雨の封印

 煙るような雨が降っている。

 息を吸うだけでむせ返り、ほんの一時で何もかもが濡れそぼる。そんな雨が降り頻っている。

 もう何百年と止む事なく、谷に降り続ける不可思議な雨だ。

 谷に日が射し込む事はなく、空気は息が詰まるほどに水を含んでいる。足元には水が薄く膜のような流れを作り、それは谷の低い所で轟音を立てる濁流となり、人の侵入を拒んでいた。

 それでも高い岩を足場に選び奥へと進めば、雨の粒は更に大きさを増し、降りは激しく豪雨と成り果てる。最早柔らかな土砂は流され尽し、硬い巌でさえも穿たれ歪に形を変えた、荒涼が広がる。

 先人達が遺した鉄釘と鎖で作られた足場がなければ、一瞬たりとも留まる事は叶わないであろう場所。その場所に私は佇む。雨の帳に目を凝らす。

 見えるのは影だ。人とも獣ともつかない巨大な影。それが、雨の向こう側で蠢いているのが分かる。こことは違う別の場所、雨の作り出した厚く通り抜け難い幕の先に何かがいる。

 それが『何』であるか、知る者はなく、伝える物もない。ただ、『いる』という事実だけが谷に降り続ける雨と同じようにそこに存在する。

 故に、このような場所に一日と欠かす事なく見張りが赴く。

『そこ』に『何』かが確かに『いる』事を確認する為に足場が確保され、交代で見張る事が義務付けられ、観察という名の監視が続けられている。

 谷に雨が降り始めたのと等しいだけの歳月が積み重ねられている。

 それは、恐怖か、憧憬か、期待か、危機感か、あるいはその全てが入り混じった説明のつかない奇妙な感情によるものなのかもしれない。震えの止まらぬ手を握り締め、雨に打たれながら立ち竦む今、それが理解できる気がする。

 影を見たその時、強く心を支配したのは、まさしくその説明のつかない喜とも怒とも、哀とも楽ともつかぬものであったのだから。ただ。

 人のそんな思惑など露程も気にかける事なく雨は降り続ける。『いる』、とも『いない』とも言えない『それ』をこの場に留める為に。

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