第33話 命はもちろん大切だよ
「ひいッ! ば、化け物だ!」
先ほどまで疑っていた村人が、悲鳴をあげて巨大モモンガを指さす。
すると、そばにいたほかの村人たちも民家の屋根のうえを見あげた。そして、だれもかれもが巨大モモンガを目にし、大きな悲鳴をあげると一目散に逃げはじめる。
恐怖心が人々に広がるのは早かった。
つぎつぎと家から飛びだし、村人たちは着の身着のまま村の中心部へむかって逃げていった。
ほとんどの村人が逃げだしたあとだ。
姚春燕が、ひとりの老女のすがたに気づく。彼女は外に出てきてはいたが、その場に立ちつくしていた。
「ほら。おばあさんも逃げて!」
行動をうながしながら、姚春燕は老女にちかづく。
しかし、直接声をかけても「でもね」と戸惑いをみせるばかりで、老女は動きだそうとしない。彼女は言う。
「わたしが逃げているうちに、家になにかあったら……」
心配そうに言いながら、老女の自宅と思われる背後の民家に彼女は目をむけた。
姚春燕は老女の不安な気持ちをくんだのだろう。彼女は老女の手をそっととり、なおもやさしく語りかける。
「命あっての物種ですよ。家よりも、命のほうが大切です」
がまん強く説得をこころみながら、姚春燕はつないだ老女の手をひく。
――師父の言うとおりだ。死んでしまったら、家だけが無事でも仕方がない。
姚春燕と老女のやり取りを見ていた朱浩宇は、師匠の言いぶんに納得した。
姚春燕が老女の手をひきながら「朱浩宇」と呼びかけ、話しだす。
「わたしはこの人を安全な場所まで送ってくるわ」
――村人の命を守るのが一番大切だ。
朱浩宇に反論はない。よって「わかりました」と応じ、うなずく。
姚春燕にみちびかれ、老女はしぶしぶ歩きだした。去りぎわ、老女がつぶやいた言葉が朱浩宇の耳にとどく。
「命はもちろん大切だよ。だけど、わたしにはこの家も命と同じで大切なんだ」
そのあと。すがたが見えなくなるまでずっと、老女はときどき自宅をふりかえっていた。
◆
ごたごたがありつつも、周辺の住人はすべて非難を終えた。そして、朱浩宇たちのまわりは一気に閑散とする。
――みんな、逃げおおせたみたいだな。
すくなくとも怪我人がでる事態は避けられそうだと感じ、朱浩宇はひとまず安堵した。
まわりが静かになったせいだろう。モモンガ団子たちのかん高い話し声が、朱浩宇の耳に聞こえてきた。
「きれいなお兄さんは、剣さばきもすばらしいな」と次男モモンガ。
「軽功だけでなく、法器のあやつりかたも完ぺきとは」と三男モモンガ。
「しかも、長い時間あやつりつづけている。なかなかの精神力だ」と四男モモンガ。
わいわいと夏子墨の戦いぶりを見て講釈をたれるモモンガ団子の会話を聞くうち、朱浩宇は彼らの気楽さが気になりだした。
「兄貴分が攻撃されてるっていうのに……おまえらは、のほほんとしすぎじゃないか?」
朱浩宇の言葉に、長男モモンガがすかさず答える。
「あたり前だ。千年修行した大妖怪をなめるなよ! きれいなお兄さんの剣さばきはすばらしいが、兄貴には当たらない」
きっぱりと言い、長男モモンガは「ふん」と鼻息を荒くする。
すると、もう二匹のモモンガも「そうだ、そうだ」と、ジタバタしながら同調した。
――そうなのか?
長男モモンガの言いぶんを確認すべく、朱浩宇は巨大モモンガに目をむける。言われてみれば足止めこそできているが、巨大モモンガには攻撃をくらった様子はない。
――モモンガ団子のいうとおりだ。
現状を見た朱浩宇は、納得せざるおえなかった。そして、巨大モモンガを心配する様子がないモモンガ団子のすがたから、一抹の不安をおぼえる。
――わたしたちなど、あの巨大モモンガの敵ではないと考えるからこそ、こいつらは余裕をみせているんだ……
朱浩宇が考えをめぐらせていると、次男モモンガが「ところで」と口を開いた。
「皮肉ばかり言っているが、おまえは戦わないのか?」
「!」
痛いところをつかれ、朱浩宇はすぐに反応できない。
無言でたじろぐ朱浩宇を見て、三男モモンガが「なんだ?」と口をはさむ。
「もしかして、戦うのがこわいのか?」
言うと、三男モモンガはにやにやと笑った。
すると、四男モモンガが「情けない小童だ」と皮肉を言い、つづける。
「腰の剣は、おかざりなのか?」
口々に言ったモモンガ団子は、くすくすとしのび笑いをした。
「わ、わたしは……」
反論したいと思いつつも、朱浩宇は言うべき言葉が見つからない。
正直なところモモンガ団子のいうとおりだった。仙にも匹敵する力を持つ大妖怪と聞いて、朱浩宇は怖気づいていたのだ。
――さっきのおばあさんではないけれど、命あっての物種だ。勝ち目がない戦いなんて、わたしは嫌いだ。
朱浩宇は激しやすい面もあるが、打算的な人物でもあった。そのため、巨大モモンガとの戦いは命にかかわると判じた彼は、戦いを回避すべきだと考えていたのだった。
朱浩宇が怒りだすと思ったのに、当てがはずれたのだろう。モモンガ団子は面白くないと言いたげに目をほそめる。しかし、急にしおらしい態度をとると、口々に話しだした。
「小童は、自信がないんだな」
「しかたない。小童っていうのは半人前って意味だしな」
「弱いんだから、手をださないのは当然だ」
モモンガ団子の口ぶりは、朱浩宇の心情によりそっている風だ。
しかし、言われれば言われるほど、朱浩宇は腹がたってくるのだった。
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