第12話 損な役まわり

 ――縁起物か。つまり……


「食うに困らず……みたいながんかけをして、拝むのかな?」


 朱浩宇がぽつりとつぶやいた。

 姚春燕が「そんなところね」と、朱浩宇の言葉にあいづちをくれる。そして、朱浩宇たちに近づけていた顔を離すと「ただ」と言って、話しだした。


「石にこめたのは、俗っぽい願いごとではないみたい。長い間、少しずつ霊力がそそがれた……そんな感じだわ」


 朱浩宇と夏子墨は、姚春燕の話がつづくと見抜き、彼女のほうに目をむける。すると、彼らの予想は的中した。


まつっていたのか。霊脈のちかくにでもあったのか。判然としないわね」


 言葉のつづきを口にした姚春燕は、言いおわると黙りこんだ。

 そして、だれも肉形石に霊力がやどった理由がわからず、場は静まりかえった。

 しかし、いくらもしないうちに夏子墨が「経緯はわかりませんが」と静寂をやぶり、姚春燕にたずねる。


「大雨で肉形石が流れてきて、石の霊力で幽霊たちが活性化した……師父は、そう思われているのですね?」


 夏子墨の問いを姚春燕は「ええ」と、うなずきで肯定する。

 すると、夏子墨は「だとしたら」と口にし、さらに質問した。


「なんらかの対処を肉形石にしなければ、今回の事件は解決しないのですね?」


 夏子墨にたずねられ、姚春燕は再度「ええ」と、大きくうなずいてみせる。そして「だから」と口にし、なぜか朱浩宇に目をむけた。


「魔封じの呪符で肉形石を封じましょう。そして、拠点にもち帰るの」


 朱浩宇の肩に手をおいて、姚春燕が言う。

 自分の肩におかれた手を見、つぎに姚春燕を見て、朱浩宇は口をひらいた。


「わたしに……やれと?」


 朱浩宇がたずねると、姚春燕は無言でうなずく。


 ――たくさんの幽霊たちを活性化したものをわたしの術で封じるなんて、できるのか?


 幽霊を一体だけ倒せばいいと思っていたときとはちがい、朱浩宇は臆病風に吹かれた。しかも、肉形石がどぶくさい泥とごみのなかにあるのも気になる。


「これって、危険なものではないのですか? 師父が封じるべきでは?」


 ――危ないかはともかく、におうのは間違いない。


 役目から逃れようと、朱浩宇は異をとなえた。

 しかし、姚春燕は、朱浩宇を逃がす気はないらしい。彼女は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と軽い調子で言って、理由を口にする。


「大半の霊力を放出しきってるわ。今なら、封じるのは簡単よ」


 うけあった姚春燕は、照れた様子で「それに、わたし……」と、朱浩宇から視線をそらすとつづけた。


「今は、酔っぱらってるし」


 ――酔っぱらいのしわよせかッ!


 大いに不満をつのらせた朱浩宇は、姚春燕にくいさがる。


内功ないこうで酒気を飛ばせば、しらふに戻れるじゃないですか!」


 仙術にしろ、武術にしろ、自分自身や自然界の気を自在にあやつる内功の習得は、基礎中の基礎。師匠として弟子を教えみちびく姚春燕たち道士は、もちろん内功をつかえてあたり前だ。彼女の内功ならば、酔い覚ましなど朝飯前のはずなのだ。

 すると、姚春燕は大真面目な顔をして「馬鹿を言わないで!」と声をあげると、内功をつかわない理由を高らかに叫んだ。


「酔いたくて飲んだのよ! 酒気を飛ばすなんて、もったいない! ぜったい、いやよ!」


 ――馬鹿はそっちだ!


 朱浩宇は、ののしってやりたかった。しかし、腐っても姚春燕は朱浩宇の師匠。憎まれ口をたたくわけにもいかず、朱浩宇はかわりに夏子墨をじとりと見て『おまえがやれよ!』と、目で訴える。

 朱浩宇の視線に気づいた夏子墨は、気まずい様子でへらりと笑い「わたしの呪術はまだ未熟だからね。師弟にまかせるよ」と言った。

 夏子墨の言葉は、謙遜ではなく事実だったので、朱浩宇は思わず閉口する。


 だらけた生活をしている姚春燕の世話にばかり注力していて、夏子墨は呪術の修練をおろそかにしがちなのだ。妖仙の血を使えば、魔封じできなくはないかもしれないが、力の加減を間違えれば、珍品である肉形石を壊しかねない。


 ――わたしが封じるしかないのか……


 地味だし、くさい。かかわりたくない場面ばかりでたよりにされる自分の境遇を、朱浩宇は心の底から呪った。


「夏子墨。おまえ、師父を甘やかすのも大概にしろよ! おまえが本来やるべきことは、ほかにあるだろう?」


 夏子墨に嫌味を言いながら、朱浩宇は懐から魔封じの呪符を取りだす。そして、肉形石に封印をほどこすと、指さきで泥まみれの肉形石をつまみ、すばやく手巾でぐるぐるに巻いて、しまいこんだ。


 朱浩宇が肉形石を封印したのと同時に、あたりに満ちていた気配がうすれはじめる。そして、霧もはれた。霧がはれると、視界が悪かったのは暗さのせいだけではなかったのだとわかる。


 朱浩宇は、あらためて周辺を見まわした。すると、姚春燕が動きを封じていた妓女の幽霊たちのすがたも、呪符だけを残し、いつの間にか消えていた。


「うまく封じたようね!」


 朱浩宇と同様にあたりを見まわして、姚春燕が満足した様子で言う。


「まさか、大雨が原因で幽霊が活性化するなんて……」


 肉形石をいれた懐に目を落とし、こわごわとにおいを確認しながら、うんざり顔の朱浩宇も口をひらいた。

 朱浩宇の言葉をついで、夏子墨が「そうだね。わたしたちの門派も、大雨のせいで困っている人たちがいるしね」と言い、急に思いついた顔をして、さらに言葉をつづける。


「ほかにも、なにか面倒をひき起こしているかもしれませんね」


「縁起でもない。勘弁してくれ!」


 夏子墨の不穏な言葉に大きく頭をふり、朱浩宇が全力で拒絶の態度をとった。

 話すうち、空が白んでくる。

 空に目をやった姚春燕が「そろそろ、帰りましょうか」と、弟子たちをうながす。

 朱浩宇と周燈実はうなずいて、姚春燕のあとにつづいて歩きだした。

 しかし、夏子墨が慌てた様子で「待ってください」と、三人の行動をさえぎる。そして、彼はこう口にした。


「おそらくですが、生存者がいると思うんです」

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