第四章 杯中の蛇影
第16話 村の酒楼、ふたたび
「仙人さま! 来てくださって、ありがとうございます!」
妓女の幽霊さわぎのときにも話をした村人が、今にも拝みださん勢いで礼を言う。
礼を言う村人の目前には、食卓にひじをつき頭をかかえる姚春燕のすがたがあった。
「どうして、こうなった?」
だれに問うでもなく、姚春燕が低い声でつぶやく。
幽霊さわぎがあった村からの新たな救援ねがいをうけた姚春燕。彼女は、先日おとずれたばかりの村の酒楼に舞いもどっていた。
頭をかかえる姚春燕の背後には、ふたりの弟子が無言で立っている。たたずむ彼らの表情も、師匠と同じくどんよりと暗い。
落ちこむ師と弟子のかたわらには、行儀よく食卓につき麺をほおばる周燈実のすがたもある。湯気のたつ麺をはふはふと夢中で食べる彼の表情は、朱浩宇たちとはちがい幸せを絵にかいたようだ。
「蔡掌門。とても怒ってらっしゃいましたね」
いまだに顔色を青ざめさせながら、夏子墨がぼそりとつぶやいた。
「幽霊さわぎのいきさつは、しっかりと報告したのに……どうして師父は、わたしを信じてくれないのかしら?」
言いながら、頭をかかえていた姚春燕は食卓につっ伏す。しかし、彼女は唐突に体を起こすと、うしろを振りかえった。振りかえったさきには夏子墨がいて、彼女は彼にすがりつきながら問う。
「わたしの報告は、納得のいく原因と結論をみちびいてたわよね?」
「状況から考えても、ふさわしい考えを師父は話されていたと思います」
師匠の気持ちを落ち着かせたいのだろう。夏子墨は、彼にすがりつく姚春燕の背中をやさしくたたいてやる。
――師匠と弟子の立場が、逆転してないか?
夏子墨に甘える姚春燕のすがたにあきれながら、朱浩宇も姚春燕の問いに対する彼の考えを口にした。
「日ごろのおこないが悪いから、仕事のできを疑われたのです。いまだに破門されそうなのは、師父に信用がないからですよ」
きっぱりと言いきった朱浩宇は、門派の拠点を出発する前に会った宋秀英のすがたを思いだす。そして「たとえばですが」と言って、言葉をつづけた。
「師父ではなく
「うううう。かえす言葉もない」
宋秀英を引きあいにだされた姚春燕は、今にも泣きださんばかりの表情だ。
幽霊さわぎのあった村からの新たな救援ねがい。
しかし、青嵐派の掌門である蔡凜風は、救援ねがいを新しい問題が起きたとは考えなかった。姚春燕の幽霊さわぎへの対応が不十分だったために問題が再発したのだと、彼女は考えたようだ。つまり新たな救援ねがいは、幽霊さわぎと因果関係があると断じたわけだ。
破門しようとしている弟子が失敗をさらに重ねたと思い、腹がたったのだろう。救援の求めをうけた蔡凜風の顔は、まっ赤だった。怒りで今にも吐血するのではと疑った朱浩宇は、掌門の様子に心底ひやひやした。
怒る蔡凜風を思いだし、朱浩宇は思わず身ぶるいする。
話のむかうさきをかえたいのだろう。夏子墨が「と、とにかく」と声をあげ、朱浩宇の話をさえぎる。そして、つとめて明るく姚春燕にほほ笑みかけると言った。
「もう一度、機会をもらえて幸運でしたね!」
――たしかに幸運だった。でも、破門の件で二度も掌門を拝みたおす羽目になろうとは……
ひざまづいて頭をたれる叩頭の礼でたのみこんだ朱浩宇たちは、やっとの思いで蔡凜風から二度目の機会をもらったのだ。
当時の情景を思いだし、朱浩宇は今度はうんざりした気もちになる。
ちなみにだが、青嵐派の拠点を出立する際。蔡凜風は「今度こそ、村のみなさんの気がかりをしっかり取りのぞいてさしあげるのよ」と、朱浩宇たちに念押しした。
――三度目はないだろう。もう失敗は許されない!
蔡凜風の怒りをしずめ、姚春燕の破門を回避する。目的達成のためには、できるだけ迅速に怪異を終息にみちびかなくてはならない。
「師姐。ぼくもがんばって手伝うから、元気だして」
瀬戸際にたたされた師と弟子がそれぞれに思いをめぐらせていると、周燈実が底ぬけに明るい声で姚春燕をはげました。
「燈燈!」
夏子墨にすがりついていた姚春燕は、今度はかたわらで麺を食べている周燈実に飛びついた。そして、彼に
「周師弟は、わたしの味方なのね!」
「うん。ぼくはいつでも師姐の味方だよ!」
頬ずりされ、うれしいらしい。周燈実は満面の笑みで姚春燕に応じた。
――緊張感のかけらもないけど、だいじょうぶかな?
半泣きで周燈実に頬ずりする姚春燕のすがたを見て、朱浩宇は不安になる。しかし、怪異を終息させるしか残された道はない。気もちを切りかえた朱浩宇は解決策を相談すべく、あらためて口をひらいた。
「荒れ地には、おかしな気配はありませんでしたね」
酒楼をおとずれる前。村の異変を探ろうと、朱浩宇たちは村のなかを歩きまわり、妓女の幽霊たちと出くわした廃虚にも行ってみたのだ。
朱浩宇の言葉をうけて、夏子墨が「うん」とうなずいて言葉をつづける。
「すくなくとも、わたしたちが見てまわったかぎりでは、村のなかにも幽霊がいるらしい気配はなかったね」
夏子墨は言いきった。
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