第2話 破門の危機

 すこし特殊な出自をもつ夏子墨は、将来を期待されていて、彼らの門派で一番の成長株といわれている。しかし彼は、仙術修行よりも姚春燕の世話に力をいれていた。

 師弟関係の理想とはほどとおいていたらくな現実を思いだし、朱浩宇のうちに怒りがこみあげてくる。そして、ふたりの世界をつくりあげている姚春燕と夏子墨にむかい、怒りにまかせて悪態をついた。


「門派を抜けるまえに、師父は破門されてしまいそうですけどね!」


 すると、朱浩宇の発言を聞いて、たわむれていた姚春燕と夏子墨は凍りつく。


 朱浩宇と夏子墨の仙術の師匠であるよう春燕しゅんえんは、ずぼらな性格ゆえだろうか。七年ちかく新しい弟子をとっていなかった。

 修行により仙人にちかい存在で長命を手に入れている青嵐派の道士にとって、七年などとるにたらない年月だ。しかし七年もあれば、弟子たちは成長する。七年のうちに、朱浩宇たちより年上の弟子は、どんどん巣立ってしまった。そして今、姚春燕に師事しているのは、朱浩宇と夏子墨のふたりだけだ。


 弟子をとり道士に育て、育てた道士のなかからひとりでも多くの仙人を輩出する。それが、青嵐派の存在理由のひとつ。

 しかし、その存在理由を姚春燕がおろそかにしつづけたある日。ついに彼女の師父でもある掌門しょうもんさい凜風りんぷうが、姚春燕に三行半みくだりはんをつきつけた。

 蔡凜風は「姚春燕を破門する」と宣言したのだ。


 掌門の宣言に、さすがの姚春燕も慌てふためいた。

 なにせ破門は、仙術を学ぶ者にとって一番恥ずかしいばつのひとつなのだ。ずぼらな姚春燕も、破門にはちぢみあがってしまった。


 もうひとり。姚春燕の破門を心からおそれた者がいる。

 それは、姚春燕の数少ない弟子のひとりである夏子墨だ。彼は『師としてあおげば、父としてしたう』の言葉どおり、師父をうやまっている。日々世話をし、尊敬もしている師匠の苦境は、見すごせなかった。


 そして、あとひとり。前のふたりほどではないが困った事態だと感じたのが、朱浩宇だった。なぜ、困った事態なのか。それは、破門された人間が師匠だなんて、とんだ赤っ恥だからだ。

 蔡凜風は、ほかの師匠をつけてくれるとうけあってくれた。しかし、破門された人間に師事していた事実は、朱浩宇の人生に一生つきまとうだろう。できるだけ避けたほうがいいのは明らかだった。


 こうして、姚春燕、朱浩宇そして夏子墨の利害は一致した。三人は、蔡凜風に破門の取りさげをもとめた。彼らは掌門にすがりつき、平伏し、拝みたおした。

 すると、三人の勢いに圧倒された蔡凜風が、ついに折れる。彼女は、ちかくの村でおきている『女の幽霊がからんだ失踪事件』を解決できれば、姚春燕を破門しないと言ってくれたのだ。

 こういった経緯から彼らは今、ここにいる。


「破門も、門派を抜けるのも、どっちも駄目!」


 言いながら、姚春燕と夏子墨の手を下敷きにし、しゅう燈実とうじつが姚春燕の膝のうえに飛びのった。


 周燈実は、青嵐派に入門したばかりの六歳の少年だ。しかし、姚春燕とおなじく蔡凜風の直弟子となったため、朱浩宇と夏子墨からすると彼らより師弟格がうえの師叔にあたる。


 そんな周燈実に飛びつかれ、凍りついていた姚春燕の表情がやわらいだ。

 男娼と客の絵づらは、いっきに仲のいい姉弟たちのほのぼのとした絵づらにかわる。雰囲気が一変し、安堵あんどのため息をつく音がいくつも聞こえ、まわりの人々の視線が朱浩宇たちから離れた。


「ふふふ。しゅう師弟していは、わたしがいなくなるのを寂しく思ってくれるのね」と姚春燕。


「うん。師姐ししゃが大好きだもん。ずっと、いっしょにいて」


 周燈実が姚春燕に甘える。


「そうです。師叔ししゅくのおっしゃるとおりです!」


 夏子墨も周燈実に同意した。そして、真剣な目で姚春燕を見つめると「師父、ご安心ください。この弟子が、師父を破門になどさせません!」と、彼は男気のある声色と態度で宣言する。

 夏子墨と周燈実を見つめる姚春燕が、目じりに涙をためた。


墨墨ぼくぼく! 燈燈とうとう!」


 姚春燕がふたりの名を叫ぶ。そして彼女は、周燈実の下敷きになっていないほうの腕をつかい、夏子墨と周燈実を強く抱きしめた。


 ――馬鹿馬鹿しい。


 たわむれがはじまったせいで、ますます悪態をつきたい気分になった朱浩宇は「茶番だな!」と、抱きあう三人に吐きすてた。

 朱浩宇の悪態を聞いてか聞かずか、姚春燕は「浩浩こうこう。ところで……」と朱浩宇に呼びかけ、彼を見る。


「あなた、女の幽霊とやらを倒してきたの?」


 ――うぅ……


 思いがけず姚春燕に痛いところをつかれ、朱浩宇は言葉がでなかった。さきほどまでの勢いはそがれ、朱浩宇はたじろいでしまう。

 しどろもどろになる朱浩宇を見て、姚春燕は小さく笑った。そして「失敗したようね」と指摘し、さらに小首をかしげてたずねた。


「遭遇すらできなかったのかしら?」


 姚春燕の言葉に、朱浩宇は「遭遇は……しました」と応じる。応じた声は小さく、ちかくの者がようやく聞きとれる大きさだ。


「遭遇できたのに、倒さなかったのかい?」


 いつの間に朱浩宇のほうをむいたのか。夏子墨も彼に質問してきた。

 きまりが悪い朱浩宇は黙りこみ、床に視線を落としてしまう。

 朱浩宇の子供っぽい態度に、姚春燕はため息をついた。そして、苦笑いすると「なにがあったのか、話してみなさい」と、師匠らしい口調でうながす。


 すると、朱浩宇は床を見ていた顔をあげ、ぽつぽつと話しだした。

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