第2話 エーファの葬列(2/4)

 また後方から更に別の妖精の一隊が進んで来て、背負っていた大きな道具箱を地面に下ろし始めた。エーファは聞こえてくる会話から、その新たな一隊が工兵であることを知った。工兵たちはみな一様に顎髭を伸ばしており、鼻が尖っていた。どうやら歩兵たちとは別種の妖精のようだった。


 工兵たちの動きは素早かった。彼らは手に手に大きなカッターと手斧を持って死体にじ登って来た。エーファは一抹の不安を感じたが、それは部分的に的中した。彼らは、血と泥によって黒く変色し、襤褸ぼろ同然となった彼女の服を裁断し、体から脱がし始めたのだった。しばらく、サクサクという切断音がそこかしこで響いた。


 十数分後、細かく切られた服がすべて取り除かれ、足に履いていた革のサンダルも脱がされた。死体は文字通り、一糸纏わぬ姿となった。


 死んでいるとはいえ、裸で草原の真ん中に横たわっていることに、エーファは少しだけ恥ずかしさを覚えた。以前彼女は、全裸の状態で村を歩き回ったり、馬車を乗り回したりする夢を見たことがあった。その夢から覚めた時と類似した羞恥心だった。


 裸になると、首のない騎士がエーファの体に加えた暴虐の痕跡がより一層露わになった。工兵の中でも特に顎髭が長い、年配の妖精が、じっくりと死体を見て回った。彼の視線は、特に傷を負った部分に向けられていた。その目は、職人が工芸品を手がけている時の目とそっくりだった。


 観察を終えると、年配の妖精は工兵たちを一箇所に集め、しばらくの間打ち合わせを行った。それが終わると彼らは布のマスクを顔にかけ、ゴム製のエプロンと手袋を身につけた。次に、各々の道具箱から針や糸といったものを取り出すと、組に分かれて死体の各所へと向かった。一連の動作には逡巡や躊躇いが一切なく、きびきびとしていた。


 一体何をするのだろうかと、エーファは固唾を吞んで見守っていた。ほどなくして工兵たちの意図がはっきりとした。彼らは傷口を修復し始めたのだった。両腕に負った裂傷からは白い骨片が飛び出していたが、それを押し込み、刃と打撃によって弾けた肉を再度骨と合わせ、丹念に傷口を縫い合わせた。


 工兵が使う糸は透明で、陽の光を受けると虹色に輝いた。妖精たちだけが知っている魔法の素材なのかもしれないと、エーファは思った。その糸は縫い目をまったく残さなかった。


 腹部の大穴では、工兵たちの半数が例の年配の妖精に指揮されて作業に当たっていた。彼らは死体から滴っている赤い血液に体を汚すことも厭わず、内臓を持ち上げると死体の上へと運び、穴へと押し込んだ。それが終わると、年配の妖精が率先して穴に入り、内臓を正しい位置へと戻し始めた。エーファはむずがゆさを覚えたが、それはどこか心地良いものだった。


 工兵たちは皆、作業に熟練していた。彼らの手つきは素早く、正確で、両腕と腹部以外の小さな傷の数々も、瞬く間に修復されていった。やがて、大穴の傷口も針と糸によって塞がれた。年配の妖精は全体を確認すると、工兵たちに声をかけて、次なる作業を開始した。


 彼らは道具箱からボロ布と、刷毛はけと、塗料缶を取り出した。そして、またもや各組に分かれると、あるいは体を拭き始め、あるいは打撲によって青黒く変色した箇所に塗装を施し始めた。次第にエーファの死体は、彼女の本来の透き通るような白い肌を取り戻し、むしろ生前よりもさらに美しさを増した。


 年配の妖精は、自ら彼女の顔を担当した。彼は顔を丹念に拭き清めると、道具箱から化粧品一式を取り出し、エーファに死化粧を施した。作業中、彼はずっと気難しい顔をしていたが、手を休めることはなかった。その化粧の腕前は驚嘆に値するほどで、エーファ自身の技量を遥かに上回っていた。彼女は、ありがたさと同時に、同じくらいの程度の嫉妬を感じた。


 死体の清めがすべて終了すると、工兵たちは最後の任務に取り掛かった。彼らは既に硬直しているエーファの腕を苦労して折り曲げ、腹部の上で手を組むように配置した。最期の苦悶を示すかのように歪んでいた両脚も真っ直ぐにし、乱れていた髪の毛も整えた。そして、仕上げと言わんばかりに、絹の袋に入れられていた、キラキラと白銀に光る粉を、全身にくまなく振りかけた。


 エーファは息を呑んで自分の死体を見ていた。つい先ほどまではハエの集る一個の死体に過ぎなかったのに、今ではただの、眠っている一人の人間のようにしか見えない。何かの拍子で起き出して、周りにいる妖精たちに驚いて声を上げるかもしれないほどに、死体は幻想的な生命感を纏っていた。尤も、そのようなことがあり得ないのは彼女自身がよく承知しているところではあったが。


 工兵たちの作業の間にも、歩兵たちは草花の伐採をやめていなかった。彼らは刈った草の葉を細かく縦に裂き、太い繊維にすると、それをり合わせてロープにした。その数は夥しいものだった。やがて、ロープが目標としていた量に達すると、今度はそれを使って大きな緑の生地を彼らは作り始めた。ちょうどその作業は、死体の真横で行われていた。


 死体の足が向いている方から声が聞こえてきた。エーファが目をやると、そこにはまた新たな一隊がいた。彼らは全員が上半身裸で、筋骨が著しく発達していた。濃い胸毛が生えており、肌は健康的に日焼けしている。彼らは声をあげて、歩兵や工兵たちに挨拶を送っていた。


 彼らは二本の、頑丈そうな長い木の棒を運んでいた。棒は、エーファの身長以上に長かった。二本の棒はそれぞれ、直前に歩兵たちが編み上げた緑の生地の二つの長辺に置かれた。逞しい妖精たちは呼吸を乱しておらず、汗一つかいていなかった。歩兵と工兵たちが余っていたロープを使い、生地の両の長辺を筒状に加工した。それが終わると、彼らは全員で棒をその筒状の部分に通し始めた。


 ようやく、エーファは彼らが何を作っているのかが分かった。彼らは担架を作っているのだった。村で急病人や怪我人が出た時、村人たちは患者を担架に乗せて彼女の元まで運んできたものだった。


 そうなると、自分はこれからこの担架に乗ることになるのだろうか?


 そう彼女が思っている間に、すべての妖精が死体に集まり、一斉に力を込めて彼女を持ち上げた。ハリネズミに乗った隊長が号令をかけ、一糸乱れぬ秩序正しい動きで、死体は徐々に徐々に動かされ、そして無事に担架の上に乗せられた。終わった時、全員が脱力し、肩で息をついていた。逞しい妖精たちも、しきりに額から流れる汗を拭っていた。エーファは申し訳ない気持ちになった。


 陽が傾きかけていた。隊長が「大休止」の号令をかけ、食事となった。陽が高かった頃に吹いていた風は、既に止んでいた。妖精たちは食事の準備を始めた。歩哨の他はみな小さな焚き火を囲み、飯盒でオートミールの粥を作っている。煙草の煙が炊煙に混ざった。粥が出来上がると、妖精たちはシャムロックの花から取った蜜をかけ、黙々と食べ始めた。


 エーファの頭の横で、最初に死体のもとへやってきた妖精であるパトリックが、同輩の騎兵と一緒に粥を啜っていた。そのすぐ傍で、鞍と手綱がつけられたネズミが大きな麦の粒を齧っている。


 彼らは雑談を始めた。ぼそぼそとした、疲労感が滲み出ている声だったが、エーファはそれを正確に聞き取ることができた。


「食事の後、隊長はすぐに出発を命令するだろう。行軍は夜中になるが、俺もそれが正しいと思う。この草原から早く離れなければならない。夜になったらまたあのデュラハンが暴れ出すかもしれないからな」

「それにしても一週間前に駐屯地をあいつに破壊されたのは惜しかった。あの時は大勢死んだな……」

「ああ、それに何より、輸送車両とドブネズミを全部やつに壊されたのが痛かった。おかげでこの死体を人力で運ばなければならない。目的地まで道は平坦なようだが、いったいどれだけ時間がかかることやら」

「愚痴を漏らすな。任務なんだからな。俺たちは何としてでも死体を運ばないといけないんだ」


 エーファが予想していた通り、彼女は担架に乗せられて、どこかへ運ばれるようだった。どこへ行くのだろうか? 彼女は様々なことを考えた。妖精たちの国へ行くことになるのだろうか? それとも、妖精たちは死者の国の入口でも知っていて、そこへ連れて行ってくれるのだろうか? ここまで見返りなく、労力をかけて自分を綺麗にしてくれた彼らが、自分の死体に何らかの価値を見出しているのはほぼ間違いのないことだと思われた。


 だが、その次に聞こえてきたパトリックの言葉に、エーファの動かなくなった心臓が衝撃を受けた。


「そう、俺たちは運ばなければならない。エーファの村へと、彼女の死体を運ばねばならん。万難を排してでも」


 パトリックの同僚が煙草に火を点けた。そして、煙を吐き出すと、どこか蔑みの感情がこもった声で言った。


「そうだな……俺たちが運ぶんだ。エーファを捨てて逃げていったあのキーアン、敵前逃亡者のキーアンに死体を届けるために、俺たちが苦労しなければならない。それが任務だからな」

「そうだ。あの憎んでも憎み足りない、臆病者のキーアン。あいつに思い知らせてやらなければ」

「そうだ、そうだ。キーアンめ……あの極悪人め!」


 キーアンという言葉を聞いて、エーファは強い驚きの念に襲われた。彼らはいったい、どこまで自分のことを知っているのだろうか。キーアンが自分を捨てて逃げて行ったことについて、自分はこれといって怒りや恨みの念を持っていないが、妖精たちの声音からはキーアンに対する激しい憤りの感情が垣間見える。


 できれば、あの村に連れ戻すことはしないで欲しいのだが。エーファがそう思ったその瞬間、副官の大きな声が響いた。


「大休止終わり! 炊事用具を収めた後、全員整列!」


 妖精たちの動きが慌ただしくなった。ある者は焚き火を消し、ある者は銃を手にし、ある者は穴を掘ってゴミを捨てている。数分後には、彼らは整然とした隊列を組み、隊長を前に直立不動の姿勢を取っていた。


 隊長は大きな声で言った。その声は甲高かった。あえてそのような調子の声にしているようだった。


「これより我らは、既に冷たくなってしまった、気の毒なエーファを担架で運び、彼女の生まれ故郷である『大きな水車の村』へと連れ帰る! 作戦期間は一週間を予定している。その間、『大きな三つのキノコの国』の妨害が予想される。油断をするな! 敵は必ず死体を狙ってくるぞ! なお、敵前逃亡をした者は容赦なく処刑する! あのキーアンと同じ罪を犯す者は、死で以てそれを償わねばならないからだ! では、かかれ!」


 妖精たちは「はい、隊長殿!」と叫ぶようにして答えると、一斉に各々の役目に従って散っていった。歩兵の半分と、逞しい妖精の全員が担架のながえにつき、掛け声と共に死体を持ち上げた。


 ふわふわとした浮遊感を、エーファは覚えた。なんとなく、落ち着かない気分だった。


 案外しっかりとした足取りで、彼らは力強く行進を開始した。残りの歩兵たちは前方と後方を守っている。騎兵たちは、道の先へ行って偵察をしているらしい。工兵たちは隊列の最後方にいた。


 残照を受けて、軍旗が輝いている。金のシャムロックがオレンジ色の光に照り映えて、微風を受けて揺らめいている。


 軍靴の響きが静寂の草原を圧した。ネズミに騎乗した副官が号令をかけた。


「軍歌!」


 妖精たちが一斉に歌い始めた。その曲調は勇ましいというよりは、多分に哀調を秘めているものだった。


「運べ、運べや、運ぼうよ。気の毒なあの娘を運ぼうよ。

 不運に遭って命を落とし、冷たくなった可愛いあの娘。

 村にいた時虐められ、治療はすれども感謝はされず、

 薄いスープに不味いパン、すすってかじって耐えて来た、

 健気なあの娘を運ぼうよ。

 そして、思い知らせてやろうじゃないか!

 あの娘を捨てて逃げてった、臆病者のあの男!

 許すな、許すな、許すまじ、あの男だけは許せない。

 あの娘を置いて敵前逃亡、あの男だけは許せない!」


 エーファは担架に揺られて歌を聞きながら、ぼんやりとキーアンのことについて考えていた。


 キーアンは、あの後ちゃんと逃げることができたのだろうか? 首無し騎士を目撃した時、見るも無残に恐怖に打ち震え、狼狽して自分を突き飛ばし、元来た道を一目散に逃げて行った、あのキーアン。


 兄は、ちゃんと逃げることができたのだろうか……? エーファの考えはまとまりを欠いていた。


 死体を運ぶ妖精たちの隊の連なりは、さながら葬列だった。きっと、村に着くまでこの葬列が崩れることはないのだろう。どうあっても妖精たちは、村へ死体を運ぶつもりらしい。エーファは心のどこかで淡い諦念を抱いた。



 ☆☆☆



 夜通し、妖精たちは進み続けた。彼らは疲れを知らないようだった。そして、厳正な秩序を保っていた。


 エーファは、妖精に対する認識を改めた。彼女は今まで、妖精というものは幼稚で、気まぐれで、悪戯好きな生き物だと思っていた。牛の乳を盗んだり、赤ん坊を取り替えたり、夜道で人を驚かせたりするような、そういう不気味な存在であると、彼女はそれまで信じていた。


 だが、この妖精たちはまったくそれとは違った。彼らは一時間おきに小休止を挟み、歩哨を立て、装備を点検し、そして交代をしてまた担架を担ぐ。騎兵たちは斥候を欠かすことがなく、工兵たちは道なきところに道を拓き続けた。


 エーファは、警戒するように担架の傍を行く二人の騎兵の会話を聞いた。そのうちの一人はパトリックだった。


「なあパトリック、エーファの人生っていうのはまったく悲劇そのものだと思わないか? 俺は彼女のために何かしてやりたいと、新聞や雑誌の記事を読むたびに思っていたよ」

「そうだなぁ。まあ、その人生が悲劇だったかどうかは究極的には本人にしか分からないだろうが、客観的に見れば悲劇と言って差支えないだろうな」

「水車小屋の製粉機が破壊された時に、彼女が犯人だとされて、家に石を投げられたというニュース映画を観た時は体が震えたよ。どうしてそんなにまで彼女は苦しまねばならないんだって。真相は、『大きな三つのキノコの国』の破壊工作員があれをやったというのに」

「俺もあれを観た時は怒りの感情を抑えられなかった。だからこそ、村から出たと聞いた時は喜んだのに……今はこうして死体になってしまったんだからなぁ……」

「それもこれも、全部キーアンのせいだ! キーアンが逃げなければこんなことには……」


 会話を耳にしたエーファは、果たして自分はそれほどまでに悲劇的な人生を送ったのかどうか、疑問に思った。単調な担架の揺れに誘われて、彼女はまどろむようにそれまでのことを回顧し始めた。


 村において、エーファは蔑まれていた。それは辺鄙へんぴな田舎には不釣り合いなほどに彼女が美しかったためであった。村人たちは自分たちとは明らかに一線を画す美貌を持つ彼女を疎んじていた。醜いものを嫌うのと同じように、その村において彼女の美しさは蔑みの対象となった。


 それには、彼女の出自と深い関係があった。彼女には父親がいなかった。彼女の母親は放浪の魔術師で、回復術を得意としていた。ある日、ふらりと村に訪れた母親は、「どうかこの村に住まわせて欲しい」と村人たちに頼んだ。母親は美しく、また回復術の腕前も確かなものだった。最初は疑いの目で見ていた村人たちも、一年後には一定の距離を保ちつつ、母親を村の一員として認めようとしていた。


 そんな母親を、村長一家の次男が見染めた。是非、あの魔術師の女を我が妻にしたい。次男は何度も母親の元を訪ね、求婚を繰り返した。次男は働き者で少しは学問があり、明るい性格をしていた。彼は村人たちから愛されており、「あのような流れ者の魔術師の女を妻にするのは似合わない」と反対もされたが、彼の意志は固かった。


 だが、母親は拒絶した。理由は明かさなかったが、その表情からは何か強い意志が見て取れた。


 数か月後に、その訳が明らかになった。母親はいつの間にか妊娠していた。緩やかな白いローブの上からでも分かるほどに、その腹部は大きくなっていた。父親はいったい誰なのかと、多くの村人が噂し、中には母親に直接問い質す者までいた。それでも、母親はそのことについて口を閉ざしたままだった。


 母親がエーファを産んだその日に、村長の次男は自殺をした。彼は母親の妊娠が発覚した時から、著しく精神に変調を来していた。彼は自室で首を吊っており、遺書にはただ一言、「僕はあのひとを手に入れられなかった」とだけ書いてあった。


 こうして、エーファの人生はその最初の瞬間から呪われたものとなった。流れ者の正体不明の魔術師が産んだ娘、父親が分からない娘、村長の次男の命と引き換えにこの世に生まれ出て来た娘。あの女はきっと、悪しき妖精と交わって種を受け、赤子を産んだのに違いない。あの美しさも、きっと魔術によるものだ。


 そのような流説がまことしやかに囁かれ、やがてそれが村内での共通見解となった。乳飲み子を抱える母親の村における立場は、極度に悪化した。


 そんな環境にあっても、母親は懸命にエーファを育てた。そして、村に留まり続けた。村もまた、母親とエーファを追い出すことはできなかった。彼女は非常に優秀な回復術の使い手であり、即死さえしていなければ、どんなに瀕死の人間でもたちどころに傷を癒すことができた。病気とその治療に関する知識も豊富で、魔力を込めて調合する薬はどんな疾病をも退けた。


 いつしか、母親は魔女と呼ばれるようになっていた。そんな魔女は、エーファが十二歳の時に死んでしまった。ちょうど村の中で毒性の強い感冒かんぼうが流行していた頃だった。母親は、自分を魔女と呼んで蔑み、数え切れないほどの嫌がらせをしてきた村人たちを見捨てなかった。彼女は自分の魔力が尽きるまで回復術を行使し、やがて気力と体力が枯渇して、最後は病魔に命を奪われた。


 エーファは母親から教えられた回復術を使って、母親の命を救おうとした。しかし未熟な彼女の腕では、どうすることもできなかった。葬式には誰も来なかった。彼女は一人で、住まいである粗末な小屋の裏の空き地に墓穴を掘り、破れかかって黄ばんでいるシーツに母親の死体を包んで、雨の降りしきる中埋葬した。


 母親という庇護を失ったエーファの生活はそれ以来、辛く、苦しいものとなった。彼女は回復術によって村に貢献することで、餓死を免れるだけの僅かな糧を得ることができたが、それよりもなお悲惨だったのは、村人たちの蔑視による、精神的圧迫だった。


 あの娘が美しいのは魔女の娘だからであり、悪しき妖精の娘だからだ。魔性の美しさに惑わされてはならない。あの娘は夜な夜な森に出かけては妖精たちと交わり、妖しい精力を受けて、魔術を行使する。いつかこの村に大いなる呪いをかけて、自分たちを皆殺しにするか、妖精たちに売り渡すに違いない……


 村人たちにとって、彼女は蔑みの対象であるのと同時に、娯楽の対象でもあった。彼女を弄び、嫌がらせを加え、ありもしない嫌疑をかけて次々と噂話を生み出す。それは単調な村の生活において、酒以外の数少ない悦楽と言えた。


 エーファは、そのような状況にまったく反撥しなかった。それは彼女が生来従順な性格をしており、争いごとを好まない穏健さを持っていたからだった。だが、それよりも彼女が村人に反抗的な様子を見せなかったのは、つまるところ彼女自身の「成り行き任せ」という態度のせいだった。


 母親はよくエーファに言ったものだった。「自然に身を任せない」と。「運命に逆らってはならず、状況に身を委ねなさい」と、母親は事あるごとにエーファに訓戒を垂れた。それは流れ者の魔術師らしい、一定の筋が通っている人生哲学だったが、残念ながら村という閉鎖的な環境に身を置き続けなければならないエーファにとっては、毒にしかならない言葉だった。


 エーファは不当な境遇に声を上げ、村人に戦いを挑むべきだったのかもしれない。たとえその戦いがどれほど絶望的なもので、敗北しか約束されていないものであったとしても、それが村人の意識を変える可能性は、僅かながらでもあったのだ。それに村にとって、回復術が使える彼女は必要不可欠な存在だった。敗北したところで、彼女が村から追い出されるはずはなかった。そうしなかったのは、やはり彼女自身が母親の言葉を極度に内面化していたからだろう。


 ひもじい思いをし、嫌そうな表情を隠さない村人に回復術をかけ、たまに起きる事件の犯人に仕立て上げられて「魔女の娘」と蔑まされる。おそらくそのような生活が、このまま死ぬまでずっと続くのだろう。生きているという実感のない、空虚な生活の連続と堆積。それが自分の人生なのだと、彼女は思っていた。それは諦念というほどには確固たるものではなく、うすぼんやりとした予感のようなものだった。


 だが、その予感はある日、突如として打ち破られた。(続く)

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