 たおやかに微笑んでいる。目と目が合う。宵の口の空のような、深い青色をしていた。その美しさに飲み込まれそうな気がした。目がはなせなかった。何か話している。


 何度も思い出そうとしても、初日の記憶はそこで途絶えている。あー。くそ。あたまがいたい。




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       地下室編 完

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      次回 エミ攻略編

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