第20話 夜道を巡回してみれど

 怪異をおこす原因を妓女の幽霊にもとめる仮説に、朱浩宇は疑いをもっていた。だからだろうか。周燈実や夏子墨の話を聞くうち、彼は自身の読みが的はずれではないと確信を深める。


 こうして、怪異に立ちむかうためにすり合わせるべき話は終わった。終わった証拠に、朱浩宇たちの間に沈黙が落ちる。

 しかし、静かだったのはつかの間だった。村人たちの話を聞くうちに、立ちなおったらしい姚春燕が「さて」と手を打ち、師匠らしい口調で話しだす。


「さしあたり分かるのは、こんなところみたいね。さっき見てまわったときは、なにもなかった。でも、夜ふけにだけあらわれる怪異の可能性もあるわ」


 姚春燕は自身の言いぶんを口にする。そして、目の前の食卓にほおづえをつくと「だから」と言い、村人に目をむけて話つづけた。


「彼らが怪異に出くわしたのと似た刻限になったら、もう一度村のなかを見てまわりましょう。それまでは……」


「おまたせしました! ご注文のお料理です」


 酒楼の給仕の元気のいい声が、姚春燕の話をさえぎった。しかし、話を中断する羽目になったのに、彼女に腹をたてる気配はない。むしろ表情をかがやかせると、彼女は給仕にむかって「はい、はぁい!」と手をふった。


「ぜんぶ、わたしの前においてちょうだい!」


 明るい調子で、姚春燕は給仕に指示する。

 すると「わかりました」と、これまた明るく返事をし、給仕は酒や料理を姚春燕の目の前にならべだした。


「いつのまに、たのんだんだ?」


 次々とおかれる酒や料理を見ながら驚き、朱浩宇はつぶやく。とくに、三つ四つと酒瓶が食卓におかれるのを見た朱浩宇は、思わずおのれの目を疑った。


「ぼくも食べたい!」


 新たな料理に目を奪われたのだろう。麺を食べおわった周燈実が元気よく手をあげた。

 くすくすと笑った姚春燕は「食いしん坊ね」と、周燈実にほほ笑みかける。そして、周燈実の鼻先をつつくと「もちろん、いいわよ」と快諾した。

 すると、姚春燕の言葉をかわきりに「では。師淑のぶんを取りわけましょうね」と言って、なれた手つきの夏子墨が取り皿に料理をよそいだす。


 ――この光景、最近見た気がすごくする。


 なぜか気が遠くなる思いがしはじめ、朱浩宇は利き手をひたいにあてた。しかし、くじけかけた心を奮いたたせ、彼は師匠に対して抗議の声をあげる。


「師父。食事が必要なのはわかります。でも、また飲むのですか? 危機感がなさすぎませんか?」


 すると、心外と言いたげな面持ちの姚春燕が「危機感ならあるわよ!」と言い、口をとがらせて主張した。


「破門されるかもしれないからこそ、しらふではいられない! 不安を打ち消すためにも、飲みながら待つわ!」


 きっぱりと言って、姚春燕は酒瓶をかかえこむ。


 ――これが落ちこんだり、恐がってる人間の行動なのか? だとしたら、師父の状況はかなり末期なんじゃないだろうか。


 姚春燕のただならぬ酒への執着心を見た朱浩宇は、見ていられなくなり視線をほかにむけた。

 すると、姚春燕の酒豪ぶりを豪胆さと感じたのだろう。村人たちは歓声をあげだす。

 夏子墨は普段どおりで、甲斐がいしく姚春燕と周燈実の世話をやきはじめている。


 そんな光景を見るうち、朱浩宇はふと気づいた。


 ――もしかして……師父の行動を不安に感じているのは、わたしだけか?


 怪異を取りのぞき、師匠の破門を回避したいと、朱浩宇は心から思っている。だというのに、目的達成への自信がどんどんとしぼんでいくのを彼は感じた。

 目の前にひろがるありさまを見ながら、朱浩宇は自分たちの先行きに思いをはせる。しかし、彼は明るい未来を思いえがけず、どんよりした気もちになるばかりだった。


 ◆


 夜ふけになった。

 酒楼の明かりも落ち、闇夜を照らすのは月明りだけだ。

 姚春燕、夏子墨、朱浩宇、そして周燈実の四人は、村のなかを見まわっている。

 助けを求めてきた村人たちは、見まわりのついでにそれぞれの自宅に送った。


 たいまつを持つ朱浩宇を先頭に四人はずんずんと道を進む。

 朱浩宇のななめうしろに夏子墨。弟子ふたりのあとに、手をつないで歩く姚春燕と周燈実がつづいた。

 姚春燕と周燈実は楽しく会話していて、まるで散歩気分だ。

 しかし、散歩気分になるのも仕方がないだろう。見まわりをはじめてしばらくたつが、村にかわった様子はまったくない。とくに、小さな子供が緊張感をたもちつづけるのは難しい状況といえた。


「なにもあらわれませんね。やっぱり酔っぱらいの幻覚だったんですよ。師父、もう帰りませんか?」


 ぶらぶらと歩くだけの現状にしびれを切らし、朱浩宇が姚春燕に問いかける。

 しかし、朱浩宇の問いに答えたのは夏子墨だった。


「幻覚や見まちがいだったとしても、なにかしらの確認をすべきだよ。もし、また事件がおこったら、師父は今度こそ本当に破門されてしまう」


 夏子墨の言いぶんに、朱浩宇はめずらしく安堵をおぼえる。


 ――良かった。師父の破門の件を夏子墨は忘れていない。


 自分以外の三人が、酒楼での緊張感のない様子だったのを朱浩宇は思いだした。あれからずっと『師父の破門を回避しようと頑張っているのは自分だけなのでは?』と、彼は不安に思っていたのだ。


 ――夏子墨の言うとおりだな。怪異がなくて無駄足を踏むよりも、掌門を納得させられずに怒りを買うほうが、よほど恐ろしい。


 夏子墨の言いぶんに納得した朱浩宇は、さらに考えを深める。


 ――掌門に納得してもらうには、なにか証拠が必要だ。でも、怪異がないと証明するって、具体的にはどうすればいいんだ?


 疑問に感じた朱浩宇は、しばらく考えこんだ。そして幸運にも、疑問に対する答えをすぐにひらめいた。

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