第10話 師と弟子の問答

「わたしは……」


 風がおさまると、朱浩宇がひさびさに声を発した。夢からさめた表情をしていて、なんとか正気をとり戻したらしい。


「師弟。幽霊に触れさせるなんて自殺行為だよ。気をつけなければね」


 まだ調子が戻りきらない朱浩宇を、夏子墨がさとした。

 さきほど自分が言った言葉をかえされ、きまりが悪い朱浩宇は礼も言わずにそっぽをむく。

 沈黙のなか、夏子墨があきれまじりのため息をついたときだった。


のお兄ちゃーん、しゅのお兄ちゃーん」


 廃屋の一階からだろう。夏子墨たちを呼ぶ子供の声が聞こえてきた。


師父しふ師淑ししゅくが、いらっしゃったみたいだね」


 声に注意をむけていた夏子墨が独りごちた。そして、朱浩宇を見ると、みだれた着物すがたの彼に眉をよせる。


「その格好で会うのは、師淑の教育に悪いね」


 言うやいなや、夏子墨は朱浩宇の身なりを手ぎわよく整えだした。

 夏子墨のとつぜんの行動に驚きつつも、朱浩宇はされるがままだ。

 すると夏子墨は、うごけずにいる妓女の幽霊たちの着物までも整え、最後に彼自身の乱れた身なりを整えると「師淑! わたしたちは二階にいますよ!」と、大きな声で呼びかけた。

 ややあって、姚春燕と周燈実が部屋にはいってくる。


「無事だったのね」


 普段どおりの夏子墨のすがたを見て安心したのだろう。姚春燕はホッと息をついた。

 夏子墨が「はい」と、うやうやしく姚春燕に頭をさげる。

 うなずきで夏子墨に応じ、姚春燕は「建物のなかにいたのは、この二体だけのようね。似た幽霊が外にも五、六体いたわ」と、部屋のなかを見まわしつつ言った。


「多いですね」


 助けるはずが助けられ、気まずくて黙りこんでいた朱浩宇だったが、予想外の幽霊の数に思わず声をあげる。そして、彼は「こんなにたくさんの幽霊があらわれるなんて。師父のおっしゃるとおり、なにかがおかしい」と言って、床に視線を落とした。

 朱浩宇が思考しはじめたと感じた姚春燕は「ええ」と、うなずく。そして「では、問題」と軽い口ぶりで言うと、朱浩宇と夏子墨にたずねた。


「こんな奇妙な状況を生む条件とは、一体なんだと思う?」


「幽霊があらわれるのですから、未練を残して死んだ人間の魂が必要ですね」


 悩む様子もなく、夏子墨が答える。

 ほほ笑んで「正解」と夏子墨に応じ、姚春燕は朱浩宇に目をむけ質問を深める。


「未練に着目したうえで、目の前にいる幽霊たちを見ると、わかることがあったわね。覚えている?」


 この質問は朱浩宇には既知だった。夏子墨と同じで、彼も間髪いれずに答えを口にする。


「若くて派手な身なりの女ばかりです。酒楼の客が言っていたとおり彼女たちは妓女で、わたしたちがいる廃屋が妓楼だったのは、間違いないでしょう」


 朱浩宇の話を聞いて、酒楼の客とのやり取りを知らない夏子墨は「なるほど。妓女と妓楼か」と、つぶやく。そして、姚春燕に話しかけた。


「では、建物のまわりの墓標は、妓女たちの墓標なのですね。未練を残した幽霊が、複数体いるのも当然ですね」


 夏子墨の言葉に、姚春燕はうなずくと「問題は、ほかにもあったわよね」と言い、朱浩宇につづきを話すよう視線でうながした。

 朱浩宇は一瞬たじろぐ。しかし、幸運にもすぐに思いだし、話しだす。


「わたしたちがいる妓楼は、五十年前から廃虚。とうぜん、墓も古いはず。でも、事件がおきたのはここ一カ月。今ごろになって幽霊が出没しはじめるのはおかしい……でしたよね?」


 床に視線をさ迷わせながら答えた朱浩宇は、姚春燕のほうをあらためて見た。

 正解と言いたいのだろう。姚春燕は、朱浩宇にもほほ笑んでみせる。

 すると、夏子墨が「女の幽霊にさぐりをいれました」と言って、言葉をつづけた。


「わたしが話した幽霊は、たしかに未練を残していました。ですが、人に害をおよぼせるほど強い未練とは思えません。この程度の未練では、ちかくにいる人間にぼんやりとしたすがたを見せるのが関の山のはず。なのに、彼女たちはわたしたちに触れ、未練の強い幽霊しかつかえない魅了の力までつかっていました」


 妓女の幽霊とのやり取りを思いだしながら、夏子墨が推測をまじえてかたる。そして、少しの間をおき「もともとの幽霊たちは、人間に危害をくわえる力をもっていなかった。でも、ここ一カ月で急に強い力をもった……そういうことですか?」と、姚春燕にたずねる。

 姚春燕は「ええ」と、また大きくうなずき、同意の意をしめす。


「わたしの見解も、あなたと同じよ。だから、この建物のまわりを周師弟と見てまわっていたのだけれど……」


「僕がおもしろいものを見つけたんだよ! ねッ! 師姐ししゃッ!」


 姚春燕の言葉をさえぎって言い、周燈実が元気よく両手をうえにつきだす。

 そんな周燈実を見て、姚春燕は表情をやさしくした。そして、彼の頭をなでながら口をひらく。


「ええ。燈燈とうとうはすごいわ。前世できっと、たくさんの徳を積んだのね」


 周燈実の鼻頭を軽くつつき、姚春燕は「今世こんせでも、いい子でね」と言った。

 鼻をつつかれた周燈実は「きゃっ」と、たのしそうな声をあげる。

 機嫌のいい周燈実のすがたに、姚春燕はほほ笑みを深くした。そして、朱浩宇と夏子墨に目をむけると行動をうながす。


「さあ。ふたりとも、周師弟が見つけたものを見に行きましょう」


 姚春燕は弟子たちに指示をだし、周燈実の手をひくと部屋のそとへと歩きだした。

 朱浩宇と夏子墨は、ほぼ同時にうなずくと姚春燕のあとへつづく。


「おそらく、それが今回の事件の原因よ」


 弟子たちに背をむけて歩きながら、姚春燕が口にした。

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