風の旅人

『行くぞ』の声に覚悟を決める。固定され自由の利かない体に力を入れ、衝撃に備えた。

 落下。次いで息が詰まるほどの加速が襲ってくる。歯を食いしばり防風眼鏡越しに景色を見ようとするが、わかるのはすざましい速度で流れていく風の道と呼ばれる渓谷の岩壁の色だけ。いや、気のせいだろうか、それ以外にも見えたものがあるような気がする。そう、風の流れが……。


 風の道を抜けた。翔竜を模した舟が羽根を横に大きく広げる。体が上に引き上げられる感覚。急に視界が開けた。遥か彼方に煌いて見えるのは砂漠をさまよう朧水の輝きか、それとも硝子の森に反射する陽光か。微かに見えるのはおそらく奏音都市の尖塔、眼下にあるのは闘技場だ。今ならば地上すべてが見下ろせるのではないだろうか、そんな想いと共に上げた感嘆の声は風の唸りに紛れてしまう。それでも風乗りの操者は振り返り得意げな笑みを浮かべた。


 風乗りとは風を見、風を読み、風を捕らえ、風に乗る者たちの総称だ。彼らは、一所に留まる事なく大陸中を回る。その傍らに、伝令役を引き受けたり、旅人や荷物を別の土地へと運ぶ事もあるが、基本的に彼らは風の吹くままに旅をする。

 危険もある、流れ者と嫌うものも多い。だが、風乗りに憧れ、その一団に加わる者がいる事も紛れもない事実。そして今日も蒼く澄んだ空を幾つもの舟が舞っていく。

 風の流れを探して大きく旋回する舟に必死でしがみ付きながら、私にはその理由がなんとなく分かる気がした。

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