第3話 魔族少女のリデンプション(2/4)
そんなリツの生活の根底を覆したのは、やはり戦争だった。
彼女が十四歳の時に戦争が始まった。開戦時、敵の艦上機の群れは軍港のみならず、
父はその時、ちょうど不在だった。リツは道場の火災をなんとか消し止めようと、必死になって消火作業に当たった。使用人たちと共にバケツで水を運び、先頭に立って猛火と対決した。
だが火は人間とは違い、隙を見せなかった。外出先から急遽父が駆けつけて来た時には、既に道場は完全に焼け落ちていた。
煤で真っ黒になったリツを、父は責めた。生まれて初めて彼女が見るような、激しい怒り方だった。彼は火が噴くような鋭い眼光で娘を見つめ、激しく叱責した。
「道場などは、また新しく建てれば良い。形あるものは必ず壊れるのだからな。だが、お前のその姿はなんだ。たかだか敵の空襲と火災ごときに打ち負かされて、お前には敗者としての汚辱が染み込んでしまっている。そんなことでは、お前に家を預けて出陣することはできん。もっと強くなれ」
リツはその言葉を震えながら聞いた。かつて彼女を可愛がってくれていた父の姿はそこにはなかった。彼女が十四歳を迎えた頃から、父は極端なまでに厳しくなっていたが、これほどまでに強い怒りをぶつけられたことは初めてだった。彼女が人生で初めて覚える敗北感であり、恥辱感でもあった。
父は、武門の頭領らしく即座に出陣した。ちょうど、敵が本島各地へ上陸作戦を展開し始めた頃だった。瞬く間に門下生たちが父の元に参集した。軍は父を長として独立大隊を編成し、前線へと送り込もうとしたが、ここで父はあることを申し出た。刑務所にいる犯罪者たちをも部下に加え、彼らが戦果を挙げたならば、恩赦を与えて欲しいと。
父は、犯罪者たちが刑期を終えて出所したところで、必ずしも幸せに社会復帰できるわけではないことを知っていた。元犯罪者であるという烙印は、一生ついて回る。ならば死の危険はあっても戦場で武勲を立てる機会を与え、社会に受け容れられる素地を作ってやるべきではないか。それに、銃弾飛び交う前線で国家に奉公したという経験は、犯罪者たちにとっての誇りとなるだろう。その誇りこそが、彼らがその後平穏な生活を営む上で必要なのではないか。
軍は難色を示したが、父と個人的に友誼を結んでいた最高指導者は提案を快諾した。全戦線で絶対的なまでに兵力が不足しており、たとえ犯罪者であっても戦線に送り込みたい戦況だった。「敵の指揮官を倒した者は無罪放免、下士官兵を斬った者は一人につき一年の刑期を免ずる」 おおまかにはそのように取り決めがなされ、父の独立大隊は発足した。各地の刑務所からは志願者が殺到した。いずれも、父がそれまでに指導したことのある者たちばかりだった。
リツも従軍を望んだ。しかしそれは言下に却下された。
「技量未熟な足手まといを戦場に連れて行くわけにはいかぬ。お前は家で父の帰りを待っていろ」
リツは
出撃した大隊は
「犯罪者部隊、壮烈無比なる戦いぶり」
「筑紫国の武門の誉れ、
「名指揮官火崎大佐、敵一個連隊を包囲殲滅」
父を讃える報道は途切れることがなかった。リツは、毎朝配達されてくる新聞を眺めて、父に関する記事を探し、スクラップするのが日課となった。特に、筑紫国の最高指導者が直々に父を
しかし、父は手紙の一本すら送ってくることがなかった。電話さえもなかった。
開戦から一年が経ち、戦況は
帰って来るなり、父は防具を身につけると、庭でリツと剣術の稽古をし始めた。戦場での気迫をそのまま持ち帰って来た父の剣技は凄まじいもので、リツは何度も地面に倒れた。防具が意味を為さないほどの強烈な打突だった。稽古が終わると、父はリツを冷たく見下ろし、「稽古が足りん、もっと強くなれ」と言った。
戦の中での平和な日々がしばらく続いた。敵機の来襲も少なく、
そして、ある日突然、そのような平穏な日々は終焉を迎えた。
その夜、屋敷は憲兵隊に包囲された。寝所に踏み込んだ憲兵たちは父に手錠をかけると、装甲車に乗せて憲兵本部へと連行した。
リツも逮捕された。護送車の中で揺られながら彼女は、まだ夢の続きを見ているかのような心地がしていた。数日後に父が国家反逆罪として死刑を宣告された時も、独房にいた彼女には、それが現実のことのようにはどうしても思えなかった。
その頃、筑紫国の最高指導者は、独裁権力を有する者にありがちな疑心暗鬼に陥っていた。敵の奇襲を何とか持ちこたえ、改めて国内の情勢を見渡した彼は、自分の周囲に見えざる敵が満ちているように感じた。
思えば敵が易々と軍港を奇襲し主力艦を撃沈し得たのも、また、各地にすみやかに上陸作戦を展開できたのも、内通者がいたからではないだろうか? 内通者たちは今も国内に身を潜めており、今度は最高指導者たる自分を排除するための工作を、密かに進めているのではないだろうか?
憲兵隊からの報告も、彼の疑念を一層深めさせた。スパイ容疑で検挙される者の数は月を追うごとに増しており、その中には有力者の子弟の姿さえ見えた。彼は、自分が権力を掌握するために作り上げた捜査機関によって、逆に精神の均衡を欠いてしまっていた。開戦以来の激務と疲労が彼の心身に著しい打撃を与えていたのも、影響していたのかもしれない。
ちょうど、逮捕された者が大規模な反乱の計画を自白した。その者は連日の拷問の結果、苦し紛れにありもしない計画を口走っただけだったが、憲兵隊はそれを「確度の高い情報」として報告した。
その中には、リツの父親の名前もあった。最高指導者はそれを信じた。近しい存在ほど自分にとって害を為すものであると彼には思われた。犯罪者部隊の結成を進言し、戦場でそれを率いていたのも、すべては反乱を起こすための布石ではないか……?
リツの父は法廷において、まったく自己弁護を行わなかった。父は死刑を宣告されてもただ一言、「自分は祖国に忠誠を誓うものである」とのみ言った。他の者たちが見苦しく命乞いをする中で、彼の気高さは際立ったものだった。
その誇り高い姿が、却って悪い方向に作用してしまった。最高指導者はそれまでリツの父を恐れていたが、その恐れが憎しみへと転化したのだった。
奴は指導の名のもとに俺の頭を木刀で殴り、蹴とばし、地べたに転がしたではないか。あれはきっと、俺に恥をかかせて陰で笑っていたのに違いない。忠誠だのなんだのと言っているが、ではその程度がどれほどのものか、確かめてやろう……
それまで、最高指導者は冷酷な男ではあったが、残忍な性格では決してなかった。そうであればこそ、彼は筑紫国での最高の地位を得ることができたのだ。だが、その時を境にして彼は極端に変わった。
リツはその夜、独房から引き出されると、手錠を
しばらくして、中庭にある人物が連行されてきた。それはリツの父だった。父には目隠しがされていた。怖れを見せることもなく、父は堂々とした歩みをしていた。息を呑み、身じろぎ一つできないリツの前で、父は地面に跪かされた。
周囲は
その時に関して、リツは断片的な記憶しか持っていない。震える手で鞘を払い、中から姿を現した濡れるような刃が、月光を浴びて怪しく輝いていたこと。なぜか声をあげてはならないと強く思っていたこと。ふらつく足取りで父の背後に立ったが、その背には一分の隙も見出せなかったこと。そして、父が「リツよ、怖れることなく見事に父の首を刎ねてみせよ」と言ったこと……そういった切れ切れの光景や感情しか、彼女は思い出すことができない。
見ていた者たちの言葉によれば、リツは美しく鋭い太刀筋で、一刀のもとに父の首を切断したとのことだった。そして、地面に転がり落ちた父の首を拾い上げて、二言か三言、言葉を投げかけたらしい。
そのことを聞かされたリツは、自分がどうしてそれほどまでに冷静に刀を振るうことができたのか、不思議に思った。
父を本当に愛していたのならば、仕損じてもおかしくはなかったのではないか? なぜ自分は動揺もせずに、父の首筋を断ち切ることができたのだろうか? 本当に自分は、父を愛していたのだろうか……?
リツはその後、多禰島へと流された。彼女の罪状も父と同じく国家反逆罪であったが、特別に許されて流刑となったということだった。多禰島守備隊の参謀を務めている彼女の叔母は、「お前が上手に父の首を刎ねたから刑が減じられたのだ」と言った。リツはそれを、気性の激しい叔母なりの、精一杯の慰めの言葉であると受け止めた。
現地召集という形で、リツは軍属として守備隊に組み込まれた。それからは陣地構築や弾薬運搬という、ごくつまらない作業をして日々を過ごした。参謀である叔母は何かと便宜を図ってくれて、リツがある時から守備隊の剣術師範として働けるようにしてくれたが、彼女はどうしても周囲と溶け込むことができなかった。周りの者たちもまた、顔色一つ変えずに父親の首を刎ねたというリツを不気味に思って、積極的に話しかけることはなかった。
次第に、リツは新しい仕事を課せられるようになった。それは、処刑だった。守備隊指揮官が、特別に剣術一家の出身であるリツのために用意した仕事ということだった。叔母はそれとなく反対したらしいが、効果はなかった。処刑という仕事は指揮官からの提案という形ではあったが、実質的には命令に他ならなかった。リツにそれを断ることはできなかった。
初めに斬ったのは、一人の脱走兵だった。若い男で、体格は小さく、角も貧弱だった。目は常に怯えた色を纏っており、口調もオドオドとしていた。彼は手紙で故郷の母が病気であることを知り、帰りたい気持ちが抑えられなくなったのだと言った。刑場に引き出されてきた時、彼は見る者が哀れを催すほどに取り乱した。リツは、彼の首を一刀のもとに斬り落とした。
それからもリツは、何人もの脱走兵や軍律違反者を処刑した。仲間と共謀して小舟で本島へと脱出しようとした年老いた応召兵たち。志願してこの島に来ておきながら、覚悟が鈍り、死の恐怖に堪えられなくなって逃げ出そうとした女性兵士。禁止されているにも拘わらず、肉体的な関係を持ってしまった若い二人の男女の兵士……いずれもリツは、顔色一つ変えることなく、彼らを斬った。
彼女が敵を斬ることはなかった。敵が上陸してくることはなかった。空襲の際に撃墜され脱出した敵機の搭乗員たちも、大半は重傷を負っていて処刑をするまでもなく死亡したし、あるいは、生きたまま捕えられそうになれば、例外なく拳銃で頭を撃ち抜いて自決した。敵は、自分たちがどれほど「魔族」から憎まれているのか、よく承知しているようだった。
リツはいつしか、島内の者たちから「処刑人」と呼ばれるようになっていた。
どうせ、自分は一生この島から出ることはない。処刑を終えるたびに、リツはそう感じた。たとえあの最高指導者が死に、国家反逆罪を免じられても、自分の犯した罪が許されることはない。この手で愛する父を斬ったという罪は、生きている間に雪がれることなど決してないのだ。それならば、この島に居続けたほうが良い。処刑という誰もが忌避する仕事をすることによって、また拭いきれぬ罪を重ね続けることになっても、ここにいたほうが良い……
二年近くが経過した。戦況に変化はなかった。敵は相変わらず筑紫国の海上封鎖を続けており、三月の市街地大空襲の後にも、散発的な攻撃を繰り返していた。最高指導者はその狂気の度合いを深め、いまや本島全土に恐怖政治を敷くまでになっていたが、しかしそれが却って抗戦能力を維持するのに役立っているようだった。
一部では講和の可能性が囁かれるようになっていた。敵にとっても、海上封鎖は国家経済に与える負担が大きいという。国外においては、相互の外交担当者が密かに会談を開いているとの情報もある……
だが、リツにとって、そのようなことはどうでも良いことだった。戦争が終わろうが、継続しようが、彼女はこの島に「処刑人」として居続けるつもりだった。既に、斬った人数は二十人に達しようとしていた。
そんな情勢下の、ある初夏の日の朝のことだった。リツの前に彼が現れたのは。(続く)
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