第5話 父が遺したマドンナ

「あそこです。あの洞窟に、マドンナはいます」


 現地の案内人が指差す先を、私は止めどもなく流れる汗を拭いつつ見つめた。濃緑色の密林の中を行くこと一時間、突如として目の前に立ちはだかった岩山の赤茶けた山肌に、洞窟が黒々とした口を開けている。


 首から提げているカメラを構え、一枚だけ撮影してから、私は念を押すように案内人に尋ねた。


「本当にここなのか? 本当にこの中にマドンナがいるのか?」

「います、います。さあ。はやく、はやく」


 案内人はガサガサと音を立てて、草むらの中を進んでいく。期待と恐れが相半ばする気持ちを抱きつつ、私も案内人の後を追った。



☆☆☆



 敗戦から二十五年が経った年の盛夏、大宮県おおみやけんの自宅で原稿執筆に精を出していた私は突然、ある一人の男性の訪問を受けた。


「私は、あなたのお父さんの戦友です」


 開口一番そう言った後、彼はそっと目を伏せた。汗染みたシャツにくたびれたズボンを身につけ、頭には茶色のソフト帽を被っている。歳の頃は五十代の半ばだろうか。我知らず高鳴る心臓の鼓動をよそに、彼は静かにTと名乗った。敦賀県つるがけんで小さな工場を経営しているという。


「あなたを探し出すのに苦労しました。しかし、どうしてもお伝えしなければならないことがありましたので、なんとかここにやってきた次第です……」


 そこまで言うと、彼は私の出した茶を飲み干し、そして黙ってしまった。室内だというのに帽子も脱がない。どうやら、何から話し出したものか心の中で整理しているようだった。


 私にとってその沈黙はありがたかった。直前に受けた内心の衝撃から立ち直り、冷静にT氏の語るところを聞くためには、幾分か時間が必要だった。


 父は敗戦の年に、この日本から四千五百キロ南方のメンデン戦線で戦死した。正確な日時は分かっていない。連合軍の総反攻を受けて総崩れになった方面軍に、たかだか一兵卒の死んだ状況を把握する余裕などあるはずがなかった。敗戦後数ヶ月してから乳飲み子の私を抱える母の元に届けられたのは、粗末な紙に印刷された戦死公報一通と、石ころ一つが入った小さな木箱だけだった。


 私は父を知らない。私が生まれたのはちょうど父が戦死したと思われる頃だ。三十歳にして召集された父は、母と最初にして最後の名残を交わし、そして外地へと旅立っていった。その後急速に戦況が悪化したこともあって、母は無駄とは知りつつ幾度か父へ手紙を出したけれども、父から手紙を受け取ることはついになかった。


 父は母が私を身篭ったことも、私がこの世に生まれたことも知らずに死んだのだろう。私の世代において、このようなことはさして珍しいことではない。父が私を知らないまま死んだことについて、私は特に悲しく思ったりはしない。


 しかしそれとは別に、私は父のことをもっと知りたかった。日常、その願望は心の奥深くに隠されていたけれども、ふとした拍子に、例えば夜中激しい雨風の音を耳にしたり、あるいは美しすぎる夕陽を眺めたりした時に、それは突然に顔を出し私を責め苛んだ。


 また、決して知ることができないと自覚している分だけ、その苦しみは大きかった。父のことを最もよく知っている身内といえば、それは私の母だったが、母は私が十歳の時に、多くを語らぬうちに胸の病で死んでしまった。


 いや、その母にしても父のことをよく知らないようだった。駅で荷物を運ぶのに難渋していた母を父が助けたのをきっかけに二人は交際を始め、一ヶ月後には東京府で結婚式を挙げた。母が言うには、「ここでどうしても結婚しておかなければならないと思った」そうだ。父が南方へ出征したのはその二週間後である。互いに互いの細かな生い立ちを知るだけの時間はなかった。


 父は彫刻家だった。それも、売れない彫刻家だった。幼い頃に両親を亡くし、親戚の間を転々としながら育ったという父は、何回か職を変えた後に彫刻家として生計を立てようとしたらしい。どうにか食っていけるだけの腕前はあったようだが、個展を開けるだけの才能はなかったようだ。いや、もしかすると才能はあったのかもしれないが、時局がそれを許さなかった。折しも戦争の真っ只中で、芸術などという「非生産的な」行為は蔑まれていた。


 遺された作品は多くない。父は東京府の下町に、アトリエというにはあまりにもささやかな作業場を持っていたが、例の大空襲で燃えてしまった。母は「生活に困ったらすべて売り払ってくれ」と父から言われていたらしいが、それすらできずに作品はすべて爆弾と焼夷弾によって灰燼に帰してしまったのだった。


 困難な調査の末に私が見ることができた父の作品はわずかに一点、韮山にらやま県のとある神社に建っている石像だけで、それは豪州のシドニー軍港を特殊潜航艇で奇襲した海軍軍人を讃えるものだった。戦争から十余年が経ち、石像は顧みられることなく、既に苔むしていた。制帽と軍服と短剣を身に纏ったその石像は丁寧な造りではあったが、さして特徴のない、ごく平凡な出来で、父がそれをあえて平凡に作ったのか、それとも平凡にしか作れなかったのか、判断することもできなかった。


 東京府が燃え尽きた後、母は生まれたばかりの私を連れて、常陸ひたちにある実家へ戻った。家業を手伝いながら懸命に私を育てた母だったが、生来体が弱く、また得体の知れない男といつの間にか結婚して子どもまで儲けていた女に対する地元の目は冷ややかで、母はほどなくして体を壊した。


 床に臥せっている母は、幼い私に向かってよく言った。


「仙太郎、あなたには芸術家の血が流れています。自分だけの世界を、自分だけの作品で表現する能力を持つ、芸術家の血が。あなたは自分のお父さんを知らないけれど、私はあなたのお父さんを知っています。一緒に暮らしたのは一ヶ月に満たなかったけれど、お父さんは確かに芸術家でした」


 そして、決まって最後にこう言って締めくくるのだった。


「あなたは芸術家になりなさい。絵でも、小説でも、詩でも、それこそ彫刻でも、何でも良いです。自分の腕だけで世間と勝負して、自分のあり方を示して行きなさい。あなたには才能があります。人々の偏見に打ち勝っていけるだけの確かな芸術性が、あなたにはあります。お父さんから受け継いだ資質を信じなさい。お母さんはお父さんと一緒に、いつまでもあなたを見守っています……」


 母の言った通り、私は芸術家になることにした。芸術家の中でも最も俗物と揶揄される小説家ではあったが。元より文章を書くことが好きではあったし、それに自分の書いたものが他人の心を喜ばせたりかき乱したりするのに、言いようのない達成感を覚える厄介な性格でもあった。


 常陸県の公立校を卒業した後、私は東京府に出てA新聞社の記者見習いになった。忙しい合間にも私は執筆に励み、三年後にようやく小説家としてデビューすることができた。デビュー作は亡き母をモデルにした。駅で交わした二言三言の会話だけで売れない彫刻家と結婚することを決意し、夫の戦死後、孤立無援の中、遺された子どもを育ててひっそりと死んでいく女の話。


 母の話を書いている間にも、私の中で例の願望はますます大きくなっていった。私は、父のことを知らなさすぎる。気高く、頭が良くて先を見通す鋭い目を持っていた母が、即座に結婚することを決めたほどの相手。確かに母の一部となっていた父について、私は本当に何も知らないのだ。近所のタバコ屋の娘のことの方が、まだ知っていると言っても良い。


 その父を知っている人物が、私の目の前に今、座っている。


 大きな黒蠅が窓から入ってきて、部屋の中を一周した後、また窓から外へ出ていった。扇風機がぬるい風を送ってくる。いつもは煩わしいほどにうるさく感じられる蝉の声が、その時だけはどこか遠く感じられた。


 どれくらいの時間が経っただろうか。私は何も言わず、T氏が口を開くのを根気強く待った。私の余計な一言が却って彼の決意を挫き、生まれかけた言葉を殺してしまうのではないか。恐れと、それ以上の好奇心が、私の精神の中を足音も荒々しく駆け巡っていた。


 やがてT氏は決心がついたのか、今度ははっきりと視線を私に向けて、低い声で話し始めた。


「あなたのお父さんである良太郎さんと出会ったのは、メンデンへ向かう輸送船の中でした。ご存知の通り、その頃すでに我が軍は敗色濃厚で、私たち補充兵はロクな訓練も受けず、一定の数が集まったら送れる分だけまとめて戦地に送られていたんです。制空権も制海権も失っていましたから、輸送船は片っ端から沈められていました。仲間もおらず、たった一人で、いつ沈められるか分からない恐怖に怯えていた私は、食事のたびに吐いていました。軍医も船医もいなかったので、どうすることもできなかったのです」


「ある夜、いつものように甲板に出て吐いていた私に、大丈夫かと声をかけてきた人がいます。それが良太郎さんでした。歳は私と同じくらいで、痩せていました。顔は……そう、あなたにそっくりでした。柔和で、優しげで……今日ここでお会いした時、私は声を上げそうになりましたよ。あまりにもあなたが良太郎さんに似ているので……」


「消耗しきっている私を見かねたのでしょう、彼は『ちょっと待ってろ』と言って、それからほどなくして一杯の水を持って来てくれました。『元気が出るぞ、飲め』と言うので口をつけてみたら、それは砂糖水でした。『食事が喉を通らないのなら、俺が毎食砂糖水を用意してやる』と、彼は言ってくれました」


「すぐに彼とは打ち解けて、友達になりました。それにどういう巡り合わせなのか、彼と私は同じ連隊、同じ中隊でした。友人を得たことで私の精神状態はすぐに改善して、普通の食事も食べられるようになりました。私たちの輸送船も、途中で僚船が三隻沈められ、また二回も雷撃を受けましたが、幸運にも無傷でラングーンに入港できました」


「私と良太郎さんは一緒に、エーヤワディー川中流にある大都市マンダレー、その北西八十キロの地点にある陣地へ向かいました。しかし車もなく、船便もなかったので、徒歩で向かわざるを得ませんでした。他にも何人か仲間がいましたが、みんな私と同じくらいか、それよりもっと歳を取っていて、歩き始めたその日の夕方にはもう疲れ果てていました」


「そんな中、良太郎さんだけは元気でした。私たちが疲労困憊して夕食の準備もできないでいるのを見ると、『ちょっと待ってろ』と行って、暗闇の中何処かへ消えました。二時間ほど経ってから、彼は両手で大きな袋を抱えて帰ってきました。中身は干し肉と、果物と、焼き飯でした。私たちが貪るようにそれを食べているのを眺めながら、彼がポツリと呟きました。『俺たちみたいな老人を前線に送るようじゃ、この戦争はもうダメだな……』と」


「道中、私たち一行は良太郎さんに助けられてばかりでした。彼には不思議な才覚があって、必要なものがあると何処かへふらりと消えて、必ずそれを手に入れて帰ってくるのです。食べ物も、医薬品も、時には金や軍票も、彼は持って帰ってきてくれました。彼はそれらを独り占めすることもなく、いつも平等に仲間たちに分け与えます。私たちが感謝すると、彼はニヤリと笑って言うのです。『メンデンの住民からの特配とくはいさ』と」


「何回か空襲を受けましたが、その時にも良太郎さんが助けてくれました。彼は耳が良くて、敵機が接近してくるのをいち早く察知できました。隠れてやり過ごし、また歩くのを繰り返して、ようやくのことで陣地に辿り着きました」


「申告すると、中隊長は驚いた顔をしました。『補充兵が一人も欠けることなくここに来るなど、奇跡だ』と言うんです。私は知りませんでしたが、補充兵の中には部隊に辿り着くことすらできず、道中で現地民に殺されたり、自殺したりする者が大勢いたそうです。良太郎さんのおかげで、私たちはみんな元気でした」


「しかしながら、戦況は悪化していました。私たちが来る数ヶ月前に、方面軍は無謀な大攻勢を仕掛けて、却って連合軍に手酷く痛めつけられていました。我が軍はエーヤワディー川を防衛線として、それ以上の連合軍の進撃を阻むことになっていましたが、敵機の活動は激しく、陣地構築はなかなか進みませんでした」


「敵機は我が物顔で戦場の空を乱舞しました。目についたものはトラックからボートから兵士に至るまで、なんでも撃ったり爆撃したりします。そのため補給は滞りがちで、米の飯を五日に一回食べられれば良い方でした。また、私たちは敵機の目を逃れるために密林の中に陣地と宿舎を作らなければなりませんでしたが、やはり環境としては最悪で、栄養失調と重労働も相まって次々と病人が出ました」


「良太郎さんは、しかしここでも例の才覚を発揮しました。流石に毎日ではありませんでしたが、彼は『ちょっと待ってろ』の一言を残して何処かへ行き、そして何かを持ち帰ってくるのです。缶詰だったり、南京米の詰まった袋だったり、大きな豚肉の塊だったり……いったいどこにそんなものがあるのか、私には想像すらできないのに、彼はあたかも近所の商店街へ買い物に行ったように、それらを手に入れてくるのです」


「でも、彼が『戦利品』を分けるのは私だけでした。二人でこっそりと食べるのです。なぜ?と訊くと、彼は頬を掻きながら答えました。『なぜって、お前が俺の友達だからだよ。他に理由がいるか?』と。私はそれを聞いて恥ずかしくなりました。出会った時からずっと、私は良太郎さんに世話になりっぱなしで、何もお返しが出来ていません。それなのに、彼は私のことを友達と言ってくれている。いつか恩返しをしたい、いや、しなければならないと思いましたが、その機会がないどころか、方法すら分かりません」


「そのうち、私はもっと厄介なことに陥りました。マラリアに罹患してしまったのです。今では法定伝染病となっていて、一度罹れば病院で手厚い治療と看護を受けられる病気ですが、当時の状況ではごくありふれていました。軍医からマラリアと診断された私は、野戦病院に送られることもなく、ただ陣地で安静にしていろと言われただけでした。薬も何も渡されません。『たかがマラリアだ』と……」


「診察から帰ってきた私を、分隊長は殴りつけました。私が野戦病院に行けば口減らしになったのに、この役立たずの穀潰しが、というわけです。他の兵士たちも病気の私に構う余裕などありません。私は陣地の外れのタコツボに入れられて、たった一人で、マラリアの高熱と戦うことになりました」


「ここでも私を救ってくれたのは、良太郎さんでした。彼は時間を見つけては私のもとにやってきて、焼き飯だの茹で卵だの、果物だのを食べさせてくれました。そればかりではなく、ある時などはキニーネまで持ってきてくれました。そう、マラリアの特効薬の、あのキニーネです。『こんなもの、どうやって手に入れたんだ』と訊くと、彼はニヤッと笑うだけでした」


「そのうち私のマラリアも寛解して、立って歩けるようになりました。軍医から勤務に戻って良いと言われたので陣地に戻ると、良太郎さんの姿が見えません。どこに行ったのか、仲間たちに訊くと『今は岩山の洞窟の重営倉じゅうえいそうに入ってる』と言うのです」


「私はそれを聞いて、『ああ、やっぱり!』と思いました。あなたもすでにお気づきでしょうが、良太郎さんは盗みを働いていたのです。彼の不思議な才覚というのは他でもない、盗みのことだったのです。食糧庫や医薬品倉庫から、監視の目を掻い潜って品物を盗み出してくる。素人には到底不可能なことです。私は、良太郎さんが盗みに熟達していると感じました。もしかすると、応召される前から盗みを稼業にしていたのかもしれません」


「ですが、私は彼を非難する気にはなれませんでした。むしろ、彼には感謝の気持ちでいっぱいでした。恩を返すのは今しかない。そう思った私は、乏しい持ち物をすべてタバコと食べ物に交換すると、時間を見つけて彼に会いに行きました」


「私は密林を更に奥へと進み、岩山の洞窟に入りました。その奥に重営倉はありました。監視の兵にタバコを渡して、ろうそくが照らす薄暗がりの中を進むと、行き止まりに彼はいました」


「良太郎さんは鋭い石片を持って、一心不乱に壁に何かを彫っていました。どうやら女性のようです。彫刻には詳しくない私でしたが、大した腕前であるのは分かりました。彫刻に見入っていると、彼の方から声をかけてきました。『よう、マラリアはもう良いのかい』と」


「私が食べ物を差し出すと、彼は苦笑いしつつも食べてくれました。その顔は、赤黒く腫れ上がっていました。『お前にでっかい肉を食わせてやりたくて張り切ったのが運の尽きだった。番兵に見つかってボコボコにされたよ。こいつは妙に手慣れているっていうので、ここに叩き込まれちまった。まあ、銃殺刑にされなかっただけついてたな』と、悪びれもせずに彼は言います」


「ポツポツと、彼はそれまでの人生についても話してくれました。小さい頃に両親を亡くした後は、たった一人で生きてきたこと。盗みが主な生活の手段だったこと。ある時ふと改心し、一念発起して彫刻家になるべく頑張ったが、戦争のせいであまり面白い仕事ができなかったこと……」


「彼は壁面を指して言いました。『これが俺の最新作になる予定だ。モデルは俺の嫁だ』 時間はたっぷりあるので、完成させるのに問題はない、ただ薄暗くて手元が見辛いのが難点だと、彼は笑いました」


「その後も何回か、私は彼に会いに行きました。彫刻は日に日に完成度を高めていきます。しかし、彼はなんだか思い悩んでいるようでした。『何かが足りない気がする』と彼は言うんです。『もうそれを知ってるはずなんだが、今ひとつ分からない。何が足りないんだろうなぁ。ミッシングピースってやつだ。それが分かるまで、これ以上手を進めることはできない』と」


「もうそろそろ重営倉から出られるというある日、食べ物を届けに行くと、彼はいつもと違った面持ちで言いました。『もし、お前が祖国に帰ることができたら、俺の嫁に会いに行ってくれ。俺がここで自分の最高傑作を残したことを、伝えてほしいんだ』と。住所まで教えてくれました。まるで遺言のようなその言葉に内心息を呑む思いでしたが、私は強いて笑って答えました。『あんたの方が戦場での才覚があるんだから、きっと生きて帰れるよ』と。すると、彼は言うんです。『いや、それを言うならお前の方だ。お前は必ず祖国に生還する。俺の直感がそう告げているんだ。初めてお前に会った時から、お前は生き残ることができると俺は確信していた』……」


「岩山から帰って一息ついていた時でした。私たちの陣地を敵機が空襲したのです。隠蔽は完璧だったはずですが、どういう手段によるものか、とにかく敵は私たちの居場所を正確に把握していて、爆弾の雨を降らせてきました。私が覚えているのは、敵機だという仲間の叫び声と、全身を何か大きな物で叩かれるようなバシッという衝撃、それと口いっぱいの砂の感触だけです」


「生き埋めになっていた私は奇跡的なことに助け出されましたが、重傷を負っていました。これを見てください、頭に傷跡があるでしょう? 破片を受けて、頭蓋骨が割れていたんです。私は、今度こそ野戦病院に送られました。その後、何度も幸運が重なって、私は戦争を生き抜くことができました」


「良太郎さんには、その後会えずじまいでした。私が野戦病院に送られてから一ヶ月後、連合軍は総反攻を開始して、私の部隊は一兵も残らず全滅しました。文字通り、一人も残らずです。私は、良太郎さんならばあるいは人知れず生きているかもしれないと思い、復員船が出る直前まで探し続けましたが、無駄でした。今では、良太郎さんはあそこで戦死したのだと、私もそう思っています。彼は盗みこそしましたが、仲間を見捨てて逃げるような卑怯者ではありませんでしたから……」


 しばらく、沈黙があたりを包んだ。ややあって、私はT氏に、今でも、その洞窟は残っているのかと尋ねた。いつの間にか日は傾いていて、ひぐらしが物悲しげに鳴いている。


「確証はありませんが、何事もなければまだ洞窟は残っているはずです。彫刻も、壁に刻まれたままでしょう。私は、そのことを伝えにここに来たのです……」


 ようやく肩の荷が下りたと、寂しそうに笑う彼を見送りながら、私は密かに決意を固めていた。メンデンに赴き、必ず父の遺作を見つけ出そうと。



☆☆☆



 メンデン行きは、しかしながら難航した。ちょうど大陸では、ある大国が政治的大変動を迎えている時期で、メンデンもその影響を受けて国内でテロが頻発していた。外国人の渡航も制限されており、一介の作家である私が入国することなど不可能だった。


 私は焦らず、時期を待った。待つ間、いっそう熱を入れて仕事に励んだ。財産と名声を獲得すると共に、私は家族をも得ることができた。


 妻と共に三人の子どもを成人まで育て上げた頃、ようやくメンデン渡航の目処が立った。ちょうど妻は体調を崩しており、私もメンデン行きを中止しようと思ったが、妻は笑いながら言った。


「こんなのただの風邪よ。それより、この機会を逃したら次はいつになるか分からないでしょう? 一人で行って来なさい。きっと、お父さんの作品は見つかるわ。写真よろしくね」


 父とT氏が輸送船で何日もかけて運ばれた距離も、今日の旅客機ならば一日ほどだった。途中いくつかの空港を経由し、私はついにメンデンの地に降り立った。


 車を飛ばしてエーヤワディ川を遡り、マンダレーの街に着くと、私はさっそく聞き込みを開始した。一週間もせずに情報は集まった。この街から北西八十キロのところにある洞窟に「マドンナ」がいるという。教会の信徒たちが、そう名付けたとのことだった。私は苦笑せざるを得なかった。父はただ単に、脳裏に浮かぶ自分の妻の姿を彫っただけだろうに……


 現地の案内人を連れて洞窟に向かったのが昨日のことだった。そして今、私はもう洞窟の中にいる。


 案内人は松明たいまつを掲げながら、無言で奥へ奥へと進んでいく。私も何も言わず、ただ無心で彼の後に付いて行った。


 そして突然、それは私の目の前に姿を現した。


 松明の赤い炎に照らし出された彫刻は、確かに私の亡き母そのものだった。優美な顔立ちに意志の強い目つき。ゆったりとした服装で、かすかに笑みを浮かべている。彫刻でありながらどこか肉感的で、それでいて崇高さも感じられた。


 紛れもない父の遺作、マドンナ。彫刻の前には小さな祭壇が築かれている。


 いや、それよりもなによりも、私の目を著しく惹くものがあった。


 呆然と、私はそれを眺めた。彫刻の母は、幼児を抱えている。その幼児の顔は、私の子どもたちとそっくりだった。


 案内人が口を開いた。彫刻の右下を指し示している。


「ここ、ここにね、日本語が彫ってあります。私は読めないけど、あなたなら読めるでしょ」


 私は顔を近づけて、それを掠れた声で読み上げた。


「愛する妻と、まだ見ぬ我が子に……」


 卒然と、私は理解した。父は、私の誕生を直感したに違いない。父は芸術家としての感性と才能をすべて働かせて最後にまだ見ぬ、そして永遠に見ることができなかった私を彫り上げたのだろう。


 父は私というミッシングピースを埋めて、確かに作品を完成させていたのだ。


 すべてを悟って泣き崩れる私に、マドンナは幼児を抱きながら、優しく微笑みかけていた。


(「父が遺したマドンナ」終)

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