第4話 臆病な目撃者

 ◆


「あはははは! ひとりで退治できるって、やる気満々で出かけたのに! 幽霊に『お呼びじゃない』って言われて相手にもされないなんて……予想外だわ!」


 朱浩宇の話を聞いた姚春燕は、こらえきれずに笑いだした。

 夏子墨が「師父。笑うなんて、師弟がかわいそうですよ」と、やんわりと姚春燕に言ってきかせた。しかし、たしなめる彼の肩も小刻みに震えている。

 おさなすぎて話が分からない周燈実まで、姚春燕にならって「あはは」と、かわいらしい笑い声をあげた。

 かえす言葉もない朱浩宇は、三人を恨めしく睨みながら、笑われるのをじっとこらえるしかない。


 ひとしきり笑い、姚春燕が満足したころ。

 夏子墨は「では、師父」と、姚春燕に声をかけた。そして、周燈実の下敷きになっていた手をゆっくりと抜きとると、立ちあがる。立ちあがった彼は、胸の前で両手をかさねた拱手きょうしゅの作法で、うやうやしくお辞儀をした。


「つぎは、この弟子が幽霊退治におもむいても、よろしいでしょうか?」


 頭をさげたままの夏子墨が、姚春燕にたずねる。

 姚春燕は悩みもせずに「ええ」と返事をし、言葉をつづけた。


「いってらっしゃい。くれぐれも気をつけてね」


 姚春燕の言葉に、夏子墨は「はい」と、一段と頭を低くする。そして、さっそうと酒楼をあとにした。店を出ていく彼のすがたは君子らしく、ほかの客たちは、だれとはなく感嘆のため息をもらす。


 門派のそとでも注目を集める夏子墨を苦々しく見ながら、朱浩宇は『おまえも失敗しろ!』と、心のなかで夏子墨に悪態をついた。


 夏子墨が出て行った直後だ。朱浩宇のうしろの席から「あ、あの」と、男の声が聞こえてきて、彼らは声のするほうへ注目する。

 すると、ひとりの男がおずおずと朱浩宇たちの前に進みでた。


「みなさんのお話が、ひとりでに耳にはいってしまったのですが……あなたさまは、仙人さま……なのですよね?」


 姚春燕に、男がたずねる。


 ――仙人じゃなくて、道士なのだけど。


 朱浩宇は、男のまちがいをあらためようかと思った。しかし、仙術の修行をする者を『仙道』と呼ぶ人もいると思いだす。


 ――村に住む人たちには、仙人だろうと道士だろうと大きな違いはないか。


 思いなおした朱浩宇は、だまって成りゆきを見守る。

 すると、酔って赤らんだ顔の姚春燕がニコリとほほ笑み「よく分かりましたね」と、お世辞じみた返事をした。

 ほめられたと感じたのだろう。男は少しだけ得意になった。そして、彼は「青嵐派もちかいですし、仙道の方に会う機会もときどきあるのです」と応じた。

 酔いと朱浩宇の失敗談で、たのしくなっていた姚春燕は「ああ。なるほど」と、気軽なあいづちをうつ。

 なかなか本題にはいらない会話を聞くうち、朱浩宇はじれったくなった。彼は、小さく舌打ちすると「なにかご用ですか?」と、いらいらしながら男にたずねる。

 朱浩宇に話のさきをうながされ、男はハッとすると「ええ。そうなのです」とつづけ、ようやく本題を話しだした。


「仙人さまは、町はずれにあらわれる幽霊を退治しにいらしたのですよね?」


 姚春燕のかわりに、朱浩宇が「ええ、そうです」と、男に応じる。

 すると、男はひとつうなずいて「じつは、わたしも幽霊を見たのです!」と、前のめりで主張した。

 思いがけない話で、姚春燕と朱浩宇は顔を見あわせる。


 ――男の話を聞くべきだろうか?


 朱浩宇が迷っていると、姚春燕が彼に小さくうなずいてみせた。

 姚春燕の考えを察した朱浩宇は「よろしければ、幽霊に出会ったいきさつを、わたしたちに教えていただけますか?」と、男に話のつづきをたずねた。


 ◆


 男が幽霊を見たのは数日前。

 荒れ地のむこうに畑をもっているのだが、先日の大雨で川が氾濫し、男の畑は大きな被害をうけた。畑に流れこんだ土や砂を取りのぞくため、畑にかようのが、男の近ごろの日課になっている。

 いく日か畑にかよったあとだ。荒れ地に女の幽霊があらわれる話が、男の耳にはいる。幽霊や妖怪などの化け物が大の苦手である彼は、大いにおそれた。


 ――たいていの幽霊は、暗くなるとあらわれる。うわさの場所を行き来しているのに幽霊に出会わないのは、明るいうちに行き帰りしているからだろう。


 幽霊にでくわしたくない男は、かならず暗くなる前に荒れ地をとおりすぎるよう心がけた。

 しかし先日ついに、自分でつくった決まりを彼は破ってしまう。

 畑での作業のあいまに木陰で昼寝をしていたら、そのまま夕方まで寝いってしまったのだ。

 男は、畑で一夜を明かそうかとも考えた。

 しかし、ちかくを流れる川の音が、暗くなるにつれて気味の悪い音に聞こえてくる。おそろしくなった男は、いてもたってもいられず荒れ地をとおりぬけ、こわくはあったが自宅に帰ると決めた。

 びくびくしながら、早足で家路をいそぐ。そして男は、とうとう廃虚の門扉の前をとおりかかった。


「もし。そこの方」


 ふいに、女のやさしい声が男を呼ぶ。

 急に声をかけられた男は、たとえ話ではなく飛びあがって驚いた。

 しかし、うつくしい声でもあったので、驚きつつも思わず振りかえってしまう。

 すると、ひとりの派手な衣装の女が立っていて、男にやさしくほほ笑みかけていた。いなかの村には不釣りあいな、あか抜けた身なりの女だった。


 ――こんな気のきいた美女が、このあたりにいるはずがない! この女は……


 女が幽霊だと直感した男は、いっきに青ざめた。そして、大きな悲鳴をあげると、一目散に村へと逃げ帰り、今も無事にすごしている。

 そういう話だった。

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