第17話 怪異は酔って見た幻覚
――夏子墨の言うとおりだ。村のなかにも怪しいところは何もなかった。つまり、今のところ終息させるべき怪異の見当すらつかないんだ。
現状を検証しても怪異の存在を確認できず、朱浩宇は「あなたの気のせいではないですか?」と、たすけをもとめてきた男に言いはなつ。
すると、男は大きく頭をふり、朱浩宇の言葉を否定した。
「気のせいなんかではありません!」
朱浩宇に疑われた男は、声を荒らげた。そして、感情的に言いかえす。
「きのうの夜中、酒楼からの帰り道に出くわしたんです! 視界をうばわれたうえに、脅されもしたんだ!」
「酒楼からあなたの家への帰り道で、ですか?」
よくよく考えながら、夏子墨がたずねた。
妓女の幽霊さわぎでは顔をあわせておらず、ほぼ初対面だったせいだろうか。それとも、夏子墨が常人ばなれした美貌の持ち主だからだろうか。夏子墨に質問された男は「は、はい」とうなずき、おっかなびっくり彼の言葉を肯定した。
「つまり、村のなかで行きあったのか」
朱浩宇が察しをつける。
すると、男はまた「ええ」とうなずいて、彼なりの考えを口にした。
「退治しきれなかった幽霊がまだ、村のちかくに身を隠しているんですよ!」
――退治しきれなかっただって? 失礼な言いぶりだな。
自分たちの幽霊へのあしらいを悪しざまに言われた気がして、朱浩宇はおもしろくなく感じる。しかし、気にいらなくはあるが想定しておくべき事柄だとも考え、言いかえしたい気もちを理性でおさえた。そして、考えをめぐらす。
――万が一、退治し損ねていたとしても……
「幽霊があらわれるのは荒れ地だろ? しかも、元凶だった肉形石は取りのぞいたんだ。退治しきれなかった幽霊がいるとしても、弱体化しているはず。荒れ地から離れた村のなかで、村人を襲えるだけの力があるとは思えない」
すると、朱浩宇の考えを聞いて、黙っていた夏子墨が情報をたした。
「妓女の幽霊は男を誘惑するために、すがたを見せて色情をあおるんです。だから、見た目が武器ともいえる。にもかかわらず視界を奪って、武器であるすがたを見せないなんて、らしくない気がします」
――まったくだ!
考えれば考えるほど、男の言いぶんが疑わしく思えてくる。たまらず、朱浩宇は姚春燕に申し立てた。
「師父。幽霊なんていないんですよ。臆病者が酔っぱらって、幻覚を見たんだ!」
周燈実に
――おかげで師父は、いまだに破門の危機にさらされている。師父が破門されれば、わたしも一生笑い者なんだぞ!
姚春燕が破門されたときの影響に思いをめぐらせた朱浩宇の心は、男への不満でいっぱいになる。
「気のせいでも、幻覚でもありませんよ!」
朱浩宇の不満を知ってか知らずか、男は自身の考えを曲げなかった。彼は、さらに主張する。
「なにかを見たと思ったちょっとの間に視界を奪われて、かん高く恐ろしい声を耳もとで聞いたんです。幻覚や幻聴とは思えません!」
朱浩宇の言葉を否定した男は「わたしのほかにも証人がいるんだ! けが人だっているんですよ!」と、さらに息まく。
――怪異に出くわした人間が、ほかにもいるだって?
思いがけない新たな事態に、怪異は男の妄想だと考えていた朱浩宇はたじろいだ。
男は酒楼のなかを見まわす。そして「おい。来てくれよ!」と、何者かを呼んだ。
すると、すぐに「おう!」とか「今、行く!」とか返事がして、ふたりの男がやって来た。彼らの様子には動揺も困惑もない。どうやら、なぜ呼ばれたのかを分かっていて、むしろ声がかかるのを待っていたらしい。
見ると、ひとりは目立ったケガもなく、いたって元気そうだ。
――もうひとりは、顔に大きなすり傷をつくってるな。けが人は彼なのだろうか?
あとから来たふたりをまじまじと観察しながら、朱浩宇は漠然と考えた。
「このふたりも、わたしと一緒に怪異に出くわしたんです!」
呼びよせたふたりを指さしながら、男は言う。そして「ふたりとも、仙人さまに昨晩の話をしてくれよ」と、彼らにたのんだ。
胸をたたいて「もちろんだ!」と言い、目立ったケガのない男が姚春燕に話しかけた。
「ところで、あなた方は荒れ地の幽霊を退治した方たちですよね?」
問われた姚春燕は「ええ。まあ、そうですね」と、気にする様子もなく肯定する。
姚春燕の言葉を聞いて安堵したのだろう。顔にすり傷のある男が「なんと心強い!」と、表情を明るくした。
「おふたりも、怪異に出くわしたんですか?」
本題をうながすべく、夏子墨が丁寧な口調で村人たちにたずねる。
顔にすり傷のある男は「ええ、ええ。そうなんですよ!」と、夏子墨の問いかけに興奮ぎみにうなずくと、話しだした。
「わたしたちは、とても恐ろしい思いをしたんです!」
この言葉がきっかけとなる。
もといた男をふくめた村人三人は、自分たちが出くわした怪異について口々に話しだした。
村人三人の証言をまとめると、彼らの出くわした怪異とは、つぎのような話だった。
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