第3話 朱浩宇の幽霊退治

 ◆


 本日、夕刻。

 食事のために酒楼へむかう姚春燕たちと別れた朱浩宇は、ひとりで村はずれの荒れ地をおとずれていた。

 もともと荒れ地へは姚春燕、夏子墨、朱浩宇そして周燈実の四人でおとずれる予定だった。しかし、自分の実力を一度試してみたいと考えた朱浩宇は、姚春燕に無理を言い、ひとりで幽霊退治にやって来たのだ。


 ――師父の巻きぞえなんて迷惑きわまりないと思っていた。でも、わたしがひとりで幽霊を退治すれば……門派のみんなは、わたしを高く評価するはずだ!


 女の幽霊があらわれる場所へと歩きながら、朱浩宇は思わずほくそ笑む。


 朱浩宇の師匠である姚春燕は、青嵐派で一番の仙術の使い手。うつくしい容姿もあいまって、門派でも注目を集める存在だ。

 そんな姚春燕が現在教える弟子は、朱浩宇と夏子墨のふたり。目立つ師匠の弟子である朱浩宇は、なにもしなくとも目立って当たり前。しかし彼は、まわりの人々にまったく注目されていなかった。

 注目されない原因は、目立ちすぎる夏子墨のせいだと、朱浩宇は思っている。


 夏子墨は、門派で一番の成長株。しかも背がすらりと高く、細面ほそおもての美男子で、物腰もやわらか。ひかえめにしていても、男女とわず自然と注目を集めてしまう存在だ。


 一方の朱浩宇は、出自もいいし、顔だって悪くはない。身長も同年代の平均よりは高いし、仙術の素質も人なみ以上。くわえて武術の修練にも熱心に取りくんでいて、とくに駄目な点はない。だから、幼いころから自分に自信があった。

 しかし裏をかえせば、駄目な点がないだけで、突出した才能もないともいえる。

 よって、朱浩宇自身が思っているとおり。残念ながら彼は、夏子墨の陰に隠れがちなのだった。

 そして、この事実は朱浩宇の自尊心を大いに傷つけた。


 今までにならべたてた事柄だけでも、朱浩宇が夏子墨を気にくわなく思う理由には十分だろう。しかし、朱浩宇が夏子墨を気にくわない理由は、もうふたつある。


 ひとつ目は、夏子墨が朱浩宇の兄弟子であることだ。

 同い年の朱浩宇と夏子墨は、なんの因果か同じ日に弟子入りし、ふたりそろって姚春燕の直弟子になった。

 そして弟子入りした際、夏子墨が朱浩宇の兄弟子とされたのだ。決め手は、夏子墨のほうが朱浩宇より誕生日が数カ月はやいから。数カ月の差で、同い年の夏子墨を『師兄しけい』と呼ばなければならないなど、朱浩宇には納得できなかった。


 気にくわない理由のもうひとつは、門派の姉弟子である花琳かりんだ。朱浩宇は、彼女にひそかに憧れている。ところが彼女は、夏子墨に好感を抱いているらしい。よって夏子墨は必然的に、朱浩宇の恋敵でもあるのだ。


 以上の理由から、朱浩宇は夏子墨をよくは思ってはおらず、なにかにつけて彼より自分が優れていると証明したがるのだった。

 そして、今回の幽霊退治を、夏子墨の活躍の機会をうばい、自分の優秀さを証明するいい機会だと朱浩宇はみたのである。


 ――師父の汚名を回避し、わたしは多少だが名をあげる。うまくやれば、師姐ししゃの目にもとまって、一挙両得……いや、一挙三得だ!


 いい策をひらめいたと考えた朱浩宇はひとり、村はずれの荒れ地に、意気揚々とやってきたのだった。


 男をさらう女の幽霊。

 その幽霊が出没するとうわさの場所は、村をとり囲んでひろがる竹林を抜けたさき。急ぎ足で歩けば一刻もかからない場所にあった。

 日がほとんど落ち、うす暗いなか。竹林を抜けた朱浩宇は、道のさきに目をやる。

 すると、朽ち果ててはいるがもともとは立派だったとわかる門扉もんぴが目にはいった。女の幽霊がよくあらわれる場所として、昼間に村人から聞いた門扉にちがいない。察しをつけた朱浩宇は、門扉のちかくまで歩みを進める。

 ちかづいて門扉をあらためて見ると、開き戸があったはずの場所にはなにもなく、門のさきはまる見えだ。

 門扉の奥には、荒れ果てた庭園と建物が見えた。建物の横奥に目をむけると、うすく細長い朽ち果てた木の板が、いくつも地面につき刺さっている。それは、なかなか異様な光景だった。


 ――放棄された墓地だろうか?


 朱浩宇が状況から推測していると、背後から「公子こうし」と呼ぶ、甘ったるい声がする。声が聞こえたのと同時に悪寒がはしった。そして、あたりに霧がかかりはじめたと、朱浩宇は気づく。


 ――あらわれたか。


 竹林を抜けたとき、朱浩宇はあたりを見まわし、人がいないかを確認した。だから、周辺にだれもいなかったと知っている。しかも朱浩宇は、仙術修行をしながら武術の修練にも力をいれている。普通の人間がちかづいたなら、彼はかならず気配に気づく。そのうえ声の主は『公子』と、男がよろこぶ呼びかけ言葉を使ってくる。男ばかりさらう女の幽霊の特徴からもはずれていなかった。

 朱浩宇は勇みたつ気もちをおさえようと、うしろ手をくんだ。そして、声のしたほうへゆっくりと振りむきながら、着物の袖口に隠しておいた呪符をそっと取りだす。

 振りむいたさきに、派手な衣装のひとりの女が立っていた。ほっそりとせた女で、長い髪をすべていあげている。勝気な目からは、多少の幼さも感じた。


「わたしにご用でしょうか?」


 人好きのする笑顔をつくり、朱浩宇は女にたずねる。

 振りかえった朱浩宇とむかい合わせになった女は、驚いた顔をした。そして、朱浩宇の問いかけに返答はよこさず、彼の頭の先からつま先までじっくりと観察する。

 女の態度を無遠慮すぎると感じた朱浩宇は、笑顔をみせつつも不愉快な気もちになった。

 ひとしきりジロジロと朱浩宇をながめると、女はため息をついて独りごちた。


「かわいいけど……まだ子供ね。お子さまは、お呼びじゃないの」


 言いきるとほぼ同時に、女は大きく首をふる。そして、霧の奥へとかき消えた。

 女が消えたのち。しばらくの間、朱浩宇はぼうぜんと立ちつくしていた。しかし、女は再度あらわれなかった。

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