第30話 千年の大妖怪

 ――ひとりだけ隠れてるのは、いやだよな。でも、掌門の許可をもらっているとはいえ、師父たちがいるあたりは子供には危険すぎる。


 前世につんだ徳のおかげで幸運体質とはいえ、周燈実は小さな子供だ。明らかな危険地帯でつれ歩くのは、非常識だと朱浩宇は考えた。彼は有無を言わさず、周燈実をこの場において離れようと動きだす。

 朱浩宇が立ちあがろうとしたときだ。なにか硬いものが落ちてころがる音がした。

 音のしたほうを見ると、黄色い魔封じの札が目に飛びこむ。そして、目にしているモノが肉形石だと、朱浩宇はすぐに気づいた。


 ――そうだ。急に村にもどる羽目になったから、持ってきてしまってたんだ。


 臆病な村人がたすけをもとめてやって来るすこし前。掌門の部屋で肉形石を手ばなしそこねたのを、その石をひろいながら朱浩宇は思いだす。


 ――こんな石、持っていては邪魔なだけだ。


 朱浩宇は肉形石の存在を面倒に感じた。彼は「燈燈」と呼びかけ、肉形石を無理やりに周燈実にわたす。


「この石、あずかっていてくれ」


 ほんとうは朱浩宇たちのそばにいたいであろう周燈実の顔は、不服そうだ。しかし、黙ったままうなずくと、彼は朱浩宇をあらためて見つめる。

 朱浩宇も周燈実を見かえした。そこで初めて、周燈実の表情には不満よりも不安と心配の色がうかんでいると、朱浩宇は気づく。


 ――当たり前だ。心ぼそいに決まってるじゃないか。


 周燈実の様子を見て、朱浩宇は彼の気もちによりそいきれなかった自らを反省した。そして、不安げな幼子おさなごの頭をくしゃくしゃとなでる。


「だいじょうぶだ。すぐに師父たちともどって来るよ」


 やさしくも力強く言って、朱浩宇は周燈実にほほ笑みかけた。

 すると、心強く思ったのだろう。少しだけ表情をゆるめた周燈実が、小さく再度うなずく。

 朱浩宇も、周燈実にしっかりとうなずきかえす。そして、姚春燕と夏子墨がいる場所へと今度こそ駆けもどった。


 ◆


 朱浩宇がいない間、いくらか交戦があったのかもしれない。朱浩宇がもどってきたとき、巨大モモンガは民家の屋根のうえで姚春燕と夏子墨を見おろしていた。巨大モモンガはうなり、低い声ですごむ。


「わたしの弟分たちを自由にしろッ!」


 ――人間の言葉?


 駆けもどって早々に低く威圧的な声を聞き、朱浩宇は一瞬たじろぐ。しかし、すぐに気合いをいれなおした彼は考えを深める。


 ――モモンガ団子だって話すんだ。その兄貴分が人間の言葉を話すのは、むしろ当然だ。


 動揺する心を落ち着かせて、朱浩宇は姚春燕の隣に立つと彼女に声をかけた。


「あれも、モモンガなんですか? こいつらとあまりにも違いすぎませんか?」


 走ったせいで息をきらせながら、朱浩宇は手のなかのモモンガ団子と屋根のうえの巨大モモンガを見くらべた。

 巨大モモンガからチラリと目を離し、姚春燕は朱浩宇をほんの一瞬見る。そして、周燈実をつれていないと確認したからだろう。彼女はふっと息をつくと、朱浩宇の疑問に答えるべく話しだした。


「すさまじい妖力だわ。しかも、ちかづくまでわたしに気取らせなかった。妖力を自在につかいこなしている証拠ね」


 ――師父に気づかせない……そんな妖怪、ありえるのか?


 姚春燕の話を聞くうち、朱浩宇はますます混乱した。


 人間でも妖怪でも、姚春燕をだしぬく者に出会った経験がなく、朱浩宇はにわかに不安になる。

 弟子の不安など知るはずもない姚春燕は、まなざしをするどくして、さらに話しつづけた。


「もしかしたら、千年ちかく修行しているかも」


 巨大モモンガをにらみつけ、姚春燕は推測を口にする。


「千年?」


 朱浩宇は思わず驚きの声をあげた。


 ――そんなに長く修行しているなら……


「仙になっていても、おかしくない修行年数ですね」


 夏子墨が朱浩宇の考えと同じ結論を口にする。話をする彼は、朱浩宇とは反対側の姚春燕の隣に立って、師匠と同様に巨大モモンガに注意をむけていた。

 すると弟子二人にはさまれた姚春燕が、淡々とうなずき「そうね。そうであるなら」とつぶやく。そして、ようやく朱浩宇の疑問に具体的な答えをだした。


「体の大きさをかえるなんて、造作もないでしょうね。単純に妖怪と呼ぶのもためらわれる。まさに大妖怪だわ」


 疑問への回答を聞いた朱浩宇だったが、もはや巨大モモンガの大きさなど、どうでもいい気もちだった。

 朱浩宇は考えをめぐらす。


 ――わたしたちは、仙人をめざす道士とその弟子だ。そんなわたしたちが、仙に匹敵する力を持つ大妖怪と渡りあえるのだろうか?


 考えれば考えるほど背中に冷たい汗がながれ、朱浩宇は血の気がうせる思いだ。


「……せ」


 心のうちで恐れおののく朱浩宇ではあったが、聞きおぼえのある威圧的な声が耳にとどき、われにかえる。声の主はもちろん巨大モモンガだ。巨大モモンガは、なおも威嚇をつづけた。


「かえせ! わたしの弟分たちをかえせ! わたしのタカラをかえせ!」


 ――ん? タカラ?


 恐れつつも、朱浩宇が違和感をおぼえたときだ。

 巨大モモンガが、また屋根から飛びたった。


 ――まずい、また来る!


 あの巨体に体当たりされては、ひとたまりもない。朱浩宇はすばやく思考を中断すると、脱兎のごとく走りだした。姚春燕と夏子墨も、朱浩宇と同様に走りだす。師と弟子の三人は、めいめいバラバラに逃げはじめた。


 ――わたしを追ってこないでくれよッ!


 逃げる朱浩宇は、祈りながらチラリと背後を見る。しかし、残念にも背後には巨大モモンガがせまってきていたのだった。

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