求仙の門下生

babibu

第一章 三人にして迷うことなし

第1話 道士と弟子たち

師父しふのおかげで、いい迷惑ですよ。こんなのは、地元の道士どうしの仕事だ!」


 しゅ浩宇こううが、不満を隠さずに言った。彼は、笑っていれば人好きのする好男子だ。しかし今は、にがい薬でも飲まされた表情をしていて、取っつきにくい雰囲気をただよわせている。


師弟してい。師父への口のきき方に気をつけなければね」


 おだやかに言ってきかせるのは、朱浩宇の兄弟子である子墨しぼく。朱浩宇は姿かたちのいい青年だ。しかし夏子墨は、さらにうつくしい容貌ようぼうをしていて、背たけも朱浩宇より頭ひとつぶん高い。彼は、肉と根野菜の煮物を器用に小皿に取りわけながら「それに」と言って、話をつづけた。


「先日の大雨で、いくつかの橋が流されたんだ。このあたりを取りしきっている道士さまは、橋の復旧の指図に忙しくしてらっしゃる」


 夏子墨はさらに「道士さまは、近隣でも名の知れた知識人でもあるんだ。だから、地元の人たちに頼りにされているんだよ」と付けくわえ、不満を口にする朱浩宇を納得させようとする。そして、自分の隣の席に行儀よく座る幼い少年、しゅう燈実とうじつの前に取りわけた煮物の小皿をおいてやった。


のお兄ちゃん、ありがとう」


 礼を言った周燈実は、よろこんで煮物を食べはじめる。

 夏子墨は、子供らしい周燈実の様子に目をほそめた。それから、取りわけ終わった煮物の皿を、彼の師父であるよう春燕しゅんえんの前に丁寧な動作でおく。配膳をひととおり終えると、あらためて朱浩宇に目をむけ、彼はなおも言葉をかさねた。


六子山むしざんの山頂へむかう道が土砂で埋まってしまって、私たちも困っているだろう?」


 夏子墨の話には思うところがあり、朱浩宇は口ごもる。


 夏子墨のいう『六子山』とは由緒のある霊山だ。

 かつて、おう泰然たいぜんという道士がこの霊山で修行し、仙人になった。その後、王泰然の直弟子じきでしたちが師匠の修行した六子山に修行場をつくった。そして師匠である王泰然を開祖とし、仙人や道士の輩出をめざす門派である青嵐せいらん派の本拠地を、この修行場にさだめたのだ。

 以来、青嵐派の弟子たちは日々の修行、法器や薬の材料収集を六子山でおこなっている。よって、六子山は青嵐派の門弟にはなくてはならない山なのだ。

 そんな六子山の頂上へつづく道が今、大雨のせいで土砂くずれがおきて通れなくなっている。おかげで、弟子入りして日の浅い未熟な弟子たちは、一カ月近く一部の修行場や採集場に近づけていない。

 しかもだ。霊山に自由に入れないだけでも大ごとなのに、六子山の山すその集落に正体のしれない化け物まであらわれたらしい。

 あらわれた化け物を退治するため、青嵐派の弟子の多くが捜索にかりだされている。

 ひっきりなしに発生した騒動を、青嵐派の長である掌門しょうもんさい凜風りんぷうもひどく気にかけていた。


 蔡凜風が気をもんでいるのは、朱浩宇もひしひしと感じている。


 ――夏子墨の主張は、理解できる。でも……


「そうは言っても、ほかにもっと適任者がいたはずだ! 師父しふが、新しい弟子をとりさえすれば、こんな目にあわなかった!」


 自分の考えの正しさを訴えながら、朱浩宇は姚春燕に目をやった。

 朱浩宇の師匠である姚春燕は、大きな瞳で朱浩宇たちを見る。


 姚春燕の見かけは若々しく、服装によっては十代でも通用しそうだ。彼女は、領巾ひれと呼ばれるうつくしい上着をはおっている。上着の布はとてもうすく、布ごしに見える彼女の体つきは、ほっそりと女性らしい。容姿も着物も見目がよく、だれにたずねたとしても彼女を「美人だ」と答えるにちがいない。しかし、たったひとつの大きな欠点が、姚春燕のうつくしさを傷つけていた。


「夏子墨、朱浩宇。おまえたちが一人前になったら、わたしは門派から抜けるつもりなの。だから、新しい弟子はとれないわ」


 姚春燕は言いきり、杯のなかの酒をいっきに飲みほす。酒をあおる彼女の顔は、まっ赤だ。ほんのりと頬が色づくなら、大輪の花のごとく華やいでいただろう。しかし、まっ赤となると話はべつだ。もとの容姿が整っていようと、とんでもなく見ぐるしい。

 姚春燕の言葉に夏子墨が「師父!」と、ひどく落ちこんで呼びかける。そして、彼女の傍らに素早くひざまずいた。


「師父ほどの方が門派を去るだなんて……どうか、お考えなおしを!」


 夏子墨は言いながら、姚春燕が膝においている左手に自分の両手をそえる。

 夏子墨の言動に驚いた姚春燕は、酔いで落ちそうなまぶたを少しだけもちあげた。しかし、すぐに酔いどれた顔つきにもどると「夏子墨」と呼びかけ、空になった杯をおく。そして、自由になった利き手で夏子墨のあごを軽く押しあげ、彼の顔を自分のほうへむけさせた。

 姚春燕と夏子墨の様子に、周囲の人々がざわつく。

 悪目立ちしていると感じた朱浩宇は、いらだって舌打ちした。

 朱浩宇たちがいるのは、とある村の小さな酒楼しゅろう。彼らのまわりには、ほかの客もたくさんいるのだ。

 まるで男娼と彼を買う客を思わせるつやめかしい光景に、酒楼のなかは何ともいえない雰囲気になってしまった。


「うれしいことを言ってくれるのね。でも、ごめんなさい。もう決めたの。この気持ちは、かわらないわ」


 姚春燕は、夏子墨のねがいをききいれない。

 師匠を落ちこんだ目で見つめかえす夏子墨のすがたは、あわれをさそった。給仕の女にいたっては、夏子墨に見ほれ、甘いため息をこぼしている。


 ――わたしは、なにを見せられているんだ?


 姚春燕にすがりつく夏子墨に冷たい視線を投げかけながら、朱浩宇はうんざりした気もちになった。

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