第2話 エーファの葬列(4/4)

 奇襲からいち早く立ち直ると、隊長は敵の砲の射程外へ部隊を移動させた。彼は各組の指揮者をエーファの死体の首の下に集め、作戦について協議を始めた。隊長は煙草を咥えつつ、冷静な声で言った。


「敵は『大きな三つのキノコの国』の妖精たちだな。どうやら死体を奪いに来たらしい」


 軍医がぼそぼそとした声でそれに続いた。


「人間の死体、それも魔力を持つ少女の死体は、海の向こうのササナの国に住む妖精たちに高く売れます。特に子宮に高値が付くのだとか。連中が撃って来たあの砲も、おそらく死体を売って得た資金を使って、ササナの国から輸入したものでしょう」


 隊長は見るからに不機嫌な顔をした。分かり切ったことを言うな、学者ふぜいが。そう言いたげな表情だった。それを見て、軍医は口を閉じ、取り繕うように眼鏡を拭き始めた。


 三つの星のマークを付けた騎兵の指揮官が、隊長に向かって言った。


「斥候からの報告によると、敵の数は優に一個大隊を超えるようです。砲は丘の向こう側の斜面に放列を敷いています。敵は火力と数の有利を生かして、すぐにでも攻め寄せてくるでしょう」


 隊長は頷いた。そして、隣にいる年配の工兵に煙草を一本渡すと、親しげな口調で語り掛けた。二人は長年の友人なのかもしれないと、エーファは感じた。


「すまんが、これから急いで陣地を作ってくれ。できるだけ深く壕を掘るんだ。日中は陣地に籠って砲撃から身を守り、かつ攻め寄せてくる敵を迎撃する。払暁まで耐え抜いたら、後は夜襲だ。夜ならばこちらに分がある。『大きな三つのキノコの国』の連中は、夜目が利かないからな。放列を片付けたら、連中も諦めて撤退するだろう」


 年配の妖精は無言で頷くと、すぐにその場を去って行った。それを見送ると、隊長は三人の歩兵小隊長に命令を下した。


「さあ、聞いた通りだ。諸君、持ち場につきたまえ!」


 妖精たちは隊長に敬礼をすると、素早い動きで部下の下へと走って行った。


 それから一時間後に、敵が砲撃を再開した。どうやら敵は砲の位置を更に前進させ、装薬の量も増して射程を延ばしたようだった。乱雑な太鼓の連打のような砲撃音と、焦げ臭い硝煙の臭いを、エーファは微かに感じることができた。


 激しい砲撃だったが、工兵たちがごく短い時間で掘り上げた塹壕は歩兵たちを完全に防護した。歩兵たちは壕の中に身を潜め、銃に弾丸を装填したり、緑色の大箱から取り出した手榴弾を仲間に配ったりしている。悠然と煙草を吸っている者までいた。士気は高いようだった。


 やがて、砲撃が止んだ。黒々とした爆煙が晴れるのと同時に、敵の妖精たちが姿を現した。敵は一列横隊を組んでいて、着剣した小銃を突き出し、駆け足をして陣地へと迫ってくる。


 エーファはそれを、離れたところから見ていた。戦争とは剣と弓矢を持った歩兵と、槍を抱えた騎士によって行われるものだと彼女は思っていたが、どうやら妖精たちの戦争の形態は彼女の常識とはかけ離れたものであるようだった。


 各陣地の歩兵たちが、指揮官の号令の下、一斉に射撃を開始した。雨垂れのような射撃音が連続する。途端に、敵の何人かが力なく崩れ落ちた。倒れた敵兵はパッと蝶の鱗粉のような光の粒子を巻き上げ、瞬く間に風化していった。


 先頭を行く敵の指揮官は、拳銃を掲げて、しきりに手を振り回して部下たちを前へ前へと進めていた。その指揮官も、次の瞬間には狙撃を受けて、ばったりと地面に身を投げ出した。


 彼我ひがの距離が詰まると、手榴弾の投げ合いになった。体格の優れた妖精たちが陣地から身を乗り出して手榴弾を遠投する。周りの妖精たちは小銃でそれを援護している。敵は手榴弾の弾幕を、あるいは伏せ、あるいは走り、直前の砲撃で出来た穴に飛び込んでかわしていく。


 遂に、敵が陣地のすぐそばまで迫った。ちょうど、猫が全身を伸ばしたくらいの距離だった。耳障りな号笛が響くと、敵は喚声を上げ、一斉に陣地に向かって全力で突撃を開始した。


 エーファはその時、隊長の鋭い声を聞いた。隊長はサーベルを前に突き出していた。


「迎撃しろ! こちらも突撃だ!」


 その命令が飛んだ直後、妖精たちは一斉に陣地から飛び出した。数秒後には、凄惨な白兵戦が展開された。その光景こそ、彼女が想像する戦争そのものだった。ある者は銃剣で敵を刺し、ある者は銃床で殴りつけ、あるいはふちをやすりで鋭利に研いだスコップで斬りかかった。肩が裂け、首が飛び、腕が千切れる。


 エーファは、その時になって初めて敵の姿をつぶさに見ることができた。敵の妖精たちは、こちらの妖精たちとなんら異なるところがなかった。同じ肌の色をしていて、同じように耳が尖っており、同じような背丈をしていた。異なっていたのは軍服の色と、軍旗だけだった。敵の軍旗には三つのキノコが銀の糸で縫い取られていた。


 敵の軍旗を奪おうと、こちらの妖精たちが数人、決死の突撃を敢行した。彼らは死に物狂いで戦い、もう少しで軍旗を奪取できるところまで行ったが、やがて敵に囲まれて全滅した。最後に残った一人は手榴弾を発火させて自爆し、数人の敵を道連れにした。


 目を覆いたくなるほどの無慈悲な殺戮劇が繰り広げられている。エーファは息を呑んで、それをただ一心に見つめていた。


 陣地に突入されれば数で圧倒される。ならば、陣を出て迎撃し、白兵戦によって乱戦に持ち込むべきだ。そのように隊長は判断したのだろう。それは正しかったが、しかし敵の数は隊長の予想を上回ったようだった。後から後から敵は増援を繰り出し、押し寄せて来た。敵は予備兵力を投入するのに躊躇しなかった。


 妖精たちの前線は崩壊寸前だった。エーファはその時、一人陣地に残って、射撃を続けていた兵士に目を付けた。兵士の顔は強張っており、手が震えていた。彼は目の前で、一人の味方が三人の敵兵によって滅多刺しにされたのを見て、陣地を飛び出して走り出した。


 しかしそれは、敵に向かってではなかった。彼はエーファの方へ、つまり戦場から遠くの方へ逃げ出そうとしていた。


 敵前逃亡だ。エーファが気付いた時には、その彼の前に大きな影が立ち塞がっていた。影は銀に輝くサーベルを振りかざして、一刀の元に脱走兵を斬り捨てた。


 それは隊長だった。隊長は戦場一帯に響き渡るほどの大きな声で叫んだ。


「逃げるな! 戦え! 逃亡者は斬り捨てる! 敵前逃亡をする者は私の手で処刑する!」


 その声を聞いた兵士たちは、奮起したようだった。崩れかけた戦線が、再度勢いを取り戻しかけた。


 そこへ突如として、いくつかの大きな影が土煙を巻き上げて、敵の増援部隊の側面へまっしぐらに突入して来た。


 それはネズミに跨った騎兵たちだった。騎兵たちはサーベルを振りかざし、騎兵銃を乱射して、敵の隊列をバラバラに切り裂いた。脆くも壊乱状態となった敵の増援部隊は、戦場に背を向けて逃げ散っていった。騎兵たちはそれを追うことなく、今度は未だに白兵戦の渦中にある味方の歩兵たちへ加勢した。


 一人の騎兵を見て、エーファは思わず叫んでいた。パトリックだ! パトリックはネズミを全速力で走らせつつも、射弾を正確に敵に送り込んでいる。弾が尽きると、彼はサーベルを抜いて、敵兵を斬り伏せた。倒れる敵に目をくれることもなく、彼は次の標的へ向かって突進して行った。


 数分後、戦いは終わった。騎兵たちの活躍により窮地を脱した妖精たちだったが、その数は戦いの前より半分近く減っていた。戦場には光の粒子が、明け方の白い霧のように濃く垂れこめていた。どれだけ多くの戦死者が出たのだろうかと、エーファは呆然とした。


 いつの間にかエーファの担架のすぐ傍で軍医と衛生兵が野戦病院を開設していて、負傷者の治療に当たっていた。軍医はノコギリを手にしており、ゴリゴリと音を立てて、重傷を負った妖精たちの手足を切り落としている。負傷者たちは呻き声一つ漏らさなかった。軍医の眼鏡は曇っていた。衛生兵が、切り落とされた手足で満杯になった桶を運んでいる。


 別の場所では、隊長が歩兵の小隊長たちを集めて、報告を聞いていた。隊長は言った。


「第一波は防いだ。これから第二波が来るぞ。だが、それはもう二時間ほど経ってからだろう。陣地を整備しておけ……」


 小隊長たちが去って行った後、隊長は副官に向かって、愚痴るように言った。


「こちらにも砲があれば良かったんだが。榴散弾があればなぁ……あのデュラハンが宿営地を襲った時に砲が破壊されたのはやはり痛手だったな。手榴弾は各人充てでもう四発しかない。夜までに弾薬がもつか、少し不安だ」


 副官が慰めるように答えた。


「敵も消耗しているでしょう。次の攻撃は、今回よりも小規模になっているはずです。小隊長たちに目標の厳密な選定と集中射撃を徹底させましょう……」


 その真剣な表情を見て、なぜかエーファは笑い出したくなってしまった。彼女自身でも、その理由は分からなかった。戦闘と、無数の死という決して笑うべきではない状況が、今の彼女にとっては笑うべき光景に見えて仕方がなかった。


 それはおそらく、自分の死体という究極的には無価値そのものの対象を巡って、血みどろの戦いが繰り広げられているからだろう。壮絶なまでに無意味な戦い。それは愚かしさの極致だった。


 その極度なまでに愚かしい行為に、妖精たちは実に生き生きとした様子で邁進まいしんしている。きっと彼らは戦いの最中に、生きる実感を覚えているのだろう。彼女は副官を見ることで、そのことにおぼろげながらも気付いたのだった。


 キーアンなんか、放っておけば良いのに。私の死体なんて捨ててしまって、みんな家に帰れば良いのに。そうすればみんな、楽しく毎日を暮らせるのに。生きる実感なんて、きっと戦い以外でも得られるのに。ひとしきり笑った後で、彼女は独り言ちた。


 戦いはその後も続いた。副官が予言した通り、来襲する敵の規模は次第に小さくなっていて、夕刻に行われた最後の攻勢に至っては一個小隊に満たないほどだった。


 それでも、こちらの被害は大きかった。無傷の兵士はもはや数えるほどしかおらず、傷を負い、頭に包帯を巻き、腕を吊り、銃を杖代わりにしている者がほとんどだった。


 陽が暮れた。妖精たちはビスケットとお茶で簡単な食事を済ませた後、隊長の前に整列した。傷つき、疲労しているのにも拘わらず、兵士たちの目は爛々らんらんと光り輝いていた。


 隊長はいつの間にか、純白の礼装に着替えていた。胸にはいくつもの勲章を付けていた。


「これより、敵に対し夜襲を敢行する。攻撃目標は敵の放列。敵兵には目もくれるな。何としてでも敵の砲を排除するのだ。砲を破壊し、敵陣を突破した後は、すみやかに戦場を離脱する。良いか、すべては気の毒なエーファのためだ! すべてはエーファの死体を村に運ぶため、そして、キーアンに自分の犯した罪を思い知らせんがためである! 死を恐れるな! シャムロックの軍旗に恥じぬ戦いをせよ! 前進!」


 呻くように掛け声を発した後、兵士たちは足を引き摺りながら進み始めた。エーファは、自分の体が浮き上がるのを感じた。見ると、屈強な妖精たちによって、担架が担ぎ上げられていた。どうやら、妖精たちは死体と一緒に敵中を突破するつもりのようだった。


 隊長はしばらく兵士たちを見やると、今度はエーファの死体を一瞥し、しばらく何かを考える素振りを見せた。


 彼は近くにいた騎兵を呼び寄せた。それはパトリックだった。隊長は低い声で言った。


「夜襲は成功すると思うが、万が一ということもある。パトリック、お前は今から『雷の鳴る沼』の駐屯地へ行って、増援を要請してこい。たとえ私たちが全滅しても、味方が後を引き継いで死体を村へ運んでくれるだろう。重要な任務だ。頼まれてくれるな?」


 無表情のまま話を聞いていたパトリックは、一瞬何かを言おうと口を開きかけたが、思い直したように口を閉じた。そして、凛々しい眼差しで敬礼をすると、ただ一言だけ答えた。


「はっ! 必ずや」


 隊長はゆっくりと頷くと、歩兵たちの列へ向かってハリネズミを走らせた。


 パトリックはエーファの顔を見上げた。その目には感慨深そうな、嬉しげな情感がこもっていた。エーファは心の中で、彼に向かって笑みを返した。パトリックはネズミに拍車をかけると、全速力でその場から去って行った。


 兵士たちは進み続けた。歩みは遅々としていたが、強い戦意が隊列を満たしていた。中心には軍旗が翻っていた。月明かりを受けて、金の四葉のシャムロックが淡く輝いている。


 担架は最後尾を進んでいた。すぐ傍には隊長と、副官がくつわを並べて歩いている。彼らはごく小さな声で会話をしていた。


「隊長、私は思うんです。私たちはただ任務のために生き、使命を全うするために死ぬべき存在であると。そのことに関して疑問は抱きません。ですが、本当のところは、その任務や使命といったものを、私たちはよく分かっていないのではないかと思うのです。エーファの死体を運び、キーアンに思い知らせる。それは疑いようもなく、崇高な任務です。ですが、その任務を達成することで、私たちは何を得るのでしょうか。それは私たちの人生にとって、どのような意味を持つのでしょうか? 私たちはただ、任務という状況に流されるままに生きるしかないのでしょうか……」


 隊長は穏やかな表情をして、年長者が子どもに言い聞かせるような優しい口調で答えた。


「まだ大学生の気分が抜けていないようだな、君は。もっと単純に考えたまえ。別に良いじゃないか、何も疑問を抱くことなく、状況のままに生きても。私たちは先祖代々そうやって生きて来たし、きっとこれからもそうやって生きて行くんだ。流されるままに生き、流されるままに死ぬ。だが、任務を果たせば、少なくとも生きる実感を得られる。それこそが重要なのだ。気の毒なエーファのことを考えてみろ。彼女はきっと、生きる実感をその最期の瞬間まで……」


 突然、隊列の周辺で複数の爆発が起きた。続いて飛来した砲弾が先頭を行く歩兵たちの中ほどで炸裂し、彼らの肉体を引き千切った。


 白い閃光と赤い爆炎、飛び散る破滅的な破片の大群。周囲で一斉に喚声が湧き起こった。それは敵の歩兵たちが上げたものだった。


 隊長は苦笑を浮かべて副官を見た。副官も似たような表情をしていた。


「どうやら、こちらの作戦を敵は察知していたようだな。まったく、要らぬ知恵をつけおって」

「そのようですね。こうなったら、流れのままに行きましょうか」

「そうだな。それが一番だ」

「生きる実感、というやつのために」

「そう、そのために」


 隊長はサーベルを抜くと、ハリネズミを走らせて隊列の先頭へ向かった。マントの緋色の裏地が闇の中でひときわ目についた。副官がその後に続いた。


「突撃! 前へ!」


 担架の揺れが激しくなった。相変わらず、周囲では砲弾が爆発している。後ろからは敵の妖精が追いかけてくる。銃声が連続し、叫喚と呻き声と荒い呼吸音がコーラスをしている。


 ここに至ってエーファは、なぜか満ち足りた気分になっていた。


 そうだ。私はこのまま担架の上で、身を休めていれば良い。一時いっときは敵に死体を奪われるかもしれないが、きっとパトリックは増援を呼んでくるだろう。自分は遠からずして、キーアンの前に姿を現すことができるに違いない。


 兄は、どんな顔をするのだろうか。エーファはだんだん、その瞬間が楽しみになってきた。わくわくするという感情の動きを、彼女はとても新鮮なものとして感じた。


 敵は担架を奪い取ろうと必死になって追いすがってくる。年配の工兵が手斧を振るって、敵兵の頭をかち割った。軍医が息も絶え絶えに、懸命に列に追いつこうと走っている。白い肩掛けカバンが闇の中で激しく揺れている。


「前へ、前へ! 突撃、突撃!」


 隊長の絶叫がなおも聞こえてくる。銃撃を受けて、ハリネズミの上で隊長がよろめいた。マントが虫食いのように穴だらけになっていた。しかし彼は落ちることなく、サーベルを振り回して声を張り上げている。


 敵も味方も死体を巡って、駆けながら激闘を繰り広げていた。兵士たちの絶叫が聞こえてくる。


「死体を、死体を守れ!」

「奪え、死体を奪え!」


 敵の妖精も同じ言語を話すのかと理解したその時、死んで活動を停止したはずの脳髄に電流のような痺れが走るのを、エーファは感じた。


 今、他でもない自分の死体を巡って、彼らは戦っている!


 今、彼らの世界の中心になっているのは、私の死体なんだ!


 エーファは深く感動していた。


 これまでは流れのままに生きてきて、流れのままに死んでしまった。だが今は、今こそは、自分が状況を支配していて、ささやかながらも勢いの激しい、大きな流れの源となっているのだ。


 楽しい。実に楽しい状況だと、彼女は思った。このような楽しさを、彼女はこれまで知らなかった。


 そうか。エーファは卒然と悟った。


 自分は今、初めて生きる実感を得ているんだ!


 あらゆる種類の戦闘騒音が響き渡る、漆黒の夜闇のただ中を驀進ばくしんする葬列の中心で、死化粧を施されたエーファの顔がどこか微笑んでいるように見えた。


(「エーファの葬列」終)

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