第3話 魔族少女のリデンプション(3/4)

 リツがその男、梨本と出会ったのは、二週間前のことだった。


 その日、勤務のため港の監視所にいたリツは、突如として島内全域に響き渡った空襲警報のサイレンを耳にし、身を固くした。慌ただしく兵士たちが走り回り、船から荷を受け取っていたトラックが退避所へ向けて走り去っていく。


 十数分後には、敵機の群れが港の上空に姿を現した。それは艦上戦闘機と艦上爆撃機の編隊で、合わせて三十機が数えられた。敵機はしばらくの間、様子を窺うように高射砲の射程外を飛び、それからまっしぐらに港へ向けて突撃を開始した。


 既に多禰島たねじまの航空戦力は壊滅しており、空を守るのは高射砲しかない。各陣地は一斉に砲火を繰り出した。それに臆することもなく、敵機は続々と降下してくる。どうやら目標としているのは、前日の夕方に入港したばかりの弾薬輸送船のようだった。輸送船は貨物の陸揚げをしている最中で、動くことができない。


 輸送船の周りに巨大な水柱が林立した。機銃掃射の連続的な金属音と、地上から放たれる重い射撃音が交差する。甲高いエンジン音に混じって、陣地の兵士たちの叫び声が聞こえてくる。


 リツはどこかぼんやりとした心地で、その光景を眺めていた。あの輸送船が被弾すれば、積載している弾薬が誘爆して、港全体が跡形もなく吹き飛ぶだろう。そうなれば、自分も即座に命を落とすことになる。だが、彼女は防空壕に逃げ込む気も、その場から遠く離れる気も起きなかった。


 輸送船はいまだに健在だった。どうやら敵機は、対空砲火に阻まれて正確な爆撃ができないようだった。それを編隊の指揮官は見て取ったのだろう。今度は上空を警戒していた戦闘機隊が低空へと降りてきて、対空陣地に向けて攻撃を開始した。大口径の機関砲が降り注ぎ、陣地は一つ、また一つと沈黙していった。


 撃たれた女性兵士が土嚢どのうに血塗れの手をかけ、苦し気な顔をして倒れた。それを見るや、なぜかリツの足は自然と動いていた。彼女は一番手近な陣地へと走り込んだ。陣地の中は血の海と化していた。


 折り重なっている死体をどけて、リツは機関砲の砲手席についた。辛くも生き残っていた兵士が給弾手の役を務め、彼女は上空を乱舞する敵機に向けて射弾を送り込み始めた。


 前に撃ち方だけは教わっていたが、高射砲を実戦で撃つのは、リツにとって初めてのことだった。それでも彼女は的確な射撃を続けた。真正面から突っ込んでくる敵機にも、彼女は正確に照準を合わせることができた。


 リツの射撃が一機の戦闘機に白煙を吹かせたその時、それまで上空で輪を描くように飛んでいた一機の爆撃機が、業を煮やしたかのように降下した。なんとしてでも輸送船を撃沈する覚悟のようだった。空色の機体の胴体には、真っ赤な帯が描かれている。どうやら指揮官機のようだった。


 リツはそれまでに、敵爆撃機の動きをよく観察していた。敵機が旋回し、投弾しようと態勢を整えたその一瞬の隙をついて、彼女は砲口を向け、射撃ペダルを踏み込んでいた。


 放たれた一連射は、吸い込まれるようにして敵機に命中した。敵は見る間に火を噴いたが、爆撃はやめなかった。墜落と引き換えに爆弾は放たれたが、しかしそれは外れた。敵機は海面にほど近いところで機首を引き起こすと、しばらく低く飛び、そして港外にほど近い海岸へ不時着をした。他の敵機は墜落した指揮官機の安否を気遣うように飛び回っていたが、やがて燃料切れが近づいたのか、機首を巡らせて飛び去って行った。


 リツは敵機が去ったのを見るや、陣地から出て、さきほど敵が不時着した地点へと向けて足を早めた。何が自分自身をそういった行動へと走らせるのか、彼女は理解できなかった。ただ、彼女はそれを見たいと思っただけだった。


 十分も経たずして海岸に辿り着くと、そこには一人の男が立っていた。それは間違いなく敵だった。筑紫国つくしこくの男とは違い、体格が小さく背も低かったが、しかし兵士らしい精悍せいかんな雰囲気を漂わせていた。頭からは血を流しており、手には拳銃を持っている。


「動くな」


 そう言いつつ、リツが軍刀を手にして駆け寄ると、男は拳銃を彼女に向けた。無惨なほどに険しい顔をしていた。しかし、男は彼女の顔を見ると少し驚いたような表情を浮かべた。男は即座に銃を投げ捨てると、両手を上に挙げた。


「降伏する」


 臆面もなく、男はそう言った。激しい抵抗を予期していただけに、リツは呆気にとられた。そんな彼女の脇を、銃を抱えた兵士たちが駆け抜けていった。兵士たちは敵の男を取り囲み、各々が二、三発殴打を加えると、銃剣を突き付けながら司令部へ向けて連行していった。

 

 その男は、梨本なしもとと名乗った。階級は少佐だった。


 少佐は、守備隊司令部による尋問にもよく答えた。自分が三万トン級の正規空母「龍驤」の艦上爆撃機隊の隊長であること、開戦時の神籠島かごしま湾の軍港奇襲にも参加したこと、それ以来最前線で飛び続けていること、三月の神籠島市街地空襲にも部下を率いて飛んだことなどを話した。


 司令部では、彼を生かしておくべきか、それとも処刑するべきか、意見が割れた。梨本は市街地に爆弾を落としたという。それは疑いようのない戦争犯罪であり、処刑の対象である。しかし、今は講和の機運が高まりつつある。彼を生かしておいて、敵軍との交渉の材料とすることもまた検討する価値がある。


 結局、司令部は本島に判断を委ねることにした。だが、回答はなかなか送られてこなかった。


 リツは空襲の翌日、捕虜が捕えられている建物へ行った。彼女にとって、あの男は生まれて初めて目にした「生きた敵」だった。それまでの彼女にとっての敵は、金属製の物体に過ぎなかった。空から襲い掛かり、爆撃と機銃掃射を繰り返すだけの機械の群れ。その中から生きた人間が出て来たのを見た時、彼女の中に、言葉で言い表すことのできない、ある不思議な感慨が芽生えていた。一晩経っても気持ちが収まらなかった彼女は、その感慨の正体を確かめたい気持ちになった。


 本来ならば許可なく捕虜と会うことは禁じられているのだが、リツにはなぜかそれが許されていた。処刑人という独自の立場が、それを可能にしたようだった。あるいは、参謀が配慮を示したのかもしれない。


 ちょうど夕暮れ時だった。狭い窓からは残光が入り込んでいた。それに照らされている檻の中の男を見た時、リツは軽い失望感を覚えた。男は床に敷かれた藁の上にだらしなく横になっていた。尋問の疲れを癒すために、どうやら寝ているようだった。彼は見るからに平凡で、痩せており、敵というにはあまりにも弱々しく彼女の眼には映った。


 リツが無言で男を見つめていると、やがて彼は目を覚まし、そしてあの時と同じような驚きの表情を浮かべてから、おもむろに口を開いた。


「やあ、君はあの時の女の子だね。わざわざ会いに来てくれたとは光栄だ……ところで、煙草を持っていないかな。君たちに捕まって以来、一本も吸っていなくてね。さっき尋問された時にも頼んだんだが、『捕虜の分際で生意気だ』と、逆に一発殴りつけられてしまってね」


 苦笑いをしつつ、男はわざとらしく左の頬を擦った。そのあまりにも鷹揚な態度に、リツは毒気が抜かれる思いがした。


「煙草は吸わない」


 そう答えると、男はいかにも残念そうな顔をして、それから悪びれもせずに言った。


「じゃあ次にここに来る時に持ってきておくれ。どんな種類のモノでも文句は言わないから。あとついでに果物の缶詰もあれば嬉しいな。私はミカンの缶詰が大好きでね。そうそう、私の名前は梨本というんだ。梨本多郎。平凡な名前だから覚えやすいだろう? それで、君の名前は?」


 リツは、ほんの少しだけ躊躇いを覚えたが、次の瞬間には言葉が勝手に口から漏れ出ていた。


「火崎リツ」


 その一言だけを言うと、彼女は部屋から出て行った。


 翌日、リツは梨本の元へ煙草と果物の缶詰を持って行った。梨本は笑って彼女を出迎えた。前日に殴られた頬は、青黒く変色していた。


 梨本はよく喋る男だった。リツが何も訊いていないのに、彼は身の上話を語るのだった。


「私は東京府の下町の出身でね。でも親が裕福だったから、大学まで何不自由なく進学することができたよ。勉強にはあまり力を入れなかったな。一番楽しかったのは中学生の頃に模型飛行機作りに熱中したことだ。図書館で航空力学の本を借りて、自分なりの工夫を加えて……雑誌に記事を投稿したりもしたよ」


「大学に入ってからは、もっと飛行機のことを知りたくなった。休日には友達と一緒に河川敷に行って、軽グライダーを飛ばしたりしてね。そのうち、旅客機のパイロットになって全国を飛び回ってみたい、大勢の人を乗せて、世界の空を飛んでみたいと、大それた思いを抱くようになった。それで民間の航空会社に就職しようとしたんだが、全然ダメでね。知識と技術があっても、コネがないと受け付けてもらえなかったんだよ。だから海軍に入ることにしたんだ。仕方なくね」


「でも海軍っていうのはなかなか厳しい世界でねぇ。君は知らないだろうが、飛行機っていうのは自由に飛び回ることができないんだよ。予め飛行計画書を提出して、それに則って飛ばないといけないから。それにどうでも良いような規則が多くてね。そろそろ我慢の限界だ、となったところで、君たちの国と戦争になってしまった。そうなったら、一応私も男だから、軍隊をやめるわけにもいかない。否応いやおうもなく母艦に乗ることになってしまった……」


 梨本はリツが差し入れた煙草を美味そうに吸いながら、どこか遠い目をしていた。彼女は梨本の話を聞きながら、その話がすべて真実を述べているわけではないだろうと思った。伝え聞くところによると、敵の中でも特に海軍のパイロットは最精鋭に属する存在で、狂信的なまでの戦闘意欲と強靭な意志がなければ操縦者として任官することはできないという。この男は「仕方なく」海軍に入ったというが、そのようなことはあり得ないはずだ。


 もしや、私に媚びているのだろうか? リツはそう思った。この男が置かれている状況は、あまり良いとは言えない。食事は雑穀と根菜が多く混ざった飯が一椀に、漬物が一切れに過ぎない。水もあまり飲むことができていないようだ。部屋の中は常に熱気がこもっていて、夜になっても涼風を浴びることすらできない。無害な男を装うことで、自分に煙草や缶詰などを運ばせてくる。そのような心づもりなのではないだろうか。


 なんという情けない敵だと、リツは呆れるような気持ちと共に、怒りにも似た反感を覚えた。その瞬間彼女は思わず、それまでなかったことだが、自分から口を開いていた。


「仕方なく海軍に入り、否応もなく母艦に乗った。ならば、市街地に爆弾を落としたのも、港の輸送船を沈めようとしたのも、『仕方なく』だったのか? 私たちを殺すのも『仕方なく』なのか?」


 梨本はその問いを聞いて、目を数回瞬かせた。そして、口の端を緩めると、ゆっくりと首を左右に振った。


「きっかけがどうであれ、それがいつの間にか自分固有の仕事になってしまうことがある。確かに私は熱意をもって海軍に入ったわけではない。艦上機に初めて乗った時も、こんな小さくて不格好な飛行機には乗りたくないと思ったさ。人ではなく、爆弾を載せるのも嫌だった。でもね、仕事に関しては『仕方なく』などと思ったことはない。いつも大事な任務だと思ってやってきた。そう、私にしかできない任務だと思ってね」


 梨本は煙草に火を点けて、悠然と吸い始めた。煙を吐き出す時は、律儀にもリツからを顔を背けた。


「こう見えても不器用な男でね。適当に折り合いをつけることができないんだ。それに、一度仕事を始めたらつい熱中してしまう。最初は嫌だった爆撃訓練もだんだん面白くなってきてね、点数を上げるために躍起になっていたら、いつの間にか艦隊のトップになっていた。そのおかげで神籠島の軍港を空襲した時も、主力艦のど真ん中に爆弾を命中させることができた。功績が認められて、大勢の部下を持つようになっても、仕事への熱意は消えなかった。市街地攻撃にも精力を傾けたよ。どこに爆弾を落としたら効率的に焼くことができるかと、一晩地図を見つめながら考えたりしてね……」


 その言葉を聞いて、リツは訊かずにはいられなかった。自分の髪が逆立つのを彼女は感じた。


「その任務が、何の罪もない民間人を殺すことだと、お前は知っていたのか? 年端のゆかぬ子どもたちや身重の女性たちをも殺すことだと、知っていて爆弾を落としたのか?」


 梨本の手元の煙草は、既に半分ほど燃焼していた。彼は灰を落とすとしばらく床を見つめてから、低い声で、しかしはっきりと言った。


「知っていた。君たち『魔族』を生きたまま焼き殺す任務だと、私は承知していた。爆弾と焼夷弾で女子どもを問わず皆殺しにする。すべて知っていたさ。尤も、私自身もこれから殺すことになる『魔族』なるものがどのような存在であるかは、ごく狭い個人的な経験の中でしか知らなかったが」


 かすかな悔恨のような感情が垣間見えた気がした。リツは再度口を開いた。


「知っていて、なぜ爆撃することができた? それほどまでに、私たちが憎かったのか?」


 だんだんと声がうわずるのをリツは自覚していた。そんな彼女を、梨本はじっと見つめていた。その目は、彼女が生まれて初めて見る、不思議な色合いを纏っていた。


「……言っただろう、私は不器用な男だと。仕事となったらやめられなくなってしまう。たとえ憎くはなくとも、仕事とあれば爆弾を落とさなければならない。それが私にしかなし得ない仕事だったからだ。むしろ、今でも心の底から君たちを憎んでいれば良かったのだが……」


 会話はそこで途切れた。リツは無言で部屋を出た。彼女は兵舎への帰り道を歩きながら、梨本が言ったことの意味について考えていた。


 果たして自分は、彼にあのような問いを発する資格があったのだろうか。彼女はぼんやりと思った。


 梨本は憎しみによってではなく、ただそれが自分にしか果たせない仕事だと思ったからこそ爆撃をしたと言う。では、自分はどうだろうか? 自分はこれまでに二十人近くもの同国人を処刑している。そこに感情を介在させたことはない。それがこの島においては自分にしかなし得ないことなのだと、リツは最近そう思うようになっていた。それが自己を納得させるための、一種の方便であるとは知りつつも。


 そういう点では、私は梨本と同じだ。彼女は素直にそう思った。そして、その直後に心中に湧き起こったある考えに、顔をしかめた。では、父を斬ったのも、私にしかなし得ない仕事だったのだろうか? あの場においては、私だけが父を斬ることができたのだろうか?


 そうではない、とリツは首を振った。あの時の私は、やはり拒否をするべきだったのだ。泣いて、取り乱して、父を殺すくらいならば自分も一緒に死ぬと言うべきだったのだ。父を本当に愛していたのならば、私はそのように振る舞って然るべきだったのだ。


 私は父を愛していたはずだ、だが、それは単なる思い込みに過ぎなかったようだ。愛していなかったからこそ、父を斬れたのだ。そのように自分に言い聞かせながら、リツは胸ポケットから煙草を取り出し、震える口に咥えて火を点けた。吐き出した煙は夜闇の中へ消えて行った。


 だが父は、私を愛してくれていたはずだ。彼女の思考は続いた。それならば、なぜ父は最期の瞬間、私に対して、「怖れることなく見事に父の首を刎ねてみせよ」と言ったのだろうか?


 なぜ父はあの時、「私と一緒に死んでくれ」と言ってくれなかったのだろうか。もしかすると、私が本当のところは父を愛していなかったように、父も私を愛してくれていなかったのではないか……?


 込み上げる嫌悪感がリツをむせさせた。彼女は脇道へと煙草を投げ捨てた。煙草の火は、スコールで出来た水溜りに落ちて、軽い音を立てて消えた。


 もうあの男のところへ行くのはやめよう。リツはふらつきながらそう思った。あの男と会うと、精神が乱されてしまう。


 それでもリツは、梨本の元へ足を運ぶのをやめられなかった。前日にあのような会話をしたのにも拘わらず、梨本は何食わぬ顔をして、また彼女が持ってきた煙草を吸っていた。他愛のない話をし、「君たちはいつもあんなに不味いものを食べているのか」とか、「今度はモモの缶詰があったら持ってきて欲しい」などと言った。


 数日間、そのようなことが続いた。次第に、リツは梨本に対して、敵でも味方でもない、奇妙な感覚を抱くようになっていた。


 あの男は間違いなく戦争犯罪者だ。いずれは処刑されるだろう。リツはそう思うのと同時に、次のようにも考えるのだった。だが、私は毎日彼に差し入れを持って行って、彼の話すことを真面目に聞いてやっている。それはなぜなのか……? 彼女は迷うままに、建物へ通い続けた。


 その日、リツがいつものように部屋に入ると、梨本は常にないことに黙り込んでいて、じっと彼女の顔を見つめ始めた。


「しかし、信じられないな。君が私を撃ち落としただなんて。これでも私は一応、ベテランパイロットと呼ばれる存在なんだがな」


 そう言われて、リツは心臓が跳ね上がるような感覚がした。


「誰から聞いた」


 リツは、そのように答えるのが精一杯だった。彼女の顔色が青白く急変したのを見るや、梨本は安心させるように声をあげて笑った。


「ははは、参謀殿が教えてくれたんだよ。最近だんだん仲良くなってきてね。聞けば、君は彼女の姪っ子らしいじゃないか。彼女にとっても、君は自慢の親戚だろうね……ところで、一つ訊いても良いかい? いったいどうやってあの時、私の機に弾を当てたんだい?」


 どう答えたものか、リツには容易には分からなかった。彼女はあの時、ただ彼女が得意とする剣術と同じように思考し、砲口を向けたに過ぎない。身に沁みついた習慣がなしたことだった。その習慣を敢えて言葉に表すならば、それはたったの一言に尽きた。


「飛び方に隙があった。その隙をついた」


 それを聞くや、梨本はしばし呆然としていた。そして、部屋の外にも響くような大きな声で笑い始めた。


「ははははは! そうか、そうか、隙があったか! なるほど、それなら納得が行ったよ。確かにあの時、私には隙があった。部下たちがなかなか輸送船に爆弾を当てられないのを見て、つい頭に血が昇ってしまってね。指揮官でありながら、『良し、じゃあ私があれを沈めてみせる!』と気負ってしまった。それがきっと隙を生んだんだなぁ、はははは……!」


 ひとしきり笑った後、梨本はリツに向かって、何か輝かしいものを見るかのような眼差しを向けた。


「それにしても君は若いのに、戦いの極意を心得ているようだ。何か武術でもやっているかい? いや、その腰の軍刀を見れば分かる。それは飾りじゃないんだろう? 君はきっと、剣術のプロか何かだね。そうでなければ錯綜さくそうした戦場において、隙なんていう不確かで一瞬の間に過ぎ去るものを捉えることはできないはずだ」


 リツは肯定も否定もしなかった。なんとなく、この男に対して自分から剣術家であることを名乗りたくはなかった。


 自分は、今は一個の処刑人に過ぎない。剣術家とは、一対一で、互いの全精力を懸けて対等に命のやり取りをする存在だ。だが、抵抗のできない罪人の首を刎ねるのは、剣の技術を必要とはすれど、その精神性からは程遠い。


「できれば、私が処刑される時は、君に頼みたいものだ。君ならば、きっと私を上手に処刑してくれるだろう」


 考えに半ば沈み込みながら、檻の上方をぼんやりと眺めていたリツは、梨本が言った言葉に衝撃を受けた。(続く)

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