第32話 夏子墨の剣さばき

 朱浩宇をかかえたままの夏子墨が、空中であざやかに一回転した。


「おお!」


 朱浩宇の手のなかのモモンガ団子が、また感心して声をあげた。

 朱浩宇をかかえているにも関わらず、夏子墨は軽々と地面へ降りたつ。そして、丁寧な動作で朱浩宇をおろすと、地面に立たせてくれた。


「きれいなお兄さんは、ほんとうに軽功がうまいな!」


 いつも最初に声をあげる次男モモンガが、夏子墨をまたほめる。


「もしや、水面もすいすいと移動できるのでは?」


 次男が話しだしたのをうけて、三男モモンガがあて推量を口にした。

 つづいて四男モモンガも「水面を移動できる者はすくない。ぜひ見てみたいな!」と、夏子墨に期待のまなざしをむける。


「……」


 モモンガ団子が、夏子墨をちやほやしている間も、朱浩宇は無言だった。もはや、わめきたてる元気も、感謝を口にする元気も彼にはない。

 すると、朱浩宇の反応のうすさに、モモンガ団子たちが気づいた。


「小童。二度もたすけてもらったのに、まただんまりか? こどもっぽいヤツだな」


 次男モモンガがあきれて言う。


 ――こ、こどもっぽい?


 覇気をなくしていた朱浩宇のなかに、ふつふつと怒りがこみあげた。なぜなら最近、よく似た見たてを何度となく聞いたからだ。『お子様』とか『こども』とか言われるのは、彼自身も気づかぬうちに禁句になっていたらしい。


「わたしは、こどもっぽくなんかないッ!」


 さきほどまで気分がしずんでいたとは思えない勢いで、朱浩宇は叫んだ。

 朱浩宇とモモンガ団子の間に、険悪な雰囲気がただよったときだった。


「朱師弟。よそ見していてはだめだ!」


「!」


 夏子墨のたしなめる声がして、朱浩宇は今はけんかをしていられない現状なのだと思いだす。すばやく体をめぐらせ、注意をはらうべき対象を見た。すると、民家の屋根のうえから朱浩宇たちを睨みつけ、今にも飛びださんとする巨大モモンガのすがたが目にはいる。


 ――態勢の立てなおしが早い。さっきみたいな攻撃を何度もされたら……


 朱浩宇が現状把握につとめていると、かたわらでとすんと軽い音がした。巨大モモンガから注意をそらさず、朱浩宇は音のしたほうをちらりと見る。すると、姚春燕が彼のとなりに立っていた。状況から、彼女が夏子墨もつかっていた軽功で移動してきたのだと、朱浩宇にはわかる。


「ふたりとも、無事でよかったわ。攻撃をまともにうけていたら、どうなっていたやら」


 言って姚春燕は、目の前の地面に目をむけた。彼女が目をむけたあたりは、さきほど夏子墨に救われる前に朱浩宇が走っていた場所だ。

 姚春燕の見ている場所を、朱浩宇も見る。

 すると、朱浩宇を追っていた巨大モモンガが地面すれすれを滑空したせいだろう。道としてしっかりと踏みかためてあるはずの地面が、大きく掘りかえされていた。


 ――風圧だけで? すごい破壊力だ。


 あらためて惨状を確認した朱浩宇は緊張し、ごくりとつばをのんだ。


「このあたりの村人たちには、避難してもらったほうがいいかもしれないわね」


 地面の惨状をながめながら、姚春燕が今後の方針を口にしたときだった。

 がらがらと引き戸があく音がし、ざわざわと人の声が聞こえはじめる。大きな音や振動を感じたのだろう。眠っていたであろう村人たちが、一人また一人とめいめいの家から出てきた。

 すると、巨大モモンガも状況の変化を感じとったらしい。ゆらりと一歩前に踏みだした。

 巨大モモンガが動きだしたのを見て、姚春燕が切羽つまった様子で言う。


「いけない。飛ばれたら、村の人たちが危ないわ!」


「師父、おまかせください」


 師匠の言葉にすばやく応えて、夏子墨が腰の剣に手をかけた。彼が剣を鞘から抜くと、ぎらりと光る剣身がすがたをあらわす。その剣身の刃先に、夏子墨が自分の指さきを滑らせる。それと同時に、剣身に赤い液体が付着し、彼が指を傷つけたとわかった。

 夏子墨の傷ついた指さきから、血がしたたる。

 血をしたたらせる指さきを夏子墨は剣の柄に押しあて、自分の血を剣に付着させた。

 途端、血のついた剣が淡い光をおびる。そして夏子墨の手から離れると、勢いよく巨大モモンガにむかって飛んでいった。


「おお!」


 朱浩宇の手のなかのモモンガ団子が、また歓声をあげる。

 するどく風をきる音がして、空中を剣が独りでに舞う。

 巨大モモンガはひらり、ひらりと剣身をうまく避けた。しかし、屋根のうえから飛びだし、滑空する余裕はなさそうだ。


「師父、今のうちに!」


 巨大モモンガを飛び襲う剣から視線をはずさずに、夏子墨が言った。

 すると、姚春燕は「ええ」とうなずき、村人たちに呼びかけた。


「わたしたちは青嵐派の道士です。怪異があらわれたの! 危険だから、できるだけ遠くへ避難してッ!」


「ど、道士?」


 姚春燕が避難をうながす声を聞いて、村人のひとりがいぶかしがった。


「幽霊さわぎは、しずまったと聞いたけど……今度は一体、何事なんだ?」


 ――無理もない。


 つい先刻まで『臆病な男の見間違いでは?』とうたがっていた朱浩宇は、不信がる村人の反応をいたしかたなく感じる。


 村人はなかなか信じきれないらしい。

 あら探しでもしているのだろう。ひとりの村人が、姚春燕をまじまじと見た。しかし彼はすぐ、別のものに目をうばわれる。なぜなら、するどく風をきる音が村人の耳にも届いたからだ。

 村人が目をむけたさきは屋根のうえ。そこでは夏子墨があやつる剣が舞い、うなり声をあげる巨大モモンガが空中を舞う剣をひらり、ひらりと避けつづけていた。

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